|
高山には(建武中興の時、国司として下向した)姉小路文化の間接的な影響があるにしても、 高山の文化や風致の原形を作ったのは、くりかえすが、豊臣期から徳川初期まで数代続いた 飛騨大名金森氏だった。 さらに正確に言えば、金森家がもっていた茶道美学だった。 (司馬遼太郎「街道をゆく」飛騨紀行) 夕方から夜間相当降った雨は、朝には止んでいた。 宮川東岸(宮川朝市)と高山陣屋前の広場(陣屋朝市)で朝市があると言うので9時ごろ出かけた。 野菜、漬物、花卉類、土産物などを売っていたが、出店は思ったほど多くはなかった。 途中、昨日日中の人出が多かった三町の古い町並みを歩いた。 ほとんどの店は未だ開いておらず、道を歩く観光客の姿も少ない。 この方が町並みの素の姿が見えるような気がする。 ある店(久田屋という郷土料理の店だった気がする)では軒先に藤を這わせており、それがちょうど満開 だった。 又、ある店(漬物など食糧品の店)では軒先に満開の藤の鉢が置かれていた。 高山の文化と風致を評価し、それが茶趣味大名で知られる金森氏の茶道美学が遠因という司馬 遼太郎の意見に今一つ理解しかねていた だが、幾たびか歩いた古い街並みとこういった風情をを見ると分かるような気がした。 宮川朝市 軒先の藤の花 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2014年06月09日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]
だが、幾たびか歩いた古い街並みとこういった風情をを見ると


