ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

播磨淡路風土記

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JR御着駅から西北に徒歩7分ほどの所にある「播磨国分寺跡」の北側に牛堂山国分寺が建っている。

南に面する山門は播磨国分寺の金堂のあった場所に、その北奥に建つ本堂は講堂のあった場所に建ってい

る。

牛堂山国分寺は真言宗のお寺で、寛永16年(1639)姫路城主松平忠明が再建したもので、由緒としては播磨

国分寺とは直接関係ないようだ。

どこまで本当か知らないが、伝承によれば、神功皇后が三韓出兵の際、霊夢に霊牛が現われた。

これは戦わずして勝つ瑞祥だと占われ、ここに檀を築き大威徳明王の化身である霊牛を祀った。

その後聖徳太子が伽藍を築き、山号を牛堂山と名付けたという。

また、伽藍造営時に霊牛が現われて、山中から巨木を運んだという伝承もある。

これは、この地が牛鹿氏の本拠で、その協力で国分寺が出来たことを暗に示していると言う説もある。

境内には観音堂、開山堂、本堂などが建ち、五智如来坐像、宝篋印塔、石仏などが置かれてあった。

観音堂前の芙蓉、池の蓮が満開であった。




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                                 山 門
様式は医薬門。牛堂山の山号に相応しく蟇又には牛の彫刻が配されていた。




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                                 観音堂
もと市内の八重畑にあった奥の院から移したもの。
本尊の十一面観音立像は秘仏、厨子の前にお前立ちの観音像が安置してあった。
播磨西国三十三ヶ所観音霊場 第三十二番札所
ひろきのの 花の車を ひきつれて 牛堂山に まいりこそすれ



イメージ 5 開山堂
聖武天皇神像並びに徳川将軍家歴代の位牌を祀っているそうだ。





イメージ 6 本堂
本尊:薬師如来像(秘仏)
脇侍の日光・月光菩薩像、12神将像
釈迦如来像、大威徳明王と牛の像を安置
本堂に向って左前にも牛の青銅像






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                              五智如来坐像
柔和な顔貌の丈六の石仏。 元禄年間造像の紀銘があるという。
中央の智拳印を結んでいる仏様は          ●阿閦如来       ●不空成就如来
   金剛界大日如来であるから                 ●大日如来
   右のような配置のはずだ。             ●阿弥陀如来      ●宝生如来
しかし、印相から見ると向かって右手前の石仏が
弥陀定印を結んでいるので阿弥陀如来となる。一般的な配置でないのかも知れない。


イメージ 8 宝篋印塔
説明書によれば、室町時代初期の造立と推定。
端正な姿で各部が完備、
請花台石などの装飾が珍しい。






イメージ 9 石仏
向って左から
観音菩薩、不動明王、地蔵菩薩か?

JRにて姫路に向う時、JR御着駅を過ぎると、北側に播磨国分寺跡が見える。

一度確認したいと思いながら、このためにだけと言う思いもあってか、まだ行っていなかった。

偶々今回それに気付くと同時にその気になって、JR御着で降りた。

駅前の案内地図を頼りに、西北に7分ほど歩くと播磨国分寺跡が広がり、北側に現在の国分寺が建ってい

た。

播磨国分寺は言うまでもなく、天平13年(741)聖武天皇の国分寺・国分尼寺建立の詔により創建された。

往時には2町四方の寺域に南大門、中門、回廊、金堂、講堂、七重塔、僧坊等の壮大な伽藍が建ち並んで

いたらしい。

昭和43年(1968)から本格的調査が行われ、中門と金堂を回廊が結び、その東西に塔を配し、南大門−中門

−金堂が一直線に並ぶ「国分寺型」の伽藍配置であることがわかった。

なお、金堂、講堂が在ったらしい位置に、現在の国分寺が建っている。

平成5年(1993)史蹟公園として整備されされた。

現在創建当時の伽藍配置に基づき、塔や門、回廊などの基壇や、築地塀の一部が復元されている。

また、東隅に伽藍配置の縮小模型が置かれ、広大な寺域を持つ奈良時代の播磨国分寺の姿偲ぶことが出来

るようになっていた。



イメージ 1 播磨国分寺跡配置図



イメージ 2国分寺跡標柱



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                              国分寺跡(塔跡)
塔跡は、出柄式の心礎を中心に、大半の礎石が原位置を留めてる。
高さ約60mの七重塔が建っていたと考えられるそうだ。



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                               国分寺跡
南大門跡から北を望む。北の建物は牛堂山国分寺




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                             国分寺伽藍配置模型
手前が北。




