ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

関東紀聞

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所のさまは、男山の気色よりも、海見はるかしたるは、見所ありとも言ひぬべし

大名ども浄衣(ジョウエ)などにはあらで、色々の直垂にて参る、出づるも、やう変りたる
                                        (後深草院二条「とはずがたり」巻4)
(鶴岡八幡宮が鎮座する場所の様子は、石清水八幡宮が鎮座する男山も景色よりも、海の眺望がきく点で
見所があるといえるだろう。大名たちが、神事や祭事に着る浄衣などではなく、色とりどりの直垂で参詣し、下向しているのも、男山の様子とは変わっている。)

建長寺からやや下り道を10分ほどあるくと鶴岡八幡宮の裏手に着いた。

早速本宮に参拝し、大石段を下り、舞殿をすぎ参の鳥居から段葛を歩き、弐の鳥居へ来ると、JR鎌倉駅前

に来ていた。

今回は普通に参拝に行く順と逆に来た訳だ。それ故、写真は分りやすい様に逆の順に並べた。

円覚寺や建長寺は参拝者が多かったが、鶴岡八幡宮はそれ以上に多かった。何か祭事でもあるのだろう

か?と思わず尋ねてしまった位であった。中には着飾った子供連れを良く見かけた。15日は過ぎている

が七五三であろう。

鶴岡八幡宮は康平6年(1063)源頼義が奥州平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際して加護を祈

願した京都石清水八幡宮を由比ヶ浜に勧請したのが始まり。その後治承8年(1180)鎌倉に入った源頼朝は

直ちに神意を伺って現在地に遷座し、承久2年(1191)鎌倉幕府の宗社にふさわしく現在の姿に整え、鎌倉

の町造りの中心とした。

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  弐の鳥居                            参の鳥居


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                            舞殿
下拝殿ともいい、静御前が義経を想い舞ったと伝えられる若宮廻廊跡に建っている


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                            大石段
舞殿背後にある幅広い石段。上った先には本宮が建っている。
大石段の中段の脇に(向って左側に)樹齢千年とも言われる大銀杏が立っている。
建保7年(1219)1月27日夜右大臣拝賀の儀式後この階段を下りてきた三代将軍源実朝が頼家の子・公暁に殺害された。


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                            本宮
祭神は応神天皇、比売神、神功皇后
正面に総朱塗りの楼門・随神門が建ち、奥に社殿が続く。
文政11年(1828)江戸11代将軍徳川家斉が造営した代表的江戸建築で、秀忠が修造した若宮と共に重文となっている。

ただちに仏殿にむかう、ゆくての右を嵩山(スウザン)という

古木雲を凌ぎ、常磐の松に秋の色をまじえ、折から山の端えいわんかたなし。
                                         (沢庵和尚「鎌倉の記」)

建長寺は中国宋時代の禅宗寺院を模して造られたと言われているが14、15世紀に起こった数度の火災によ

り、現在の建長寺には鎌倉時代の建物は残っていない。

江戸時代に入り、高名な沢庵和尚や金地院崇伝の進言、徳川幕府の後援などによって再建・復興し、平成

15年(2003)の創建750年事業によって現在の姿となった。


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                                   唐門(勅使門)
方丈の正面にある屋根が唐破風の門。正保4年(1647)増上寺、崇源院霊屋(現仏殿)の前の門を移築したもの。


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                                  方丈(龍王殿)
総門と同じく、京都の槃舟三昧院より昭和15年(1940)移築したもの。建物は享保17年(1732)の建立


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                                  方丈庭園
方丈の背後にあり、大覚禅師(蘭渓道隆)の作庭で日本最古の禅庭園。
創建750年を記念して平成15年(2003)に大改修。右側の総二階建ての建物は得月楼と称し、平成14年(2002)に建設されたもの



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                                  嵩山門
奥には開山堂、や専門道場の西来庵等が建ち並んでいるが、門から奥は一般に公開されていない。

先づ建長寺にむかう。左の偏門には海東法窟という額有り。右の偏門には天下禅林と額有り。

正門には巨福山という額あり。山門には西燭の筆にて、巨福山長興国禅寺と二行に小額あり・・・
                                              (沢庵和尚「鎌倉の記」)

JR北鎌倉駅近くにある円覚寺を参拝した後、山間を行く自動車道に添って15分程歩くと建長寺に着いた。

方向音痴であるが全く迷わなかった。と言うのも、:)と同じように建長寺に向う人が多く、蟻の行列よろ

しく流れに従っただけであった。

午前は曇り空の天気もようやく晴れてきた。門前の食堂で「けんちんうどん」を昼食代わりにたべた。

茹でたうどんに「けんちん汁」をかけたものだ。この「けんちん汁」は目の前の建長寺が元祖とか。

けんちん汁は「建長汁」と書き、中国式に「ケンチャン汁」と読んでいたのがいつの間にか言いやすいよ

うに「けんちん汁」になったらしい、と何かの本(多分、五木寛之の「百寺巡礼」だと思う)で読んだこ

とがある。

建長寺は巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山である。

建長5年(1253)鎌倉幕府5代執権北条時頼が、宋僧蘭渓道隆(ランケイドウリュウ)を開山として建立した我が国最初

の禅寺である。伽藍配置は、創建当時とは変化しているとはいえ、総門、三門、仏殿、法堂が一直線に並

ぶなど、中国宋時代の禅宗寺院の色彩が濃い。

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                                   総門(巨福門)
天明3年(1783)建立され、京都の槃舟三昧院より昭和15年(1940)移築したもの。
「巨福門(コフクモン)」と書かれた額の「巨」の字に、点が一つ余分についている。


