ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

九州紀行

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国東半島は両子山(フタゴサン 721)を中心にほぼ円形に広がる半島で、険しい山に覆われたこの地に、宇佐

神宮及び弥勒神宮寺の影響下、六郷満山と呼ばれる多くの寺院が建立された。

今回その一つ蓮華山富貴寺を訪ねた。

富貴寺は六郷満山の寺としては末寺にあたり、それほど大きな寺ではないが往時の面影を濃く残している

と言われている。

現在、富貴寺は天台宗の寺であるが、浄土経の色合いが濃いのが特徴で、大堂(阿弥陀堂)は九州では最古

で唯一の阿弥陀堂で、国宝だ。


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                                   入口の石段
石段の両脇に石殿、板碑、笠塔婆、石幢が建っていた。



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                                   仁王門
左右に石造りの素朴な仁王像が守っていた。


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                                仁王(吽形、阿形 )
寺伝に依れば、養老2年(718)仁聞(ニンモン)菩薩の開基といわれている。
富貴寺に限らず、国東半島に現存する寺の多くが仁聞菩薩を開基としているそうだ。
                                    


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                                   大堂(阿弥陀堂)
阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、内陣及び堂内は仏画が描かれている。
阿弥陀堂は、一間四面で宝形造りである。今では国宝になっているが、戦前は村の集会所であり、子供たちの遊び場であった、という。
ガイドに依れば、平泉の中尊寺、宇治の平等院と共に3大阿弥陀堂に数えられるとのこと。

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                                   本堂

藤原時代末期の作と言われる阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を安置。

宇佐神宮から車で15分位の所に「昭和の町」があるので寄る。

約500mほどの商店街で昭和20年〜30年代を思わせる看板を掲げたり、当時の商品を展示したりし、その頃

を偲ばせる店構えになっている店もあり、歩いていると、少し懐かしい気分になるが、同時に

最近の昭和ブームにのった地域起しの感は否めず、「開発から取り残された裏通り」「さびれた地方の商

店街」という感じがしない訳でもなかった。

見所と言えば、商店街入口の博物館「昭和ロマン館」や「旧共同野村銀行本社事務所」等があった。



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    昭和ロマン館
屋内に昭和20年〜30年代の商店街を復元していた


イメージ 1  昭和ロマン館
屋外に展示してあった懐かしいオート三輪車


イメージ 4  旧共同野村銀行本社事務所
野村財閥の祖・野村礼次郎が明治45年(1912)共同野村銀行を設立、昭和8年(1933)建てた本社事務所。
廃墟同然になっていたのを地元企業が買収し保存、博物館として活用している。
館内見学が出来、紙幣のコレクションや金庫が見られる。


イメージ 5  出会いの里

新幹線「小倉」駅に着いたのは9時半頃だった。そこから観光バスで約2時間走ると宇佐神宮に着いた。

全国に3万社とも、4万社とも言われる「八幡さま」の総本宮だ。

神代に3神の比売大神が御許山に降臨し、欽明天皇32年(571)応神天皇の神霊が八幡大神として現れた、と

と伝えられる。

神亀2年(725)現社地に八幡大神を鎮座した。これが宇佐神宮の始まりとされている。

天平5年(733)に比売大神、弘仁14年(823)に神功皇后(応神天皇の母、息長帯媛命オキナガタラシヒメノミコト)を祀っ

た。

宇佐神宮は大仏建立や、道鏡事件などで歴史にも関わりが深い、また、八幡大菩薩と言う呼び方でも知ら

れ、菩薩号を正式に最初に冠した神社で早くから神仏混淆が進んだところであり、これから廻る国東半島

は宇佐神宮とその神宮寺の弥勒寺の荘園だった、と言ったことを復習しながら参拝した。

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                                    大 鳥 居
額束が無く、台輪を柱上に置く宇佐鳥居と言われる形式。本宮までに、これを含め4つの鳥居がある。


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                                    西 大 門
文禄(1592〜1596)の頃改築されたといわれ、桃山風の華麗な門

