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正宮を参拝した後、内宮の境内を逍遥する。 内宮の宮域内にある2ヶ所の別宮(荒祭宮、風日祈宮)、と皇大神宮所管社の3ヶ所(子安神社、大山祇神 社、瀧祭神)を参拝した。 メインロードの宇治橋から正宮に続く表参道から外れると、参拝者の姿はぐっと減る。 静寂な森の中に佇む社に、神の息吹が直接感じ取れるような森厳さに満ちていると、思うのは だけだろうか? 別宮・風日祈宮(カザヒノミノミヤ)だけは直前の島路川(五十鈴川の支流)に架かる橋を渡らねばならない。 祭神:級長津彦命(シナツヒコノミコト) 級長戸辺命(シナトベノミコト) 外宮の別宮風宮と同じ祭神 「太平記」にはこの宮の神威は、かの元寇追い払ったと、神職たちが伝えたことを記している。 「宝殿の鳴動する事やや久し。六日の暁天に及びて、神殿より赤き雲日一村立ち出て天地を輝し 山川を照す。 其光の中より、夜叉羅刹の如くなる青色の鬼神顕れ出て土嚢の結目をとく。 火風其口より出て沙漁を揚げ大木を吹き抜く。 測り知れぬ、九州発向の凶賊等、この日すなはち滅ぶべしと云うことを。」(「太平記」巻第四十) (風の宮の社殿が鳴動したかと思うと、そこより夜明けの空に赤い雲が立ち上り、この世を輝かせ照らした。 その光の中から青い色の鬼神が顕れ、土嚢の袋の口を開ける。 すると火の風が噴出し、水底にいる櫨を宙に巻き上げ、大木も倒したのだった。 我等は知った、九州に攻め寄せた凶賊がこの日たちまち滅亡するに違いないことを。) 祭神:天照大御神の荒御魂 子安神社(手前) 祭神:木花開耶姫命 願掛けのミニ鳥居が無数に奉納されていた。 大山祇神社(奥) 祭神:大山祇命 祭神:瀧祭大神 御手洗場近くの杜の中にあった。 拝殿はあるが本殿はない。 |
東海紀行
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是の神風の伊勢の国は、則ち常世之浪、重浪(シキナミ)帰する国なり、傍国(カタクニ)のうまし国なり、 是国に居なんと欲ふ (「日本書紀」巻第六 垂仁天皇) 天照大神が伊勢のこの地に降臨したのは約2000年前の第11代垂仁天皇26年(BC4)のことである。 当初天照大神は、倭大国魂神と共に宮中に祀られていた。 しかし、崇神天皇6年(BC92)、二神の神威を畏れ、天照大神を豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に託して大和の 笠縫邑(カサヌイノムラ)に祀り堅固な神域を立てた。 垂仁天皇25年(BC5)豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)から倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に替えた。 そこで、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は天照大神を鎮め祀るべき地を求めて大和から丹波、紀伊、伊賀、近江、 美濃、尾張を回って伊勢に入った。 「伊勢の国は常世の波が絶えず寄せてくる。大和の国のそばにあるすばらしい国であるから、ここに鎮ま りたい」と冒頭の有名な神託により、倭姫命は、五十鈴川を上り、そのほとりに宮を建てられた。 神宮外宮(豊受大神宮)から神宮内宮(皇大神宮)へはバスで移動した。10分ほどであった。 鬱蒼と木々が生い茂る神路山と島路山を源とする五十鈴川に架かる宇治川をわたる。 整然とした神苑を過ぎ、参道途中の御手洗場で五十鈴川の水に手を浸す。 この後、森厳で重厚な気配を感じさせる杉木立の参道を歩けば、天照大神を祀る正宮の前に来た。 やはり第一の格式を誇る神宮だけあって、平日であるにも係わらす、参拝者が絶えることが無い。 「伊勢の神宮ほど清冽な霊気に打たれる聖域はない」と誰かの本に書かれていたが、その通りかも知れな い。しかし、それは人の列が絶えた後の静寂さが戻ってきた時ではないか、と思った。 宇治橋は長さ101.8m、幅8.42m 檜造りの橋 俗界と聖界の架け橋と言われる。 橋の内側と外側に高さ7.44mの大鳥居が建つ。 大鳥居は内・外宮の旧正殿の棟柱が用いられている。 橋は62回式年遷宮の4年前に当る平成21年(2009)に架け替えられた。 鬱蒼とした神域の杜が広がる。 五十鈴川は、長い旅の後、この地に至った倭姫命が、裾の汚れを濯いだという伝承から「御裳裾川(ミモスソガワ)」とも言われる。 御手洗場 ここで五十鈴川の水で手と口を清める。 坂十仏「伊勢太神宮参詣記」に「此河は世の滅尽せんときに濁るべしと神託あり」と記されている。此河とは五十鈴川であることは言うまでもない。広大な神域の鬱蒼とした森がこの清流の源であることを思えば、最近の乱開発や、自然破壊がここにも及ぶようであれば、本当にこの世の終りだと思わずにはいられない。 正 宮 四重の御垣内の奥に、天照大神を祀る正殿が建つ。 正殿の千木(チギ)は先端を水平に切る内削(ウチソ)ぎ 伊勢にまかりたりけるに、大神宮に参りて詠みける
榊に清らかな木綿を垂らして一心に祈れば、神も仏であることだ、というこの歌から神と仏が一体だとみ なす本地垂迹思想である。伊勢神宮も「神仏混淆」の流れに飲み込まれていたことを示している。
