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この数日の降雪で、北国は白銀の世界となっているらしい。 その直前の12月23日 は福井駅を降りた。一見雪とは無縁の世界に見えた。だが、注意して見ると、すでに備えは怠りなくなされているようだった。 例えば、公園の樹木は雪吊りなどがされているし、道路は融雪の備えがされている。 街角には雪かき用のみどりのスコップが用意されていた。これは当地だけの風景だ。 みどりのスコップには「みどりのスコップひとかき運動」信号の待ち時間歩道の除雪に協力願いま すとの文面がそえられていた。 が見た時は手持ちぶたさの風だったが、今は大活躍しているに違いない。 |
北陸紀行
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前田利長墓所の南側に繁久寺が位置する。 山号を仙寿山と号し、北側にある前田利長墓所の御廟寺として造営された曹洞宗の寺である。 加賀藩から寺領が与えられ、代々墓を守ってきたが、安政6年(1859)焼失した。 現在の建物は文久2年(1862)再建であるが、規模や構造は元の堂宇をそのままに模したと伝えられる。 城門を思わす堅牢な山門をくぐると、境内は清閑の趣があった。 山門を中心とした回廊には五百羅漢像が安置してあり、豊かな表情に思わず心が和む。 羅漢像は色が未だ鮮やかに残り、一体一体に祈願安置した名前や奉納年月日まで読み取れる。 明治前半のものが一番多い様だった。 写真撮影は許してもらったが、ガラス戸を開けることは許されなかった。それゆえ反射を避けるため、 下から見上げるようにして撮った。 繁久寺を退出する頃、曇り空は雨空になっていた。
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高岡では昨日と全く違う天気だった。 雲が低く厚く空を覆い、今にも雨が降りそうな天気だ。 瑞龍寺と前田利長(加賀藩2代藩主)の墓所を結ぶ八丁道を通り、前田利長の墓所を参拝した。 長さが8丁(870m)あるので、こう呼ばれる。114基の石灯籠が並ぶ石畳の松並木道だ。 一部は雪吊りなどして冬越しらえがしてあった。 前田利長墓所 境内は森閑としていた。しかし、朝、夕の登下校時間になると、参道は近くの学校の生徒達の賑やかな通学路になっていた。 前田利長墓 堀に囲まれた中にある、見上げるほどの高さの石塔は11.75mと、武将大名の墓としては最大級だ。 前田利長は慶長19年(1614)没した。墓所は、若くして加賀120万石を譲り受けた義弟利常(加賀藩3代藩主)が33回忌に当たる正保3年(1646)築いたものだ。 |
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わざわざ羽咋に足を運んだ。 平成18年(2006)4月に仕事で来た時、偶然羽咋の名の由来と七塚の存在を知った。 しかし、その時は時間が無かったのでそれだけで帰った。 だが、それ以来七塚を巡ってみたいと思っていたからだ。 七塚巡りはJR羽咋駅から徒歩約5分の所にある羽咋神社から始まる。 ゆっくり見て回ったので約1時間かかったが、急ぎ足なら30分ぐらいで回れるだろう。 羽咋七塚の詳細な説明はここをクリック。 羽咋神社 祭神は石衝別命(イワツクワケノミコト)、相殿に石城別王(イワケワケノオウ:石衝別命の子、羽咋国造)等 石衝別命は垂仁天皇の皇子で、天皇の勅により、この地を平定し、開発した。死後ここに祭られた。 もともとの地はここから200mほど離れた、八幡の杜だったといわれている。 