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清荒神清澄寺は「清荒神」あるいは「荒神さん」の名で知られている真言宗系の寺である。 境内を巡ると神仏混淆の名残りが色濃く残っているが、その中にあって近代的な建物も見られた。 それは境内の北側に建つ鉄斎美術館であり、境内の中心に設けられている池苑近くに建つ史料館であっ た。 清荒神清澄寺は宗教と芸術を通じて、清荒神に参詣する人々に平和と安らぎを与えたい、との理念がある とのことで、その具体化したものであるようだ。 境内案内図 昭和50年(1975)開館、当寺と所縁の深い富岡鉄斎(1836〜1924)の書画などの作品を約1200点収集・展示。 開館時間:10時〜16時30分 休館日:毎週月曜日 池 苑 本堂に向って左手前に設けられた庭園 史料館 池苑の側に建つ瀟洒な建物。6月27日まで、春季三宝荒神大祭を紹介する展示を行っていた。 春季三宝荒神大祭は、毎年4月27・28日行われるお祭で、28日午後から「庭儀百味練供養大法会」が行われる。 なお、史料館には何も断りが無かったので、展示物に向ってカメラのシャッターを切ったところ、係員が来て写真撮影禁止だと言われた。 撮影禁止だと知らずに撮ったもの。「庭儀百味練供養大法会」で、桜と橘を飾った天冠を被り、稚児装束に身を包み、百種の蔬菜・果物を捧げ持つ喜代寿女(キヨスメ)や執行童子のマネキンと榊立て 背後の3枚の写真は祭りの様子。 |
摂河泉風土記
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蓬莱山清澄寺は寛平8年(896)宇多天皇の勅願により創建された。 当時は、猪名の平野や武庫の浦が一望に見下ろせる山の尾根に築かれた。しかし、寿永2年(1183)源平合 戦や約400年後の天正6年(1578)後荒木村重の伊丹の合戦の兵火により焼失したが、天正10年(1582)豊臣秀 吉の復興により現在地に移った。 今は「荒神さん」の方がすっかり有名になってしまったが、本来は大日如来を本尊とする寺である。 本堂に来たら真言宗(昭和22年から真言三宝宗と称している)のお寺であることを再び呼び起こされた。
境内案内図
本 堂 天堂と並ぶ主要建物。安政年間(1854〜1860)に棟上されたと言う。現在の建物は5年の歳月をかけて修築され、平成5年(1993)竣工した。 正面に大日如来坐像、向って左に不動明王坐像、右に弘法大師坐像がまつられている。 石段の前に一願地蔵尊が立つ。地蔵尊の頭に柄杓の水を高々上げながら、一つの願い事をすればかなえていただけると言う。なお、水を地蔵尊の頭に届かせるには相当力がいった。 天堂から本堂に向う石段の途中にあった。明治時代、当時の忍随和上と光浄和上が、ある夜同じ稲荷明神の夢を見たことから、ここに新しく祀ったもの。 本堂から龍王瀧に向う途中に置かれてあった。 お釈迦さまの足型を石面に彫ったもの。インド初期仏教では仏像を彫ることは恐れ多く、法輪、塔、菩提樹などをもって仏を拝むと同じく礼拝の対象とされた。 この足型の紋様は金剛杵、双魚紋などがあり、多くの経典に千幅輪相があると説かれている。 境内の奥、荒神川に掛る小さな滝。左側に岩壁をくりぬいたところに不動明王が祀られている。 |
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山門をくぐりほどなくして左手に、石段の坂道があり、鳥居が建ち、手前には狛犬が鎮座し、正面には唐 破風の向拝を持ち、注連縄を付けられた拝殿が見える。まさしく神社の様式を示している。 ここが三宝荒神「荒神さん」をお祀りする天堂で、江戸時代まではどこの寺院もこのようであったろうと 思わせる神仏混淆の様相を呈しているのだった。 お寺から頂いたパンフレットによれば、清荒神清澄寺の略記は次ぎの様なものだ。 清荒神清澄寺は寛平8年(896)宇多天皇の勅願により創建された。 讃岐国の定円法眼(ジョウエンホウゲン)が天皇の命を受け、曼陀華(マンダゲ)の香木で刻んだ大日如来像を本尊仏 とし、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖とし、真言宗東寺の長者・益信(ヤクシン)僧都を導師として開創 された。 