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多聞寺前の、川沿いの道を東北方向に凡そ200m進むと、多聞六神社が鎮座していた。 道路に面して建つ石造りの鳥居の後ろは、80余段の石段となっており、周囲は緑濃い鎮守の杜が囲んでい た。 が訪れたのは、山村裕著「西国街道歴史散歩」(関西歴史散歩の会)の舞子六神社の項に、多聞六神社はもと十二神を祀る「多聞十二所大明神」と呼ばれ、江戸時代にその中から六神を移したので 舞子六神社と呼ばれると云う趣旨の記述があった。 が、「多聞十二所大明神」云々ついて、当方は全く知らない、と仰っていた。 もしや、多聞六神社側に何か裏付けるもの、痕跡があるのではと思って来たのだが、その様なものは何も なかった。 この辺りは、かっては丘陵が続く長閑な田園だったと聞くが、昭和40年代頃からの急速な団地開発が進 められ風景が激変した。 しかし、この神社は、この辺りの総氏神として今も鎮座している。 説明板によれば、貞観5年(863)創建 明治7年(1874)村社に列する 明治37年(1904)多聞鎮座の日吉神社を合祀 祭神:伊弉諾命(イザナギノミコト) 伊弉冊命(イザナミノミコト) 大日霎命(オオヒルメノミコト)、 月読命(ツキヨミノミコト)、 蛭子命(ヒルコノミコト)、 大山咋神(オオヤマヅミノカミ) 東出入り口付近からの眺望 以前は、丘陵が続く長閑な田園地帯だったと聞くが、昭和40年代頃からの急速な団地開発が進められ風景が激変した 地 図 |
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2015年10月16日
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が訪れたのは、山村裕著「西国街道歴史散歩」(関西歴史散歩の会)の舞子六神社の項に、

