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龍野は醤油の銘醸地とである。
醤油の起源は古いが、野田、銚子、小豆島とともに龍野に産地として成立したのは16世紀といわれている。
一説によれば、天正15年(1587)円尾屋孫右衛門、天正18年(1590)栗栖屋横山五郎兵衛によってはじめられたという。
龍野を流れる揖斐川の水、播磨平野からの豊かな小麦、山間部の質の良い大豆、近くの赤穂の塩と原材料に恵まれ、藩政時代には藩の保護もあって醸造地として栄え今日に至っている(今でも大小10社余りの工場があるとのこと)。
揖保川に架かる龍野橋上からは現代的な醤油工場が眺められるが、たつの市旧地に入ると、各所に醤油蔵が眺められ、伝統的商家とともに独特の風情を漂わせていた。
樽の唄
樽を緊め 樽を轉がし 唄うたふ
ふるさとの醤油倉の 白壁の一つづき
日は晴れて 河原蓬の花がさく
のどかな昼に人は出て 麻の袋をかはかせる
青垣の山を繞(メグ)らし 瀧つ瀬の玉より白い
ふるさとの はりまのくによ
昔より今に 醤油つくる
人は人につぎ 唄は唄へとついで
(三木露風「昼間の幻影」)
ヒガシマル醤油工場
龍野橋上からの眺望
うすくち龍野醤油資料館
旧菊一醤油合資会社の本社事務所として昭和7年(1932)建てられた。
木造であるが、外観は煉瓦造りに見えるルネサンス様式の建物。
その後龍野醤油株ーヒガシマル醤油株の本社事務所として使用された。
国登録有形文化財
19世紀中ごろに建てられた醤油蔵2棟とともに昭和54年(1979)「うすくち龍野醤油資料館」として開館した。
醤油蔵
うすくち龍野醤油資料館展示室
醤油の醸造工程、江戸時代から昭和初期にかけて使用されてきた用具類、設備類を展示し、わかりやすく解説してあった。
うすくち龍野醤油資料館別館
残念ながら、改修工事のため4月から休館であった。
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播磨淡路風土記
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佐用町のひまわり畑を見物した帰り、JR姫新線本竜野駅に12時近く下車した。
暑い盛りであったが、ここまで来たついでに播磨の小京都といわれる龍野を散策しようと思いついたからである。
駅構内の観光案内所で、見どころを聞き、地図を貰い出かけた。
駅前の道を進み、揖保川に架かる龍野橋を渡ると古い商家の並ぶ通りがあった。
この通りには薬屋、和菓子店、地場産業が醤油製造らしくこうじ屋などが並び、一番奥には明治時代から開いているという書店があった。
コンクリートやガラスなど無機質な都会の町並みとは違い、こころ安らぐ街であり、ノスタルジックな町であった。
童謡赤とんぼのふる里の像
駅前に建つ。
童謡「赤とんぼ」の作詞で知られる三木露風の出身地である。
古い商家の並ぶ街角
和菓子店
こうじ屋
かどめふれあい館
明治後期に建てられた町屋を再建した
休憩所。
たつの市消防団龍野第十分団
町並みの景観に合わせた建物となっている。
伏見屋書店
明治時代からあり、龍野出身の三木露風、三木清、内海青潮らが本を買い求めたという。
伏見屋書店内部
2階吹き抜けとなっており、天井中央からも採光する」構造となっている。
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佐用町林崎地区のひまわり畑は満開だった。
畑の一画には「世界のヒマワリ」と銘打ったひまわり畑があり、いくつかの種類のヒマワリが栽培されていた。
その中の「ゴッホのヒマワリ」、「ゴーギャンのヒマワリ」は前稿で紹介した。
それ以外のものを紹介しておこう。
サンリッチオレンジ
サンリッチフレッシュオレンジ
バレンタイン
プロカットオレンジ
ジェイド
レモンエクレア
フロリスタン
ルビーィクリップス
プラドレッド
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十日ほど前、佐用町のひまわり畑が見ごろになっているとのニュースがあった。
そこで天気のよい、人出が少ないと思われる平日の昨日行ってきた。
車で行くのが一番良いのだが、JR姫新線播磨徳久(ハリマトクサ)駅までJRで行き、そこからタクシーでいった(徒歩で20分くらいらしいが暑い中、道順も良く分からないので歩く気がしなかった)。
JR姫新線の車窓からもひまわり畑が広がっているのを眺められたが、花はもう終わっている感じであった。
タクシーの運転手の話では、そこは宝蔵寺地区で花期はもう終わって閉じているとのこと。
今は林崎地区が盛りという事でそこへ運んでもらった。
佐用町林崎地区ひまわり畑は約6.7ha の面積に約34万本栽培されているという。
数字を言われても良く分からないが、山間の平地に相当な面積で今は最盛期に花を咲かせていた。
人があまり来ない内と思って朝早く来たのであるが、昼近くになると、大型観光バスが次々とやってきて、大勢の観光客を吐き出した。
タクシーの運転手の話によれば、休日にもなると、渋滞するほどになるとのことであった。
「ひまわり畑」といえば、
どこまでも続くロシアの大地に、累々と続く戦士の墓標を連想させるひまわりの畑が延々と続く光景が、ヘンリー・マンシーニの音楽と共に思い出されるのだった。
そして改めて気付いた。
あのシーンは、この暑い太陽の下に輝く花・ひまわりと、真逆の悲しい物語や哀感漂う音楽とのアンバランスが素晴らしかったのだと。
世界のヒマワリ園に植えられていた
世界のヒマワリ園に植えられていた
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我が家の前の幼稚園の桜は相当散っている。
もたもたしている内に桜の季節は終わろうとしている。
本表題についても本稿で最後にしよう。
大天守閣修理見学施設「天空の白鷺」を出て、西北腰曲輪から「にの門」を出ると石垣と土塀の道を下る。
この辺りは城内ではの独特の風景だ。
その中に在って、「にの門」の破風には珍しい十字紋の鬼瓦があり、また、石垣には秀吉が修築の時老婆が供出したという「姥が石」があった。
そして、いたる所に植えられている満開の桜が望まれた。
天気は来た時は青空だったが、天空の白鷺に上っているころから靄が出、天気もやがて曇ってきた。
姥ケ石
羽柴秀吉が姫路城を築く時、石集めに苦労した。城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんが、そのことを聞き、使っていた臼を寄付したので、秀吉は喜んで石垣に使った。
この評判はすぐ町中に広まり、国中からたくさんの石が寄付され、城の建築は急速に進んだという。
しかし、「姥ケ石」が積まれている石垣は、秀吉が死んだ後の池田輝政が築いたものなので、この話は伝説にすぎない。
この話の他に、「姥ケ石」にはお婆さん(姥)は妊娠しない(孕まない)ことにかけて、石垣も孕まないようにとのお呪いで積まれたという説もある。
にの門東方上土塀
にの門から撮影
にの門東方上土塀
にの門櫓と十字の鬼瓦
にの門櫓の唐破風屋根に乗っている鬼瓦には十字紋が彫られている。
キリシタンの名残とか、魔除けともいわれるが、日本の城には珍しい門瓦とのこと。
にの門東方下土塀
土塀
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