石衝別命の墓とされる県下最大の前方後円墳 大正6年(1917)陵墓参考地指定 石城別王の墓といわれる円墳 大正6年(1917)陵墓参考地指定 羽咋神社に祀られている石衝別命が、滝崎に棲む怪鳥を射落とした時、命に従っていた白、黒、斑の三匹の犬が怪鳥の羽を喰わえて噛殺した(羽咋の地名の由来)。この古墳は三匹の犬と怪鳥の墓といわれる。 三犬塚近くにある円墳。 頂上に、長方形の比較的大きな石が安置してあった。稲荷家の墓石か? 駅舎近くにひっそりとあった。 駅前のロータリーにある大きく枝を伸ばした樹の場所だった。かってはこの辺りは八幡の杜と言われ樹木が生い茂っていたが、駅前整備でこうなってしまった。ここが羽咋神社の元宮だったとも言われている。 駅ちかくの変電所の近辺にあった。塚と称するものは松の木一本だった。 |
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七尾に来て、朝食前にホテル周辺を徘徊する。 七尾駅前から御祓川沿いは5年位前とはすっかり様子が変っていた。 御祓川に架かる仙対橋を渡り一本杉通りをぶらぶら歩く。 一本杉通り沿いには七尾の老舗が並ぶ。ただ、7時頃故、店は閉じており、人影もほとんどない。 そんな通りの老舗の建物を見ていった。 仙対橋 御祓川に架かる橋 赤い欄干が特徴 高澤勇吉商店 酒屋店 軒先に掲げられている3枚の看板に歴史を感じる きもの処 凛屋 今年の「花嫁のれん展」は既に終了しているが、ここでは「花嫁のれん」を常設展示をしている。 花嫁のれんとは七尾の風習の一つで、花嫁が持参する嫁ぎ先の家紋の入った暖簾。 嫁ぎ先の仏間に始めて入る時仏間の入口に掛ける、また新婚夫婦間の入口に掛けるというもの。 加賀友禅で作られ、何十万円から何百万円するという。 最初はともかく、その後は箪笥の肥やしになっている例が多いそうだ。 高澤ろうそく店 建物:国・登録有形文化財 明治25年(1892)創業の和ろうそく店だ。2階にミニ博物館がある 建物は明治43年(1910)頃築の木造2階建ての土蔵造り 明治38年(1905)の七尾大火後に普及した七尾町屋の典型的な形と造り。 昆布・海産物処 しら井 北前船の寄港地の七尾。その伝統を引き継ぐ昆布、予約しておけば、職人による手削りおぼろ昆布の見学ができるとか。 鳥居醤油店 建物:国・登録有形文化財 藩政時代からの和菓子製造していたが大正14年(1925)醤油製造に転業 建物は明治41年(1908)に再建されたもので、木造2階建て土蔵造り 多田邸(旧 上野啓文堂) 建物:国・登録有形文化財 昭和7年(1932)頃築 木造2階建て、看板建築 万年筆・ペンなどの形態を造形化したユニークな外観を持つ看板建築 昭和初期の七尾における近代建築の象徴的建物。 昭和7年(1932)に開業した万年筆・文具店の上野啓文堂 は昭和37年1962)閉店した。 丸田昭和堂 創業昭和8年(1933)のお菓子屋 建物は最近のもの 御菓子処 花月 明治39年(1906)創業の和菓子店 建物は最近のもの 北島屋茶店 建物:国・登録有形文化財 明治37年(1904)頃築 木造2階建て(腕木構造) 明治37年頃廻船問屋であった津田嘉一郎が別宅として建築。 明治38年(1905)の七尾大火を免れた数少ない建築物。 紅柄色の格子戸の伝統的な腕木構造を伝える典型的な七尾町家といわれている。 昭和8年(1933)から北島屋茶店として営業。 藤本邸(リホーム前田) 建物:国・登録有形文化財 明治30年(1897)頃築 木造2階建て(腕木構造) 明治38年(1905)の七尾大火を免れた数少ない建築物。 ナカノ間上部の吹き抜けに架かる指物(梁、束、貫)は見事で伝統的な腕木構造を伝える、典型的な七尾町屋と言われている。 明治30年頃穀物商の新井佐助が建築、後に仏壇業を営む藤本栄吉が移り住んだ。 現在は遺族が管理している。 |
は福井駅を降りた。一見雪とは無縁の世界に見えた。


