ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

摂河泉風土記

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V梅雨の中休みと言うのか天気は良いのだが、実に蒸し暑い。

岸和田に来たついでに、岸和田城に寄ってみた。

南海電鉄岸和田駅から約15分の街中ながら緑の多い、閑静なところにある。

天守閣の周りには水をたたえた堀をめぐらされている。

昭和29年(1954)に復興されたもので、城としての規模は大きいとは言えないが、

石垣、堀、城門(写真の反対側にある)を備え、城としての風格と景観は十分ある。


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建武元年(1334)楠正成の一族、和田氏が当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、
根拠地としたことから、「岸の和田氏」と呼ばれ、岸和田の地名の起こりとなったと言われる。
その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、
寛永17年(1640)岡部宣勝が入城し、以来13代続き明治を迎えた。
文化10年(1827)5層の天守閣が焼失した。
昭和29年(1954)その後に3層の天守閣を復興した。

満開の両岸夙川に花見

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5日夙川に花見に出かけた。
今年3月18日からJR神戸線に新しい駅ができた。さくら夙川駅だ。
さくら夙川駅から西に1分ほど歩けば夙川でその両岸の桜は満開だった。



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ひさかたの 光のどけき 春の日に しず心なく 花のちるらむ
                                         紀 友則

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに
                                         小野小町
関西国際空港を降りて連絡橋の先、対岸に高いビルが望める。それが「りんくうゲートタワー」で
橋を渡った最初の駅「りんくうタウン駅」の傍に建っている。
ビルのほとんどは「全日空ゲートタワーホテル大坂」となっているが、最上階は展望台となっている
と聞いたので、上ってみた。

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南海泉佐野駅より眺めたりんくうゲートタワー

最上階の54階に上るとほとんど視界を遮るものが無いので、360度パノラマで風景が眺め
られた。曇り気味だったにもかかわらず、西方向では淡路島や、かすかに明石海峡大橋が望め、
東側にはまっすぐ延びた関西空港自動車道の先に葛城の山々が望めた。

イメージ 2イメージ 3
関西国際空港と淡路島関西空港自動車道と葛城の山々

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左写真には関西国際空港から飛び立つ飛行機と上空で旋回している飛行機の
2機が写っているのだが、写真が小さ過ぎて分からない。残念!!
南海電鉄和歌山線とJR阪和線が交叉する(堺市)三国ヶ丘駅近くに日本最大の前方後円墳の
仁徳天皇陵がある。それをほぼ中心に約4km四方が百舌鳥古墳群だ。
その中に前述の仁徳天皇陵を始め、履中天皇陵、反正天皇陵、ニサンザイ古墳など、
4世紀末から6世紀初に築かれたと思われる古墳が大小100基以上確認されており、
47基が現存している。ここは古代日本の大霊地だったのだ。
観光コンベンション協会発行の「百舌鳥古墳群めぐり」というパンフレットを片手に
3陵(仁徳、履中、反正)などの古墳を見てまわった。
古墳はいずれも木々がうっそうと茂る小山で陵など大きな古墳になると山も大きくなり、
水濠がめぐらされている。
古墳の近くに堺市教育委員会による説明板があり理解しやすかったが古墳全体の形と
分布を目にすることができない。
高い所から見れば何とかなるだろうと思い、近くにある堺市庁舎21階展望台に上って見た.
南面に大仙公園を挟んで左に仁徳天皇陵、右に履中天皇陵、北東方向に反正天皇陵が見られたが、
教科書やパンフレットの写真のように水濠に囲まれた前方後円墳の形までは確認できなかった。:(

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イメージ 2上の写真 :21階展望台より南方向      左の写真 : 展望台より北東方向




下左の写真 : 仁徳天皇陵        下右の写真 : 御廟山古墳





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堺市鉄砲町界隈

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7月29日(土)の午後 堺市の鉄砲町とその近くを散策した。暑かった。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/00/04/asan19431007/folder/1044522/img_1044522_54953_0_thumb?-1
南海七道駅を降りるとロータリ側に「放鳥銃定限記」と刻した大きな自然石の碑があった。17世紀の某砲術家が師を賛辞した碑を建てた。しかし、いつしか地中に埋もれ大正13年出土した。それをはめ込んであるのだ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/00/04/asan19431007/folder/1044522/img_1044522_54953_1_thumb?-1
近くのダイセルの工場敷地脇には「鉄砲射的場跡」の碑があった。
早くから鉄砲が伝来した堺は鉄砲の一大生産地だったことから、この辺りは射撃場があり、明治初までその名残があったという。 

南海電鉄線をくぐる。この辺りは戦災にあわなかったようで古い家が残っている。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/00/04/asan19431007/folder/1044522/img_1044522_54953_2_thumb?-1
この中で井上鉄砲鍛冶屋敷は堺にただ一つ現存する江戸時代からの鉄砲鍛冶屋敷だそうだ。残念ながら内部は見られなかった。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/00/04/asan19431007/folder/1044522/img_1044522_54953_4_thumb?-1
又少し離れたところに、山口家住宅がある。これは母屋が江戸初期のもので、その後増改築が行われているが堺の豪商住宅の雰囲気を今日に伝えている。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/00/04/asan19431007/folder/1044522/img_1044522_54953_3_thumb?-1
戦災にあわなかったとはいえ、残った古い家の多くは鑑賞に堪えがたい状況にあったが、一軒の線香を扱う店はビルにせず、あえて街の雰囲気に合わせるように建てられていた。倉敷並とはいかないまでも、こういった家が多くあればと思った。

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