ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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西林寺は海岸に櫛比(シッピ)する漁家あり。書院の縁先より淡路の島影を望む。海波洋々、

マラルメが牧神の午後の一詩を思起さしむ。江湾一帯の風景古来人の絶唱するところに背かず

殊に予の目を喜ばすものは西林寺の波打寄する石垣の上に在ることなり。・・・中略・・・

今図らずもこの明石に来りて、この静閑なること雨声の如き濤声をききこころ耳を澄ますことを

得たり。何等の至福ぞや。(永井荷風「罹災日録」六月初三) 



再び西国街道に戻り、旧大蔵谷の宿辺りを西から東に向かって歩く。

山電「人丸前」駅近くのの稲爪神社から東に進み、西林寺前に来た。

鐘楼門を潜ると右(西)手の前に、大きなソテツの株が植えられた本堂が建っていた。

南奥には霊園、その裏(南)は国道28号、防潮堤となって、その先は大蔵谷海岸となっている。

終戦近い昭和20年(1945)6月文豪永井荷風が 東京から逃れて、この西林寺に滞在した。

冒頭の「罹災日録」に記しているように、荷風は海岸近くのここを気に入っていた。

しかし、 ここも安全でないと分かり、10日間滞在して、急ぎ岡山へ移っている。

同じ月、明石は大空襲を受け、西林寺も焼けた。

今の西林寺の姿は、戦後復興したものだ。

今は残念ながら荷風が気に入っていたように境内や霊園からは直接海は見えない。

波の音の代りに国道を疾走する車の音が聞こえる。


西林寺、穂蓼(ホタテ)八幡神社、と行くと、途中に古民家を散見する。

江戸時代は、この辺りは、大蔵谷の宿で栄えたが、鉄道敷設とおもに寂れた。

今は、本陣も脇本陣も残っていないようだが、古民家はその名残だろうか。



やがて、左手に大きな法華経塔(奉献塔)が建つ所へ来ると国道2号に出た。

ここから東、西国街道は国道2号と重なり、国道を進むと、やがて明石市から神戸市に入った。




イメージ 1 西林寺 
山号:蓮台山
宗派:真宗東本願寺派
康安2年(1362)二階堂出羽守の3代孫。空円上人が開き、
寛文4年(1664)天台宗から真宗に改宗
昭和20年6月永井荷風が10日間滞在した



イメージ 2 本堂 
本尊:阿弥陀如来



イメージ 3供養碑     
上段に釈迦如来像、下は六地像が並ぶ。
六地蔵は左端の1体を除く5体は元禄4年(1691)7月7日の年月を刻む。



イメージ 4街道沿いの古民家  




イメージ 5 街道沿いの古民家   



イメージ 6 穂蓼八幡宮(八幡神社) 
稲爪神社を創建した越智益躬(オチノマスミ)の子・武男が父で武将の越智益躬を祀った。
稲爪神社の御旅所となっている。
武将・越智益躬を弓矢の神として崇めている内、いつの間にか同じ弓矢の神・八幡神と同じになったようだ。




イメージ 7社殿     
祭神:鴨部の大神(越智益躬 オチノマスミ)
   息長足姫命(神功皇后)
   玉依姫命
   応神天皇
宝永2年(1705)9代明石藩城主松平直常が建替
大正2年(1913)改築
昭和45年(1970)改築



イメージ 8法華塔     
国道2号と合流地近くに立っていた。
航海安全と大蔵谷浜での遭難者供養のために建てられた。



イメージ 9地 図     

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