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遂に宮崎県には入り、高千穂峡に来た。 高千穂峡は、五瀬川が阿蘇の溶岩を侵食して出来たV字渓谷。柱状節理の断崖が高さ80〜100mに及び、そ れが約7Km 続く。 高千穂峡散策路の入口を下り、見上げると新旧3つの橋が眺められた。神都高千穂大橋、高千穂大橋、神 橋だ。 渓谷沿いの散策路を歩いていくと、周りは絶壁が続き、渓谷を覗くと柱状節理の岩肌がむき出しになって いた。 やがて、高千穂峡一番の観光スポット真名井の滝に来た。 展望台から眺めるこの風景はポスター等でもお馴染みだ。 真名井の滝の上にあるおのころ池の水と、岩壁から噴出する水が落下し霧状になっている。 滝の下は手漕ぎボートで遊覧できるが、風が無く蒸し暑かった。 真名井の滝の上にはおのころ池という水溜りと言って良いほど小さな池があり、その池の水源は道路を挟 んで反対側の岩壁から流れる玉垂れの滝の水である。 玉垂れの滝は百条の滝とも言われ、岩の割れ目から100筋ほど水が噴出していた。雨が多い時期には、噴 出する水量が多く実に壮観だとのこと。
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九州紀行
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われ嘗て この国を旅せしことあり あけがたのこの山上に われ嘗て立ちしことあり 肥の国の大阿蘇の山 裾野には青艸しげり 尾上には煙なびかふ 山の姿は そのかみの日にもかはらず 環なす外輪山は 今日もかも 思い出の藍にかげろふ うつつなき眺めなるかな
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肥の国の大阿蘇の山 駒あそぶ高原の牧 名もかなし艸千里浜 (三好達治「艸千里」艸千里浜)阿蘇登山道に入り暫らくすると、米塚が見えてきた。もうすぐ「草千里」だ。 米塚は阿蘇5岳の一つ、杵島岳の孫火山で、裾から頂上まで約80m。全体が牧草で覆われ頂上が少し凹ん でいるのは火口の名残り。 阿蘇の神・健磐龍命(タケイワタツノミコト)が人々の為お米を積み上げたのが山になったとか。 こんな話をガイドから聞きいている内、草千里についた。 は、平成4年(1992)二人の子供を連れて、ここに来たことがある。駐車場奥には火山博物館、レストラン、土産物店と並び、反対側には広々した草原が広がっている。 この光景は17年前と少しも変わっていない。 草千里は烏帽子岳中腹に広がる火口跡の草原、この壮大な風景は阿蘇を代表する観光地だ。 草原では、観光客相手の引き馬による乗馬をしているのも17年前とかわりない。 子供たちを馬に乗せたが、当時幼かった次男は、最初は非常に怖がっていたのを思い出した。 その次男も、今は に向って一人前の口をたたく社会人となっている。そんなことを思い出しながら、馬糞に注意しつつ、草原の中をしばらく歩いた。 少し目をずらすと、中岳の火口が見え、相変わらす噴煙を上げているのが確認できた。 |
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JR由布院駅に着くとフォームの片隅に足湯があり温泉地へ来たことを実感する。 同じグループかも知れないが、足を突っ込んでいるのは女性ばかりだった。 駅舎も女性受けする感じのスマートな建物だ。なんでも、大分県出身の建築家磯崎新の設計によるものと か。 駅を出ると、早速観光用の馬車が待っていた。乗って廻るも悪くないが、ここは自分の足で廻ることにし た。なお、散策路辺りでは人力車が客の呼び込みをやっていた。 由布院は由布岳(1584)麓の温泉地だ。保養温泉地だったが、20年ほど前から観光温泉地として、特に若い 女性に、人気のある温泉地だ。 由布院駅から由布岳裾の金鱗湖辺りまでが由布院観光スポットのようだ。 