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友人Hと自転車で萩に3か所ある伝統的建物群保存地区の一つ、堀内を廻っている。 タイムスリップしたような街中の中に、萩博物館があり覗いてみた、 更に、東に進み堀内の東端に明治・大正・昭和にかけての長州閥の一人とされる田中義一の像が高く立って いた。 田中義一が、大正後半に入手した田中家別邸が平安古(ヒヤコ)の橋本川畔に残っているが、それについて はあらためて別稿で記すつもりだ。 堀内街路風景 堀内地区の上級武士の屋敷跡の石垣が残り、屋敷跡地には、明治維新後植えられた夏みかんがたわわに黄色い実を下げていた。その先には、武士たちを支え、彼らの誇りの象徴だった萩城の城郭が失われた指月山(143)が望まれる。 萩・堀内の街並みに合わせた門、建物となっている。 萩の自然、歴史、民俗、産業、美術工芸などに関する資料を展示。 敷地内には夏みかんを園樹として植えられていた。 井上剣花坊は明治3年萩で生まれた。 新聞記者を勤めるかたわら川柳の改革復興に尽力した。 昭和9年(1934)没 享年65 巣立ちした あとははじめの 二羽になり 剣花坊句 昭和20年(1945)頃まで現在地に在った建物を古写真を元に復元したもの 田中義一(1863〜1929)は藩主の御六尺(かごかき)田中家の三男として文久3年(1863)乙熊が生まれた。 乙熊は3歳の時、平安古(ヒヤコ)に移り、成長して義一と名を改めた。 13歳の時、真堀小学校の授業性(代用教員)に登用され、萩の乱にも参加したが、後に陸大に進学した。 大正7年(1918)以降陸軍大臣次いで大将に進み、再び陸軍大臣。 大正14年(1925)政友会総裁、昭和2年(1927)内閣総理大臣となり外務大臣、拓務大臣をも兼務した 昭和4年(1929)没 男爵 萩城下町菊屋横丁、菊屋家住宅西側に残されていた。 |
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2016年03月26日
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