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高野山にはの、女(オナゴ)は入れえへんがのう、この慈尊院までは上れるんやよし。そやよってに、 ここは女人高野と云うんやして。花は知ってたわの。(有吉佐和子「紀ノ川」第一部) 有吉佐和子の「紀ノ川」は九度山の旧家の娘・花が、嫁ぐ日の朝、祖母・豊乃に連れられて訪れた慈尊院の 情景で始まる。 その慈尊院は道の駅「柿の里くどやま」から車で5分ほどのところにあった。 弘法大師空海が弘仁7年(816)高野山開創時に高野山詣での要所として、この地に伽藍を創建したののが慈 尊院の始まりである。 承和元年(834)讃岐国から空海を訪ねて、母の玉依御前やって来たが、高野山は女人禁制の為入山できず 慈尊院に留まった。 月の内9度、山上から空海が母を慰める為通ったと伝わる。 九度山の地名は、これに由来するという。 承和2年(835)2月5日玉依御前は83歳で死去したので、空海は弥勒菩薩を篤く崇拝していた母を追悼し、弥 勒堂を建てた。 慈尊(ジソン)とは弥勒菩薩の別名、古くより子授、安産を願って乳房型絵馬が奉納される。 表門(北門)は四脚門 左右の土塀とともに、天文9年(1540)紀ノ川洪水による旧慈尊院境内流失に残ったと言われる 室町時代末期建てられかけた三重塔初層を江戸時代前期寛永元年(1634)多宝塔として完成したもの。 本尊:胎蔵界大日如来 脇仏:胎蔵界四仏(阿閦如来、宝生如来、不空成就如来、阿弥陀如来) 境 内 慈尊院境内南側の丹生官省符神社の石段上より慈尊院境内を望む。 中央先(北側)に北門が建ち、右側の南側に拝殿、北側に弥勒堂(一部)が建つ。 写真には入っていないが左側に、多宝塔、鬼子母神堂、大師堂が建つ。 高野山奥の院燈籠堂を模して弥勒堂の本尊を拝む堂として建てられた。 本尊:弥勒菩薩坐像(国宝)秘仏 天文9年(1540)現在紀ノ川河川敷となっている嵯峨浜北方付近から現在地に移され、洪水の流出を免れた建物 重文 子宝、安産、子育てが願う女性が手作りして奉納したもの。 弥勒堂の前の柱や近くの絵馬掛けに多くの乳房型絵馬が奉納してあった。 豊乃は静かに合掌して眼を閉じた。花も倣って手を合わせたが廟の前の柱にぶら下がっている数々の 乳房形に気が付くとしばらく瞑目することを忘れていた。 それは羽二重で丸く綿をくるみ、中央に乳首のように絞りあげたもので、大師の母公と弥勒菩薩を 祀る霊廟に捧げて安産、授乳、育児を願う乳房の民間信仰であった。 実物大の大きさのものから径一寸ほどの雛型まで柱の上の方に沢山吊り下げられてある。 (有吉佐和子「紀ノ川」第一部) 境内西南隅大師像の隣に建っていた。 ゴンは高野山までの参詣者の道案内して愛された犬。 平成14年(2002)6月5日空海の母・玉依御前の月命日に天授を全うした。 |
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