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上野公園の西南に位置する不忍池方向に歩いていると、花園稲荷神社と、五條天神社があった。 前者は寛永寺草創時に由来を持ち、後者は更に古く、日本武尊東征時に由来を持つ社という事なので、 参拝をした。 花園稲荷神社は忍岡稲荷、穴稲荷とも呼ばれ、祭神は勿論倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)である。 寛永の初め、寛永寺の草創の際に忍ケ岡の狐が住処を失ったことを憐れんだ天海(慈眼大師)が一洞を造 り、その上に祠を建てて祀ったのが始まりと言われている。 その後、承応3年(1654)天海の弟子で本覚院の住僧・晃海が霊夢を感じ、廃絶していたお社を再建し、 上野の山の守護神とした。 慶応4年5月15日の彰義隊の戦争では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られる。 明治6年(1873)篤志家によって再興され花園神社と改称された。 五條天神社は、第12代景行天皇の御代、日本武尊が東征の際、上野の忍岡で藥祖神2柱(大己貴命、少彦名 命)の大神が奇瑞を現し、難を救われたのでここに両神をお祀りしたと伝えられる。 江戸初期、社地は神職の瀬川屋敷(上野公園下 旧五條町)に遷り、寛永18年(1641)菅原道真を合祀し た。 昭和3年(1928)創祀に近い現地に遷座した。 祭神:倉稲魂命(ウガノミタマノミコト) 右手の丸い穴は、天海が狐の為に作ったといわれる洞 近くには小さな祠が建てられていた。 朱祭神:大己貴命(オオナムヂノミコト)、 少彦名命 相殿:菅原道真 案内図 |
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2014年07月10日
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