益信僧都は、西の谷に荒神尊を祀り、仏法守護、三宝の加護祈ったところ社前にあった榊の木に、荒神尊 の影がありありと現出した。これが「荒神影向の榊」と言われている。宇多天皇は、この霊験の報告を受 け「日本第一清荒神」の称号を下賜された。 境内案内図 天堂入口正面 手前には狛犬が鎮座し鳥居が建ち、正面には唐破風の向拝を持ち、注連縄を付けられた拝殿が見える。 「荒神さん」こと三宝荒神を祀る。唐破風の向拝や注連縄は神社の社殿を思わせる。 拝殿に棟続きとなっている。 上段には三宝荒神、歓喜天尊、下段には十一面観音菩薩を祀る。 毎日三座、三宝荒神、歓喜天尊の合行如宝浴油供の秘法が行われる。 天堂より小川をへだてて建つ神殿造りの堂。一般に「御本社(ゴホンシャ)」と呼ばれる。正面に大勝金剛転輪王、向かって右に歓喜童子、左に弁財天が安置。周辺には絵馬や祈願成就の千羽鶴が奉納されている。 御法堂の裏に廻ると、一本の木があり、鉄の柵に囲まれ、根元は白小石で化粧されている。白小石の上には貨幣が投げ込まれていた。 見ていると、参拝者が、そこに用意されている白木の棒を使って手元に引き寄せ持って行ってしまった。 榊の根元のお金を持っていくと何倍にもなるとか、御利益のあった人は一年後お返しする、ということになっているそうな。 眼神様とも言われ、昔、ここに霊水が湧き出て、眼の悪い人たちが眼を癒したと言われる。 龍王堂の本尊は善女龍王で水神社、古くから酒造、農業、火防の神として信仰を集めている。 火箸は竃の神様として信仰される荒神尊にあやかり、厄年の人が息災を祈って家に祀る。厄を火箸でつまみ出してもらうのだと言う。厄が明けた節分以降にお参りに来て、新しい火箸を添えてここに納める。 とても一人では持ちきれないような大きな火箸も納めてあった。 岩盤をくりぬいて、修験道の開祖・役行者(神変大菩薩)を祀る。 |
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阪急梅田駅から宝塚行きの急行に乗り込んだ。平日の10時ごろとあって、学生の姿を良く見かける。 30分ほど経ち、中山駅、売布神社駅と過ぎ、宝塚駅一つ前の清荒神駅で下車した。 清荒神清澄寺は、山号を蓬莱山と称し、北摂の山の麓に築かれ、大日如来を本尊とする真言宗寺院(昭和2 2年より真言三宝宗と称している)であるが、境内に祀る三宝荒神の方が有名になり、地元では「清荒 神」あるいは「荒神さん」と呼び、厄除け、竃の神として人々に親しまれている。駅名も「清荒神」だ。 そんな話を耳に挟み、人出の少ない今時を狙って出かけてきたのだった。 参拝者相手に土産物、仏具、小間物、あるいは食料品を売る店が並ぶ上り坂の商店街を過ぎると、荒神川に沿って道が狭くなり、店も出店に変る。縁日には押し合いへし合いの行列になるらしいが、今日は参拝者が少ないと見てか、開いていない店もあった。 駅から山門まで参道は約1.2kmあるが、山門近くに小さな石橋が架かっていた。 明治44年(1911)設置されたもので、橋が出来る前は、荒神川まで下り、身体を清め荒神さんに参拝したことから、現世と神聖な場所との境界とされてきたとか。 山門の前には「日本第一 清三宝大荒神王」と刻まれた石柱が建っていた。 山門の屋根は本瓦の様に見えるが、そう模した銅板葺きだそうだ。 境内案内図 山門をくぐると、正面に本堂、本堂手前の左手に天堂がある。 天堂に上る右側に、「修行大師」と呼ばれる弘法大師像と護牛神堂があった。 真言宗開祖弘法大師が錫杖と鉄鉢を手に諸国を巡歴した行脚姿の立像。 本尊牛頭天王が祀られている。 |
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山門を過ぎると、競うように現世御利益掲げ、参拝者の呼び込みを図っている様に塔頭寺院が5院並んで いた。 山門から奥に向って左側(写真では山門に向っているので右側)には華蔵院、成就院と並んでいた。 参道の両側にはシャクナゲの鉢植えが並べられており、それらが満開だった。 参 道 御利益が商売繁盛の毘沙門天像、戌・亥年守り本尊の阿弥陀如来像、を祀る。 財運豊厚の大聖歓喜天像を祀る。 学徳成就、入試合格、牛・寅年守り本尊の虚空蔵菩薩像、福徳円満の布袋尊を祀る |



