ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

摂河泉風土記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

藤井寺から東に向ってぶらぶら歩いた。実はこの辺りは「古市古墳群」の中にある。

地図を広げると、仲哀天皇陵、仲津媛陵、允恭天皇陵、応仁天皇陵などの大型古墳をはじめ多数の古墳が

点在するのが知れる。

古墳を望みながら小1時間ほど歩くと、道明寺天満宮の前に来た。

道明寺天満宮は、勿論菅原道真を祭神にしている神社だが、ほかに天穂日命(アメノホヒノミコト)、道真の叔母・覚

寿尼を祭神としている。

古代、殉死をなくすため埴輪の使用を考え出し、土師氏の祖と伝えられる野見宿禰(ノミノスクネ)が祖神・天穂

日命(アメノホヒノミコト)を祀って創建した土師神社が始まりとされる。

推古2年(594)土師八嶋が同社附近にあった自宅を喜捨して土師寺を創建した。

奈良時代末、道真の曽祖父・土師古人が菅原姓を賜った。

延喜元年(901)太宰府に左遷となった菅原道真は、淀川を下る途中、土師寺に立ち寄り、自らの姿を彫っ

た木造を叔母の覚寿尼に遺して立ち去った。

延喜3年(903)2月25日菅原道真は太宰府で没した。

死後半世紀近く経った天暦元年(947)道真の遺した木造を土師寺の北の丘に祀られた。

これが天満宮の創祀となった。土師寺も、道真の別名道明をもって寺号とした。

道明寺は、明治5年(1872)神仏分離令によって分れたが、隣接して建っている。

道明寺天満宮の境内は静かだった。既に冬に入ったが、久し振りの陽射しに、背中は温かさを覚えた。


イメージ 1  参 道



イメージ 2  撫で牛、神牛舎
菅原道真は承和12年(845)乙丑(キノトウシ)の歳に生れた等、牛にまつわる伝承から境内に神牛舎や撫で牛が多くあった。


イメージ 3  拝 殿
拝殿の裏に幣殿と本殿が連なる権現造り

辛国神社は葛井寺から徒歩5分ほどの所にある神社で、延喜式に記載ある式内社。

祭神は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、素盞鳴命(スサノオノミコト)。

社頭から社殿までの参道は緑豊で、なかなか好い雰囲気の道だった。

5世紀、雄略天皇の時代、この地を治めた物部氏がその祖神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祀り、神社を創設し

たのが始まり。

物部氏の没後、渡来系氏族の辛国連が当社に係わり辛国神社と称するようになったと伝えられる。

室町時代、河内守護畠山基国の帰依を受けて春日社(天児屋命)を併祀するようになった。

明治41年(1908)葛井寺の鎮守社・長野神社(素盞鳴命)を合祀した。

イメージ 1 参 道


イメージ 2 社 殿

近鉄・藤井寺駅で下車し、駅前商店街を5分ほど歩くと目指す葛井寺(フジイデラ:寺の場合は葛井寺、地

名は藤井寺)が建っていた。

葛井寺は、正しくは紫雲山 葛井寺といい、真言宗御室派の寺院である。

日本に漢字をもたらした百済系王仁氏の子孫・葛井(フジイ)氏の氏寺として7世紀に造営された。

神亀2年(725)聖武天皇の勅願により本尊の千手千眼十一面観音が造立され、行基を導師として聖武天皇臨

席の上、開眼供養が行われた。  これにより、開創は神亀2年(725)開基は行基とされている。

平安時代には、阿保親王やその息子・在原業平らが諸堂を造営した。

その後一時荒廃したが、大和の藤井安基(ヤスモト)が伽藍の修築に尽力し「藤井寺」とも呼ばれる。

これが藤の字の藤井寺の地名として残った。

室町時代には兵火や災害により荒廃した。豊臣秀頼による四脚門の寄進はあったが、有力者たちによる寄

進はなかった。しかし、ますます盛んになった大衆による観音信仰により寺運は支えられてきた。

;)が訪れた時は、平日の真昼間であったが、参詣する人々が三々五々訪れ、真摯なお参りをしていった。

往時は金堂、東西両塔を備えた大寺院だったかもしれないが、現在は、藤井寺の街中にあって、千手観音

の無限の慈悲と安らぎを庶民に与える寺だった。

イメージ 1四脚門
慶長6年(1601)豊臣秀頼建立された旧南大門 重文
天明5年(1785)現南大門建立のため西門として現在地に移す


イメージ 2楼門(南大門)
寛政8年(1796)再建  重文
両脇に仁王像を安置


イメージ 3 イメージ 4
本堂
安永5年(1776)建立 重文
本尊は千手千眼十一面観音菩薩坐像(国宝 脱活乾漆造 手の数は、大手42本小手1001本あり、我が国仏像として最多数)。
西国三十三所霊場第5番札所
まゐるより 頼みをかくる ふぢ井寺 花のうてなに 紫の雲


イメージ 5石燈籠
本堂前に立つ山名所縁の石燈籠(レプリカ)。
花山法皇参拝の際、本尊の眉間から香の煙が出、境内の聖武天皇の寄贈の石灯籠にまでたなびいたと言う故事により山号を「紫雲山」と名付けられた。
本物は傷みが激しいので裏庭にて管理されている。