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JR鳥羽駅から伊勢市駅までは約15分だった。伊勢市駅の前、すぐ近くにが神宮外宮だ。 「外宮先祭」と言って、神宮の祭典はまず外宮から行われる慣わしがあり、参拝も外宮からするのが正式 とされる。 平日に係わらず意外に参拝者が多い。流石「お伊勢さん」だと思った。 神宮外宮の正式名称は「豊受大神宮」で、祭神は豊受大御神(トヨウケオオミカミ)。 第21代雄略天皇22年(478)天照大御神の求めによって丹波国から御饌都神(ミケツカミ 食事を司る神)である 等由気大神(トユケノオオカミ 豊受大御神)が迎えられたのが外宮の創建である。 それ故、御垣内の御饌殿では毎日朝夕の2度天照大御神に神饌を奉る祭りが毎日行われていると言う。
豊受大御神は農耕、産業に係わり、衣食住の恵みを与えてくださる神として、古来から庶民の信仰を集め ている。 伊勢市駅から徒歩5分ほど。 此処を渡って第一鳥居から正宮に続く表参道を歩む。 正宮前にある3つの石を置いた場所 パワースポットだそうで、参拝者がパワーを得る為、手をかざしていた。 特に若い人が多かった。 勿論 もした。四重の御垣の最も奥、内院に建つ唯一神明造りの御正殿に豊受大御神を祀る。 屋根の両端に聳える千木(チギ)は垂直に切る「外削ぎ」の形式。 祭神:大土乃御祖神(オオツチノミオヤノカミ) 外宮が建つ山田原の地を守る神 祭神:級長津彦命(シナツヒコノミコト) 級長戸辺命(シナトベノミコト) 風と雨を司り、農耕の守護神 元寇の際には、神風で蒙古軍を退散させたとされている。 祭神:豊受大御神荒御魂 100段近い石段を上った木立の中に鎮座する。 明治以前は「高宮」と書かれた。 |
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鳥羽湾巡りの遊覧をした後、ホテルに入るには時間が早すぎるので、半ば時間つぶしで二見浦(フタミガウラ) へ来た。 我々が二見浦に着いた頃、丁度観光バス数台での団体が来ていたところだった。 最初、それを知らない我々は、流石二見浦は(鳥羽と違って観光客で)賑わっていると思った。 しかし、団体さん津波が去るとひっそりとしてしまった。 二見浦での観光スポットはやはり海上の夫婦岩だ。 日の出の遥拝所として古くから知られている。 かって二見浦神宮参拝にあたって海に入って穢れを洗い清める海垢離(ウミゴリ)の浜として「清き渚」と呼 ばれたそうである。 今でも此処は、「輿玉神石」を御神体とする二見輿玉神社の境内である。 夫婦岩は、実は更に其の先にある(沖合い610m先)に鎮まる「輿玉(オキタマ)神石」の鳥居とみなされている。 男岩と女岩を結ぶ大注連縄は「結界の縄」と称され、大注連縄のある向こうは常世神が太平洋の彼方から 寄り付く聖なる場所、そして手前が俗世という訳だ。 第11代垂仁天皇の時、皇女・倭姫命が天照皇大神の神霊を奉載して、この二見浦に船を停め、神縁深き猿 田彦大神出現の神跡である海上の「輿玉神石」を敬拝した。 即ち、夫婦岩に注連縄を張り、拝所を設けたが、その後天平年間(729〜749)に僧行基が輿玉社を創建。 明治に入り、宇伽御魂大神を合祀して二見輿玉(フタミオキタマ)神社と称した。 猿田彦大神は天孫降臨の際、又伊勢神宮鎮座の時道案内したので、古来交通安全の守護神として広く信仰 されている。 遥拝所、境内の参道などに沢山の蛙の置物があった。 蛙は大神の使いと信じられ、境内に沢山ある置物は、「無事にかえる」、「貸したものがかえる」などの 縁起により、御利益を受けた方々の献納によるものだという。 夫婦岩の手前の岸に設けられている遥拝所から、東日本の早い復活を祈願。 男岩は高さ9m、女岩は高さ4m 2つの岩を結ぶ大注連縄は長さ35m 男岩に16m、女岩に10m巻き付け、其の間9m この大注連縄は、凡そ650年前には既に張られており、現在も氏子により大注連縄張替神事が年3回(5月5日、9月5日、12月の第3日曜日)行われている。 夫婦岩の間からの日のでは5月〜7月頃が見ごろと言われている。 遥拝所の前には二見蛙の置物や、輪注連縄が奉納してあった。 祭神:猿田彦大神、宇伽御魂大神 「満願蛙」が置かれており、緑色の蛙に水(願)をかけるのだそうだ。 |
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友人達と1泊2日の予定で鳥羽・伊勢の旅行に出かけた。 最も観光は、序でであって、ホテルで温泉に入り、飲み食べるのが主たる目的だ。 だから、幹事は、一応ホテルの手配はするが、後の予定は着いてから考えると言う有様だ。 (こんな奴でも、職場では、計画表を睨み、予定だ、工程表だ、と喚いている。) かような訳で、JR鳥羽駅に着いたのは12時少し過ぎた頃で、とりあえず近くのレストランで昼食を執っ た。 この後どうしようかと思案していると、遊覧船の誘いがあり、それで鳥羽湾内を遊覧することになった。 東日本大震災の影響であろうか、それとも偶々か分らないが、乗船した遊覧船は他に客はなく、我々の貸 切の様な状態であった。 生憎の薄曇で、渥美半島などは、ほんの薄らとしか見られなかったが、柔らかい日差しに下、仄かな潮風 に吹かれながら、鳥羽湾内の島々を見ながらのんびりと過ごす約40分間の遊覧を終えたのだった 今夜投宿するホテル 鳥羽湾を眼下に納める高台に建つ。 この先が伊勢湾となる。 先に渥美半島が薄らと見えた。 入れ違いに、他の会社の観光船が出発していった。 |
だけだろ

