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西方行者卜斯山 不断称名日夜閑 水鳥樹林皆念仏 見来安養在人間 <西方行者(真盛上人)がこの山に居住されてから 称名念仏は日夜絶えることなく静かに続けられている。 周囲の小鳥や樹林も皆念仏を唱えているようだ。この山に来てこの世の安住の地即ち極楽浄土があるように。(沢庵「石山行記」)> 天気が良かったので、坂本まで足を延ばし、紅葉で知られる西教寺へ行った。 道路に面する総門から奥の勅使門まで、西に向かって緩やかな上りの参道が続き、その間紅葉が赤く美し く染まっていた。 総門の前には左に全日本仏教徒滋賀大会碑、右に沢庵禅師の碑が建ち、門を潜ると左右に塔頭寺院が並ん でいた。 紅葉が盛りであるにもかかわらず、幸いに人の姿はまばらで静かだった。 その様な紅葉の参道をゆっくり上って行った。 後稿で記すが、明智光秀と西光寺は縁が深い。 三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」では、光秀が坂本城主になって西教寺の不断念仏の鉦がなる本堂へ、末 娘玉子(後の細川ガラシャ夫人」らと参詣する様子が描かれている。 西教寺はもう目の前にあった。三人は馬から降りた。しんと静まった。 しんと静まったあたりの空気に、本堂のほうから鉦を叩く音が聞こえてくる。 その音が一層静けさを深めている。 馬を木につなぎ、更に少し急な坂道を登って、本堂の前に立ち止まった四人は、再び鉦の音に耳を傾け た。チーン、チーンと、間をおいてひびいてくる。静かだ。いかにも静かである。 秋の陽ざしの中に、鉦はひときは澄んだ音を立てているようであった。 天正年間(1573〜1592)坂本城主明智光秀が坂本城の城門を移築したと伝えられる。 老朽化が進み、昭和59年(1984)修理が加えられたが、形はそのままで復元した。 総門の(向かって)右前に建てられていた。 江戸時代の禅僧沢庵禅師(1573〜1645)が慶長19年(1614)5月ごろ近江を巡歴し西教寺を訪れた。 それを記した、彼の著「石山行記」の一節(冒頭に示す)を刻んであった。 平成17年(2005)大津市にて第39回全日本仏教徒滋賀大会が開催されそれを記念したもの。 参 道 美しい紅葉の参道が約200mほど続いた。 実成坊(左)と禅林坊(右) 参道の左右には塔頭寺院が並ぶ。 その中の実成院と禅林坊の表門には「登録有形文化財」のプレートが貼り付けられていた。 勅使門の前の寺標の表には 「天台宗真盛派本山西教寺」 右側面には 「天智天皇八年勅賜西教寺」と刻まれていた。 明治11年(1878)明治政府により別派独立を公許された時建立された。 |
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2015年11月23日
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