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                                   三 門
三解脱門の略(重文)。正面中央に金色文字が鮮やかに「建長興国禅寺」と彫られた額が掲げられている。
楼上には釈迦如来坐像を中心に左右に五百羅漢像が安置されているそうだ。
この門は安永4年(1775)再建されたもので、狸が再建を手助けした伝説により、別名「狸の三門」とも言われている。
今でも大きな門であるが、かっては今の2.5倍の大きさで、門の幅は左右の山すそにまで達していたそうだ。


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                                   仏 殿
正保4年(1647)東京芝増上寺より徳川2代将軍御台所・小督の方(江、崇源院)の霊屋(寛永5年=1628完成)を移築したもの(重文)。
本尊地蔵菩薩を安置している。
禅寺で良く見かける柏槇(ビャクシン)の大木が7本植えられていた。開山蘭渓道隆(ランケイドウリュウ)が植えたものと言われている。


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                                   本尊 菩薩地蔵像
像高約2m(目測)の像だ。禅宗の本尊は釈迦如来が安置されることが多いが、ここでは地蔵菩薩、かってここが処刑場だった名残りか?
隅には大覚禅師(蘭渓道隆)来日の縁をつくり、寺院の土地建物を守護する神・伽藍神(土地神)が祀ってあった。


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                                   法堂(拈華堂)
文化11年(1814)再建(重文)。本来仏像を祀らないが、現在千手観音菩薩像祀っているとのこと。
天井画の雲龍図は平成15年(2003)小泉淳作によるものとか。
訪れた時は堂内でクラシックコンサートを催しており、堂は閉められ、堂内に入ることができなかった。



                                   

繰り返しになるが、鎌倉8代執権北条時宗が円覚寺を建立した。

その意図は国家安泰であったと同時に、文永2年(1274)と弘安4年(1281)の二度に及ぶ蒙古襲来の際、戦士

した彼我の兵士の菩提を弔う為だった。

円覚寺山内には塔頭寺院が18あり、その中には時宗を弔う寺院もあった。


佛日庵


弘安7年(1284)に没した北条時宗の廟所として建立された。

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                                     開基廟
堂内には時宗以外にも、子供の貞時、孫の高時の木像と十一面観音菩薩坐像(鎌倉霊場第33番)が安置されている。
現在の開基廟は文化8年(1811)に改築されたもので、堂の下に各遺骨を納めた石棺あるといわれている。


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                                      本堂
南北朝時代の地蔵菩薩坐像(鎌倉霊場第14番)と鶴隠周音木像が安置されている。


イメージ 3絵馬
開基廟に奉納されている絵馬は白鹿伝説に因む絵柄となっていた。北条時宗は蒙古襲来に際し、ずばぬけた才能で幕府をまとめあげていたことから、学問の神、開運の神と崇められているという。


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                                茶室
境内の高台にあり、庭先には大仏次郎が寄進した枝垂れ桜が植えられ、茶室には「咽足」と記した額が掲げられていた。



黄梅院

北条時宗の夫人・覚山尼が時宗の菩提のために建立した華厳塔の地に、後に足利氏が夢想国師の塔所とし

て建立した。

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                                黄梅院山門
境内は静寂とした雰囲気だった。色づいた木々と共に、ナンテン、センリョウ、マンリョウ、ビナンカヅラ、コムラサキシキブ等の実物が綺麗だった。

円覚寺は弘安5年(1282)北条時宗によって建立された。鎌倉、室町時代は鎌倉五山の第2位として栄え

た。

しかし、数度の大火に遭い、衰微したこともあったが、江戸末期に誠拙和尚が伽藍を復興し現近の円覚寺

の基礎を固めたと言われる。

因みに、五山制度とは、中国のそれをモデルにした禅宗寺院の寺格制度で鎌倉末期に始まった。五山には

京都と鎌倉の寺がランクされ、室町期に数度の変更を経て整備された。鎌倉五山は1386年以来、第一位は

建長寺、第二位は円覚寺、第三位は寿福寺、第四位は浄智寺、第五位は浄妙寺の順であった。(松尾剛次

「鎌倉 古寺を歩く」)

円覚寺の山内を巡っている間に、雲が薄くなり、時々青い空が雲間から覗くようになった。


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                                    唐門
方丈及び方丈庭園の正面にある門


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                                    方丈
方丈庭園の百観音から眺めた方丈。百観音は石版に線刻された観音像と石仏が交互に並べられたいた。


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                                    方丈 
方丈の名はインドの維摩居士の居室が一丈四方だったことに由来する。本来は住職の居間であるが、多くの宗教行事が行われる。


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                                    方丈庭園 

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