金鱗湖に向う散策路を行くと宿や美術館といったものが木々の間に点在するのが認められるが、散策路に 面してはお土産、雑貨、食べ物を売るちょっと小奇麗な店が軒を並べている。 食べ物では豆乳を使った製品をよく見かけた。「湯の坪」という露地で豆乳アイスクリームを買って、店 先の縁台に腰掛けてたべた。さっぱりした感じでおいしかった。しかし、格段に美味しいと言うわけでも なかった。 途中に「香椎荘」があった。2・26事件(昭和11年、1936)で戒厳司令官となった香椎浩平陸軍中 将の旧別荘だったそうで、現在は宿、料理屋となっている。 金鱗湖は木々に囲まれた山の中の極普通の池だった。 「金鱗湖は温泉が湧いていて水温が高く、冬に霧が出やすく、霧がかかった光景がいいんですよ。今は普 通に池と思われても仕方が無いでしょう。」と宿の女将が言っていた。 金鱗湖の名は、明治時代に、儒学者・毛利空桑が湖を眺めている時に魚が跳ね、うろこが夕日に照らされ て金色に輝いていたのを見たことに由来するそうだ。 由布岳は由布院へ着いた頃はよく見えたが、金鱗湖を見た帰りに写真を撮ろうとした時は雲にすっぽりと 隠れていた。 因みに、湯布院と書くこともあるが、湯平村と旧由布院町が合併して湯布院町となったからで、現在は 由布院市湯布院町である。
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別府は日本有数の温泉の町だ。いたるところに温泉の湯気が高く立ち上っている。 そんな別府の高台に位置する明礬温泉の「湯の里」を訪れた。ここでは江戸時代から「湯の花」を作 り続ける「湯の花小屋」が50棟ほど並んでいる。 この辺りは地表近くにまで温泉脈があり、地下から勢いよく温泉ガスの蒸気が噴出している。 温泉ガスが均等に噴出するよう栗石を敷き、その上に青粘土(モンモリロナイト)を敷き詰め、その上に わら葺屋根の三角小屋を建てる。小屋の寿命は長くて3年だそうだ。 温泉ガス中の成分と粘土成分が化学反応を起こし、白い結晶を作る。これが「湯の花」だ。 結晶は日に約1mm成長し、30〜60日で採取する。 「湯の花」は入浴剤として使い、水虫、神経痛、冷え性、しもやけなどに効用があるとのこと。 ここの「湯の花」作りは国の重要無形民俗文化に指定されている。
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石仏観覧券販売所、観覧券集配所をとおり最初に目にするのは「ホキ石仏第2群」である。 ところが、本来の参拝順路としては、先に紹介した古園石仏→山王山石仏→ホキ石仏第1群→ホキ石仏 第2群で、人の一生を表す壮大なパノラマとなっている、とのことだ。 山王山石仏は人の幼年期を示し、ホキ石仏第1群は青年時代から壮年時代の人生を表している、という。 そして、ホキ石仏第2群は老齢に至って悟り、極楽浄土へ旅立つ境地を示しているそうだ。 残念ながら、サトリとはまだ程遠い には、そのような解釈にはまったく気が付かなかった。ホキ石仏第2群全景 石仏の保護の為に設けられた覆屋の前には、多くの石塔が並べられていた。 ホキ石仏第1群第1龕 阿弥陀三尊像(中尊に阿弥陀如来坐像、脇侍として勢至菩薩立像、観音菩薩立像) 平安後期頃の作 ホキ石仏第2群第2龕 九品の弥陀像 平安末期の作 定印を結ぶ阿弥陀如来坐像を中心に左右4体づつの阿弥陀如来立像が並ぶ。これは平安末期から流行した9通りの往生の方法(9品)を表した9品仏であるとされている。
ホキ石仏第2群第2龕
9体の阿弥陀仏の左右にも菩薩・天部像が拝されている。ホキ石仏第2群前の石塔群の中にまだ水が湧き出ている井戸があった。 ホキ石仏第2群からの眺望 草原の先には満月寺が望まれる。磨崖仏のある「深田の里」は5院6坊からなる満月寺の広大な境内の一部だった。 |
は、平成4年(1992)二人の子供を連れて、ここに来たことがある。