イメージ 6旗掛けの松・大師堂
旗掛けの松は、楠木正成が出陣にあたり、正行ら3人の息子に一致団結を誓わせたと伝わる。この松葉を持つと、力が付くと信じられている。
大師堂は弘法大師を祀る。


イメージ 7護摩堂
享保7年(1722)建立
明和2年(1765)現在地に移築


イメージ 8弘法大師お手掘り井戸
護摩堂の近くにある井戸 弘法大師手掘りと伝えらる。
眼の治療と心を開かせ開眼させる水として有名


イメージ 9絵馬
恋しくば  尋ねきて見よ  和泉なる                信太の森の   うらみ葛の葉

JR阪和線「北信太」下車、そこから徒歩数分で信太森葛葉稲荷神社があった。

和銅元年(708)鎮座で、その森は信太森といい、稲荷大神の第一の御命婦白狐が棲むと伝えられていた。

安倍清明が父・保名(ヤスナ)と狐の化身「葛の葉」との間に生まれたとする伝説がうまれ、

江戸時代 竹田出雲の「蘆屋道満大内鑑(アシヤドウマンオオウチカガミ)」として、歌舞伎や文楽でも上演され、

全国的に知られる伝説の舞台になったところである。

祭神の1柱として「葛之葉姫」が加わっていることをはじめ、葛之葉伝説所縁のものが境内にあり、ま

た、葛之葉伝説との関係が良く分らないが種々の神様を祀る石祠が多くあった。

イメージ 1 社 頭


イメージ 2 社 殿
祭神:宇迦御霊神、大己貴神、大宮姫命、素盞鳴命、猿田彦命、若宮葛之葉姫
本殿の奥に保名の御命婦白狐が身を写したという「白狐石」、葛之葉が保名の許から帰ったときに化したという「御霊石」を安置している。


イメージ 3 夫婦楠
楠大明神を祀る神樹。根元より二つに分かれているので「夫婦楠」という。枝振りが四方に繁茂しているので「千枝(知恵)の楠」とも言い伝えられている。


イメージ 4 姿見の井戸
稲荷大明神第一の御命婦白狐が「葛之葉姫」と化現した時、鏡に代えて姿を写した井戸という。
「葛之葉」が無事この森に帰りついたことから、交通安全を願う人々が姿を写している。
傍に、幹の太さは径15cmくらいの「白狐化身の樹」が生えていた。


イメージ 5 「葛之葉物語」の碑
白狐であることを知られてしまった「葛之葉」が障子に書き残した冒頭の歌が記してある。


イメージ 6 芭蕉句碑
葛之葉の おもてを見せり 今朝の霜


イメージ 7 和泉式部歌碑
秋風は すこし吹くとも 葛の葉の うらみがほには みへじとぞおもふ
和泉式部が夫・橘道真(和泉国司)と仲違いしていた頃、女流歌人・赤染衛門が慰めに贈った和歌「うつろはで しばし信太の 森を見よ かへりもぞする 葛のうら風」に対する返歌。共に新古今集に載っている。
  


イメージ 8 葛姫大神、千代丸大神の祠


イメージ 9 安倍大神・楠宮大神
知恵の神様


境内には、森吉大神・石切剣箭大神(できものの神様)、春高大神・春永大神・春言大神(目の神様)、白永大神(婦人病の神様)、梅鶴大神・福玉大神(胃の神様)、厳島大神(足の神様)、豊葦大神、などの石祠があった。


関連記事






阪急宝塚線中山駅と清荒神駅の間に売布神社駅がある。そこを下車して北、即ち山裾方向に約5分ほど歩

くと売(蕒)布神社があった。

境内は緑豊で参道を歩いて行くと階段があり、そこを上った先に社殿があった。

祭神は下照媛神(シタテルヒメノカミ 大国主命の娘)、天推彦神(アマワヒコノカミ 下照媛神の夫)で、この地に稲作や機

織を伝えた神らしい。

現在では衣食財の守護神として繊維、食品、金融関係者からの信仰が篤い。また恋愛・結婚成就の神様と

して崇敬されている。

この神社は推古天皇18年(610)創建で延喜式にも記載されている由緒ある神社だが、時代と共に忘れ去ら

れ、いつの間にか「貴船大明神」と呼ばれていた。

江戸時代中期、寺社奉行大岡越前守の命により畿内の地誌編纂中に当神社が売布神社であるこが明らかに

なり、天文元年(1736)社号を正し、その標石を立てた、と言う曰くのある神社だ。

ここで衣・食・財と家内安全、健康長寿など諸々祈願した。貪欲過ぎるとの声が聞こえそうだった。



イメージ 1

                         参 道


イメージ 2 社 殿
下照媛神(大国主命の娘)、天推彦神(下照媛神の夫)を祀る。


イメージ 3 標 石
社殿前に建っており、花崗岩製で総高91cm
建てた経緯を記した文書が地元に「売布神社石碑之覚」として原本と写が残っているとのこと。



イメージ 4 神武天皇遥拝所
神武天皇陵のある橿原市の方に向いているのであろう。

摂社として豊玉神社、厳島神社があった。椎を中心にした自然林に近い社叢は宝塚市の天然記念物だとの

こと。

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事