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敦賀港にそって車を走らせていると、金ケ崎近くの海岸に瀟洒な建物が建っていた。 旧敦賀港駅舎である。 日本海を日本の内海にしていた戦前、敦賀は大陸への玄関口だった。 敦賀港駅からは「欧亜国際連絡車」が発着していた。 当時のものかと思っていたら、平成11年(1999)開催された「つるがきらめきみなと博21」に再現された ものだった。 中に入ると、敦賀港の歴史や観光をパネルなどで展示していた。 |
北陸紀行
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JR高岡駅から徒歩約10分のところに瑞龍寺はあった。 瑞龍寺は加賀藩3代藩主前田利常が2代藩主前田利長の菩提寺として建てた曹洞宗の寺で、日本で唯一現 存する七堂伽藍様式である。 寺の前は八丁道といわれる参道でその先(瑞龍寺と反対方向先)は前田利長の墓所だ。 門前で拝観料を支払い、まず総門に向う。 堂々たる薬医門様式の総門は正保年間に建立されたものとのこと。 総門を抜けると砂利を敷き詰めた空間が広がり、その先に山門が聳えるように建っていた。 山門は文政3年(1820)の再建で国宝だ。 山門では左右に金剛力士像を配し、楼上には釈迦如来、十六羅漢を祀っているとのこと。 山門を抜けると緑の芝の境内となりその先に仏殿が建っていた。 総門、山門、仏殿、法堂は一直線に並び山門、仏殿、法堂は「日」形の回廊で結ばれている。 そのシンメトリーな美しさに圧倒される。 仏殿の屋根は金沢城石川門と同じく鉛瓦が葺かれている。 なお、仏殿は万冶2年(1659)建立っされ、山門、法堂と共に国宝である。 仏殿の中に入る、文殊・普賢両菩薩を脇侍とした釈迦如来像が祀ってあった。 仏殿に向って右側の回廊沿いには大庫裡、鐘楼などがある。 それらを覗いたが綺麗に清掃され、厳しさが感じられ、いかにも禅寺らしい雰囲気を漂わせていた。 回廊をつたって一番奥の法堂に向う。 法堂は明暦年間(1655〜1657)に建てられ、国宝に指定されている。 法堂は2代藩主前田利長の位牌を安置している。 構造は方丈建築に書院建築を加味したものとなっている。 法堂の玄関にはビンズリさんが鎮座していた。信者が自分の患部に相応するこの像の体部をなでると病気や傷が治癒すると聞いているが、足の先から頭のてっぺんまで悪いところだらけの はどこをなでてよいのか分らず、結局拝んだだけで,どこもなでなかった。回廊の外に石造の前田利長、利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠の分骨廟があった。 石廟の中には小さな宝篋院塔が安置してあった。 |
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能登へ来た序でに七尾の小丸山公園に寄ってみた。 JR七尾駅から徒歩約10分の所にある。 前田利家が天正9年(1581)信長より能登一国を与えられた時ここに城を築いたのが小丸山城である。 今は公園となっている城址の、本丸跡といわれる丘の頂辺りに「小丸山城址」の碑があり、周囲はソメイ ヨシノが植えられていた。 桜の名所となっている様だが、もう花は散って、地面は花びらでピンクの絨毯を敷いた様だった。 本丸跡に「前田利家と松子之像」が建っていた。 平成14年(2002)NHK大河ドラマ「利家とまつ」が放送されるのを機に平成13年(2001)建てられたものだ。 昨年の能登大地震で被害あったのでは、と思って再び訪ねたのだが、碑も像も全く損傷はなかったようだ った。 ソメイヨシノの花期は既に終わっていたが、わずかであるが別種の桜が咲いていた。 それらの隙間から、青い海の七尾湾が眺められた。 七尾駅まで一本杉通りを歩いた。多くはないが漆喰壁の建屋の店舗が散在していた。 昔はこういった建屋が軒を連ねていたのだろうか? 七尾駅前は再開発で4,5年前と随分様子が変っていた。 |
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金沢で兼六園のほか西茶屋街、忍者寺の名で知られる妙立寺等に足を延ばした。 |
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3月29日(土)富山市八尾から金沢に入り、久しぶりに兼六園に足を運んだ。 兼六園には今まで数度訪れたことがある。桜が満開の時、杜若が咲いている時、紅葉の秋、冬支度に入っ た時だ。何時訪れてもそれぞれの趣があり美しかった。 今回は(金沢では)桜の蕾はそうとう膨れてはいるが開花は未だで、この数日は寒気が訪れ寒く、小雨が 時折降る生憎の天気だった。 しかし、園内は思ったより観光客は多かった。春休みで、且つ土曜日の所為かも知れぬ。 桜の開花は未だだったが、梅林の梅が満開だった。そして、今まで気が付かなかったが、木の根元の苔が 美しかった。これは新しい発見だった。 唐崎松 山崎山 曲水 根上松 梅林 琴軫(コトジ)灯篭 |
はどこをなでてよいのか分らず、結局拝んだだけで,どこもなでなかった。


