ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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八月東叡山寛永寺根本中堂、文殊楼、仁王門並びに山王社建立、二十八日中堂入仏あり、

九月六日瑠璃殿の勅額到着  (斉藤月岑「武州年表」元禄十一年の項)


月曜日の昼過ぎの上野公園をぶらぶらしながら歩いていると、薄曇りとはいえ暑かった。

大噴水の近くにスターバックスがあったので、そこに入って一服した。

店内は思ったより客が入っていた。

ある人は新聞を、あるいは本を読んでいる。

ある人はノートパソコンのキーを打っている。

ある人は一生懸命レポートらしきものを書いている。

そして何人かはスマホの画面を見つめ、何やら操作している。

その他の多くの人は、明るい緑鮮やかな、外の風景を眺めていた。

:)も外に目を向けると大噴水と、その先には東京国立博物館の本館と東洋館が望まれた。

珈琲の香りを味わいながら公園の風景を眺めつつ少しタイムスリップした。

上野公園はかっては、徳川将軍家の菩提寺の一つ・東叡山寛永寺の境内で、諸堂伽藍が並んでいた。

大噴水のある辺りには、月岑(ゲツシン)の「武州年表」が記す様に根本中堂(中堂、瑠璃殿)が建ち、その周

囲を回廊が廻らされていた。

坂東第一と詠われた荘厳華麗な中堂には薬師如来が奉安されていた。

中堂の両側には、比叡山延暦寺中堂からの根分けの竹が植えられていた。

それを「竹の台(ウテナ)」と呼ばれていたことから、今噴水地ある一帯を俗に「竹の台(ダイ)」と呼ぶ。

中堂の北側、現在の東京国立博物館辺りには、東叡山・日光山の門主・輪王寺宮が居住する本坊が建ってい

た・・・。

慶応4年(1868、明治元年)5月15日彰義隊の戦争が起こり、寛永寺堂塔伽藍はほとんど焼けた。

跡地には大学付属病院建設計画などがあったが、オランダ軍医・ボードワン博士らの建言を入れ、

明治6年(1873)太政官布達によって、芝、飛鳥山などと共に日本で初めて公園として開園した。

大正13年(1924)宮内省を経て東京都に下賜された。

当初は寛永寺社殿、東照宮それに境内の桜を中心とした公園であったが、その後、博物館、動物園、美術

館などが建てられ、文化の香り高い公園へと衣替えした。

それでも、上野公園内には寛永寺に係わるものが多く散在する。

清水観音堂大仏パゴダ開基堂(両大師堂)などは既に紹介した。

他に、動物園内にある五重塔、不忍池中之島の弁天堂、大黒天堂、清水観音堂近くの天海僧正毛髪塔など

があった。


イメージ 1 スターバックス上野公園店




イメージ 2

                              大噴水と東京国立博物館
大噴水の先には東京国立博物館(本館、東洋館)が望まれた。




イメージ 3 五重塔
上野動物園東園に建っている。
嘉永16年(1639)再建 高さ36.4m、重文
5層目は銅板葺、他は本瓦葺
第一層には、釈迦、薬師、阿弥陀、弥勒の四方四仏が祀られている。
写真は東照宮参道から撮った。





イメージ 4 天海僧正毛髪塔
寛永2年(1625)寛永寺を創建した天海僧正は、寛永20年子院の本覚院にて108歳にて示寂した。
遺命により日光山に葬られ、旧本覚院のこの地に供養塔が建てられた。
後に、本覚院伝来の毛髪を納めた塔が建てられ毛髪塔と呼ばれるようになった。





イメージ 5 弁天堂
不忍池の中之島に建つ。
昭和33年(1958)再建
本尊は竹生島宝厳寺から勧請した八臂大弁財天
天海が琵琶湖竹生島になぞらえて寛永年間(1624〜1644)に不忍池に中之島を築き、弁天堂を建てたのが始まりと言われている。




イメージ 6 大黒天堂
不忍池の中之島、弁天度近くに建つ。
立札に「豊太閤護持大黒天堂」と記してあった。




イメージ 7

                               案内図

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