イメージ 6播磨国分寺跡碑




イメージ 7復元築地塀
国分寺跡の西側に造られていた。

なんだかんだとあった今年も今日一日で終わる。

福島原発事故の一刻も早い「真の意味での」終息と東北地方の早い復興、円高に苦しむ日本経済の建て直

しを来年こそはと祈りながら年を越すことになりそうだ。

午前中、近くにある、明石の魚の棚(地元の人はウオンタナという)に行ってみた。

例年どうり、年末年始の食料品の買い物客でたいそう賑わっていた。

ここは鯛の姿焼きが名物で、これを焼いている店では、焼きあがるのを待つ客が長い列をなしていた。

見ていると一匹2千円から5千円が売れ筋のようだった。

:)も来年こそメデタイようにと祈りを込めて一匹買い求めた。


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                               魚の棚センター街


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                               鯛の姿焼を焼く風景

 関 連 記 事



日岡山公園の西端にある日岡神社から木々の茂る丘陵を上っていくと日岡御陵の正面に出た。

日岡御陵は、第12代景行天皇皇后・播磨稲日大郎姫命(ハリマイナビノオオイラツヒメノミコト)のお墓とされる大きな前方

後円墳だ。

明治16年(1883)姫路総社の神主・庭山武正の考証に基づき御陵とされたもの。

稲日大郎姫命(播磨国風土記では印南別嬢=イナミノワキイラツメ)は若武吉備津彦命(ワカタケキビツヒコノミコト、吉備津彦命

の弟)の娘で、景行天皇がはるばる大和から妻どいして皇后になった。

古代日本の英雄・日本武尊はその子である。

その後、稲日大郎姫命(オオイラツヒメノミコト)は亡くなられ、葬送の儀が行われた。

遺体を天の鳥舟に安置し、印南川(加古川)で渡御の儀式が行われた時、川は増水で濁流が渦巻き、更に

大風が吹いて、天の鳥舟は稲日大郎姫命の遺体と共に濁流に呑み込まれてしまった。

その後、必死に遺体の行方を求めたが、遂に分らず、ただ「匣(クシゲ)」と「褶(ヒレ)」だけが見つかり、

これを墓に葬ったと伝えられており、「ひれ墓」とも呼ばれている。

近くの展望台からはこの一帯がほぼ360度眺められ、其の眺望はすばらしいものだった。


イメージ 1 御陵の表示板


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                           御陵拝所


イメージ 4 展望台からの眺め(西)
播磨平野を突き抜ける加古川が横たわっていた。


イメージ 5 展望台からの眺め(南)
加古川市街の先は製鉄所をはじめとする工業地帯。
煙突が林立していた。

天気が良いので加古川市の日岡まで足をのばした。

JR加古川線日岡駅で下車し、線路に沿うようにして15分ほど歩くと、日岡山公園についた。

その西側に日岡神社が鎮座していた。

この神社は播磨一帯では安産の神社として知られているが、今は七五三のシーズンとあって、着飾ったお

子様を連れた家族連れ、成長を祈願する姿が多く見かけられた。

日岡神社正一位日向大明神ともいい、天平2年(730)創立と伝えられる。

祭神は天伊佐々彦命(アマノイササヒコノミコト)。

第12代景行天皇の皇后・稲日大郎姫命(イナヒオオイラツヒメノミコト)が懐妊し皇子・櫛角別王(クシツノワケノミコト)を出産した時

非常に苦しまれた。

そこで次に懐妊した時、天伊佐々彦命(アマノイササヒコノミコト)が七日七晩安産をひたすら祖神に祈願した。

すると、無事美乃利の地で安産した。

御子は大碓命(オオウスノミコト)と小碓命(オウスノミコト 後の日本武尊)の双子の皇子だった。

皇后・稲日大郎姫命(イナヒオオイラツヒメノミコト)は神社東の日岡御陵に祀られている。

因みに、天伊佐々彦命(アマノイササヒコノミコト)は崇神天皇が派遣した「四道将軍」の一人せ、桃太郎伝説のモデル

ともいわれる吉備津彦命であると言う説があるという。

イメージ 1 日岡神社
七五三に訪れる家族連れが多かった。



イメージ 2

                                  社 殿
社殿は鉄骨鉄筋コンクリート造りで、絵馬殿を兼ねた割拝殿の先には祝詞殿、本殿と続く
主神:天伊佐々彦命(アマノイササヒコノミコト)
相殿:豊玉比売命(トヨタマヒメミコト)、鵜草葦不含命(ウガヤフキアエズノミコト)、天照皇大御神(アマテラスオオミカミ)
   市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)


イメージ 3 イメージ 4
                         絵馬殿に掲げられている絵馬



イメージ 5 絵馬棚の絵馬
大碓命(オオウスノミコト)と小碓命(オウスノミコト)の双子の皇子が産湯につかる絵柄だ。

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