ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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長門の国為る、山陰の西陬(セイスウ)に僻在(ヘキザイ)す。 而して萩城は連山の陰を蔽い、渤海の衝に

当たる。その地海に背き山に面(ムカイ)卑湿隠暗なり。(吉田松陰「松下村塾記」)


松陰神社を東に数百m行くと叔父玉木文之進の旧宅があった。

文之進がここで松下村塾という名の塾を開いたので入り口に「松下村塾発祥之所」の標柱が建っていた。

ここより誕生の地と墓を訪ねて坂道を登る。

この辺りの高台は団子岩と総称され、その一角に吉田松陰誕生地があった。

そこには建屋は残っていないが旧宅の間取りをかたどった礎石が配されていた。

ここからは城下が眼下に、萩城のある指月山(143)は正面に眺められる風光明媚なところであった。

ここで、吉田松陰や文ら兄弟が生まれたのだ。

しかし、吉田松陰は後年、冒頭に記したような感慨を持っていた。

吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ前までに日本全国、それこそ九州から東北ま歩いた見聞から言える実感

だったろう。

近くには吉田松陰が金子重輔を従えて沖のペルー艦隊を眺めている像が立っていた。

ここから少し上ると杉家、玉木家、吉田家一族の墓があり、吉田松陰の墓も養家吉田夫婦の左隣に建って

いた。

また、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、駒井政五郎、堀潜太郎ら門下生の墓もあった。

吉田松陰誕生地と墓の間に、高杉晋作が一時隠棲した庵の跡の碑が建っていた。

高杉は、彼の生き様に強い影響を与えた師松陰の所縁の地で何を考えていたのだろうか?


イメージ 1

                              玉木文之進旧宅
入口に向かって左に「玉木文之進旧宅」、右に「松下村塾発祥之所」と刻んだ石標が建つ。
木造萱葺平屋建
8畳の座敷の他、4畳の畳部屋、4畳半の板間と土間の台所、3畳半の玄関があり、別に湯殿、便所がある。
玉木文之進(1810〜76 「花燃ゆ」では奥田瑛二が演じている)は、吉田松陰の父杉百合之助の末弟で、杉家を出て玉木家(大組40石)を継いだ。生まれつき学識に優れ、松陰の教育にも大きな影響を与えた。
天保13年(1842)付近の子供を集めて教育し、松下村塾と名付けた。
名の由来は、現在は萩市大字椿東(チントウ)であるが、当時松本村と呼ばれていたことによる。
この塾の名称は後に久保五郎左衛門が継ぎ、安政2年(1855)松陰が継承して、名を天下に上げることにいたった。
因みに、文之進は明治9年(1876)前原一誠が起した萩の乱を阻止できず、養嗣子正誼(マサヨシ)を始め門弟が多く参加したことに責任を感じ,玉木家先祖の墓の前で自刃した。



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イメージ 6

                              吉田松陰像
明治維新100周年を記念して昭和43年(1968)建立。
松陰が弟子の金子重輔を従え、下田沖のペリー艦隊を見つめている姿を彫刻したもの。
金子は膝を着き望遠鏡を手にしている。
高さ約8m、像高は約3m、
題字は当時の内閣総理大臣佐藤栄作。
銅像は萩出身の嶺武四郎が制作




イメージ 7 吉田松陰生誕地
当時のものとしては、写真には入っていないが産湯の井戸があるぐらい。
大正11年(1922)整備した時、後に住んだ人の記憶によって復元した間取りをかたどって礎石を拝したものであった。
吉田松陰は天保元年(1830)萩藩士杉百合之助(家禄26石)の次男として生まれ、嘉永元年(1848)清水口に転居するまで居住していた。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公杉文も天保14年(1843)杉家4女としてここで生まれている。




イメージ 8

                              生誕地からの眺望
この辺りは団子岩と総称され、指月山(143m)を向いに御城下が一望できる風光明媚な場所である。



イメージ 5 高杉晋作草庵跡地顕彰碑
文久3年(1863)3月京都で剃髪し、東行と号して世捨て人を決め込み萩に戻った高杉晋作は、ここで草庵を結んだ。
ここで松陰の遺著を読み、妻マサと嵐の前の静かな一時を過ごした。
しかし、同年5月長州藩が関門海峡で外国艦砲撃を断行すると君命により呼び戻され、6月に下関で奇兵隊を結成した。
高杉晋作がこの地を隠棲地に選んだのは師吉田松陰に対する強い思いがあった為に違いない。






イメージ 2 吉田松陰墓
表に「松陰二十一回猛士墓」
裏面に「姓吉田氏 称寅次郎 安政六年己未十月二十七日 於江戸歿 享年三十歳」と刻まれている。
墓前の水溜、花立、燈籠に寄進した門人の17名の名が彫られている。
万延元年(1860)2月7日杉家実家で行われた百ケ日忌に遺髪を埋めて建てられた。
(写真には入っていないが)右隣には養父吉田大助、養母久満の墓が並んでいた。




イメージ 3 久坂玄瑞墓
元治元年(1864)7月禁門の変に敗れ逃げ込んだ鷹司邸で自刃 享年25歳





イメージ 4 高杉晋作墓
慶応3年(1867)4月13日病没(命日14日) 享年29歳

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