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北から麩屋町通りを降りてきて、松原通りで西に折れた。 比較的行き交う人の少ない松原通りを西に向かって歩いていると「因幡薬師」の標石が建つ不明門(アケズ) 通りにさしかかった。 不明門(アケズ)通り北端に因幡堂こと平等寺が建っていたので参拝に訪れた。 平等寺(因幡堂)の起こりは、「因幡堂縁起」(東京国立博物館蔵)に詳しく書かれているそうだが、知ると ころの概略は次の通りだ。 長徳3年(997)因幡国司・橘行平が任を終えて帰路の途中、夢のお告げに従って因幡賀留津(カルツ)の海中から 薬師如来像を引き揚げ、安置した。 ところが、その薬師如来像が行平の後を追って京に飛来してきた。 長保5年(1003)行平は自宅を改造してこれを祀った、此れが因幡堂の始まりである。 この霊験譚は広く親しまれ、歴代天皇を始め、一般庶民の深い信仰を受けた。 承安元年(1171)高倉天皇より「平等寺」と命名された。 また、歴史的事実として「御堂関白記」寛弘二年(1005)十二月二十九日の条に、橘行平は因幡守に任字ら れたことが記されている。 堂宇は度々火災に遭い、寺域も次第に小さくなったが、明治初期に再建された本堂には、度重なる火災に も拘わらず、伝えられてきた本尊薬師如来立像(藤原時代 重文)が安置されている。 れて信仰され、「因幡薬師」、「因幡堂のお薬師様」と親しまれている。 「因幡薬師」の寺標の先(北奥)に因幡堂となっている。 不明門(アケズ)通りの名は、源平争乱時代高倉天皇が因幡堂の直ぐ南「東五條院」にお住まいになられたので、御所に遠慮して南門を開けなかった為。 現在の南門は簡素な冠木門である。 正面に本堂(因幡堂)が建つ。 平等寺は、福聚山と号する真言宗智山派の寺院 「因幡薬師」、「因幡堂のお薬師様」と親しまれている。 寺宝としては「小督局の琴、硯箱」等がある。 平等寺本堂 明治14年(1881)から5年の歳月をかけて明治19年(1886)再建された。 本尊薬師如来立像(藤原時代 一木造、重文) 京都12薬師霊場1番霊場、京都13仏第7番薬師如来霊場 本堂正面に吊り下げられている鰐口の上近くに懸仏が掲げられていた。 本堂に向かって左手に建つ 本尊十一面観音菩薩像 堂内には本尊のほか、弘法大師像、毘沙門天像、如意輪観音像、不動明王像、神変大菩薩(役行者)像を安置。 洛陽33観音第27番霊場
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2016年02月26日
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