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                                    上 宮
奥に国宝の本殿が建っている。一の御殿に八幡大神(応神天皇)、二の御殿に比売大神(田心媛神、瑞津媛神、市杵島媛神)、三の御殿に神功皇后(息長帯媛命オキナガタラシヒメノミコト)を祀る。
現在の建物は安政2年(1855)〜文久元年(1861)に造営されたもの
ガイドの指導で、各本宮前で2礼4拍手1礼でお参りした。


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                                    下 宮
弘仁年間(810〜824)に上宮の分神を鎮祭し、創祀された。


イメージ 5  初沢の池
京都の「大沢の池」、奈良の「猿沢の池」と共に3沢の池の一つ。後方は宝物館


イメージ 6  御許山
比売大神が降臨したと伝えられる山、上宮より望まれる。


イメージ 7  若宮神社
仁徳天皇とその皇子が祀られている。
天長元年(824)、同7年(830)神託があり、仁寿2年(852)建立


イメージ 8  禊所



イメージ 9  弥勒神宮寺跡
神亀2年(725)八幡大神が現在地に遷座した時、東方の日足の地に「弥勒禅院」が建てられた。天平10年(738)頃には金堂、講堂を建立しており、神仏混淆の早い例である。
鎌倉時代に最盛期を迎えるがその後衰退し、江戸末期には強風で倒壊しても再興されなかった。明治に入り、神仏分離令で境内の外に撤去され、現在は草むらに礎石が残るのみとなっている。



宇佐神宮に来てみて、宇佐神宮は神仏混淆が早くから進んだと言われるが、建物が全て朱塗りになってい

ること、八幡と言う言葉自体神道や仏教にある言葉でなく中国固有の言葉であること等を考え合わせる

と、私見ながら:)は中国文化、特に中国の道教の影響を強く受けているように思えた。
関門海峡が最も狭くなる早鞆の瀬戸を望み、関門橋の下に和布刈(メカリ)神社がある。

門司港駅から徒歩15分〜20分位か。

和布刈神社本殿前は海で、本来なら、700mに過ぎない対岸の下関側が手に取るように見えるのだが、今日

は霧が立ち込め何も見えなかった。

和布刈神社は仲哀天皇9年(200)比賣大神ら5柱を祭神として創建されたと伝えられる古社であり、

旧暦大晦日から元旦にかけての干潮時に、狩衣、烏帽子、白足袋、藁草履の姿の3人の神職が

約3mもある大きな松明に先導され、手桶と鎌を持って海に入り、ワカメを刈り採って神前に供え、航

海の安全と豊漁を祈願する和布刈神事が伝えられている。


イメージ 1

          和布刈神社社頭


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          和布神社社殿
門司港駅を歩いていると「門司港発祥の焼きカレー」と記した幟や看板がよく目に入った。

駅で入手した観光パンフレットにも紹介されていた。

それによれば、「諸説あるが、昭和30年代門司港にあった或る喫茶店が余ったカレーをグラタン風にオー

ブンで焼いたところ、好評を得たのが始まりと言う逸話が残っている」とのことだ。

昨年春に「門司港焼きカレー倶楽部」を設立し、地場グルメとして売り出そうとしているらしい。

旧門司三井倶楽部を見物していた時入口に「焼きカレー」の看板が立っていた。

一階のレストラン「三井倶楽部」でも焼きカレーをメニューしているようだ。しかも、公認店だ。


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とにかく、焼きカレーを食べてみようと、中にはいった。

レストランは少しレトロさとシックさを感させる落ち着いた雰囲気の店だった。

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早速、焼きカレーを注文した。

程なくして、芳しい香りと共に出てきたのが、これだ。(食後、なかなかいけるスイーツとコーヒーが出

た)

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瓦を模した金属製の器に盛られており、カレーの上にはチーズと玉子が乗せられ、カレーの具には河豚の

唐揚、烏賊、海老などが入ったものだった。大変美味だった。

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