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10時過ぎ金沢市の観光スポットのひとつ、ひがし茶屋街に行った。 夏の盛の午前という為か、観光客の姿は少なかった。 ひがし茶屋街は、もともと文政3年(1820)加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋を集めて町割りして出 来た「ひがし廓」跡である。格子戸と木戸、それに二階の造りが高い街並は藩政時代の面影を今に残し、 金沢では最も情緒のある街並で、国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、 観光ポスターやパンフレットによく紹介されている。 現在は土産物店、料亭・食堂、工芸品店などに生まれかわっているが、ひがし廓(お茶屋)の造りが残っ ているところもある。その一つが「志摩」だ。 「志摩」は文政3年(1820)に建てられた廓(お茶屋)の建物で、典型的なひがしお茶屋の造りとして国の 重要文化財として指定を受けている。そこが内部を一般公開していた。 一階は大戸、いろり、石室、井戸などが残っていた。 中庭には春日灯篭、槍灯篭などを配置した小粋な庭となっていた。 客間は二階で、押入れや物入れを造らず、遊興を主体とした粋な造りだ。 お客が床の間を背にして座ると、その正面が必ず控えの間となっている。 その控えの間が演舞の場となり、襖が開くと同時に艶やかな舞や三弦などの遊芸が披露されるのだ。 |
北陸紀行
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暑い!こんな思いをしながら昼ごろ高岡の駅を降りた。 駅前のロータリーには大伴家持が、2人の子供がカタクリの花を見ているところを、詠んでいる像が建っ ていた。 家持は高岡の伏木古越中国府に越中国守として5年間滞在していた。 かんかん照り付ける駅前の道を汗を拭き拭き10分くらい歩くと山町(やまちょう)筋にぶつかった。 御馬出町から小馬出町に続く山町筋は明治から昭和初期に建てられた土蔵造りの家が並んでいる。 明治の大火を教訓として防火の建てられたものだそうで、 現在、商家の土蔵造りの家が42棟建ち並んでいる。 明治35年建てられたもの。黒塗り漆喰の壁や、2階に設けられた観音扉、両袖の防火壁などは重厚さが漂っている。 内部は贅を凝らした数奇屋風の造りになっており、内部を公開している。 かって繊維問屋だった室崎家の住宅。「土蔵造りのまち資料館」として公開している。 羽岡家住宅 赤煉瓦造りのレトロな銀行 |
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県庁近くのホテルに泊まった。 今朝近くの富山城址公園へ行ってみた。 石垣と濠以外往時のものは何もない。現在富山城といわれるものが建てられていた。 昭和29年に開催された富山産業大博覧会に合わせて、旧本丸鉄門跡の石垣の上に建設されたものだ。 鉄筋コンクリート造りで、現在は郷土博物館となっている。 場内は意外と木々が多く、蝉の鳴き声が耳に入ってきた。 現在は地下駐車場の建設や千歳門(第10代藩主前田利保の隠居所「千歳御殿」の正門)の移築など、城址 公園整備工事を行っていた。
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富山県高岡市に来て、銅造の大仏が存在することを初めて知った。
しかも、歴史のうえで奈良、鎌倉に次ぐ 日本三大仏に数えられていると言うのだ。 鎮座する場所はJR高岡駅から徒歩10分位の場所と聞いたので、ぶらぶら行ってみた。 高岡古城公園近くに鎌倉と同じく屋外、即ち野ざらし状態で鎮座していた。 もともと木造の大仏があったのだが火事で消失したので、銅造の大仏をつくったようだ。 高岡は加賀藩時代からの伝統で銅器製品の生産が盛んである。 その技術の粋を集め、1932年(昭和7年)に完成した。 総高15.85m、重量65tの大きさで、美男では日本一と観光パンフレットに記してあった。 台座の下に入ってみると、回廊には仏画が展示してあり、中央に焼け残った木製の大仏の頭部が安置してあった。 |



