ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

関東紀聞

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朝は天気が非常によかったが、所用を済まし再び東京駅に戻った時は、今にも雨粒が落ちてくるような曇

天になっていた。


平成24年(2012)10月1日JR東京駅の丸の内駅舎が5年4か月にわたる復原工事が完了し、大正3年(1914)創建

当時の姿によみがえり、グランドオープンしたことは、TV,新聞等に大々的に報道されたので良く覚えて

いる。

しかし、東京駅まで来ることがなかなかなく、今回やっと眺める機会を持ったのだ。

雨が降り出さない内にと急いで、向いの―復原工事と深い関わりのある―新丸ビルに行き、7階テラスか

ら眺めた。

ここからは東京駅の丸の内駅舎の全容が良く眺められた。

総工費500億円。昭和20年(1945)5月25日の東京大空襲で焼失した3階部分や南北のドームを復活し、

屋根の一部は東日本大震災で大きな被害が出た宮城県石巻市雄勝町産の天然スレートを使っている。

また、基礎に免震装置を組み込んで耐震性を向上させている。

ところで、500億円もの工事費はどこから捻出されたものか不思議に思っていた。

改正建築基準法・都市計画法によって認められた特例容積率適用制度(最初の適用事例)を使い、丸の内地

区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出され、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して東京

駅の復原工事が行われたことを、相当後で知った。

この様な訳で、新丸ビルを「復原工事と深い関わりのある」と述べたのであった。

東京駅の駅舎は創建時の威容を戻した。

しかし、建設された当時は周囲を睥睨していた駅舎も、今では周囲を高層ビルが囲むという状況になって

いる。


イメージ 1

                             東京駅丸の内駅舎全景
八重洲口側に建つ背後のビルは右(南)側よりパシフィック・センチュリー・プレイス丸の内ビル(PCPビル)、グラントキョウ・サウスタワー、グラントキョウ・ノースタワー


イメージ 2 丸の内北口





イメージ 3 丸の内中央口





イメージ 4 丸の内南口




イメージ 5 中央正面




イメージ 6 南ドーム





イメージ 7 新丸ビル(新丸の内ビルディング)
平成19年(2007)竣工 地上38階地下4階
7階テラスから東京駅丸の内駅舎の全容が良く眺められる。

将門首塚を参拝した後、時間があったので、皇居東御苑へ行ってみた。

内堀通りをわたり、大手門より入る。

三の丸尚蔵館では「華麗なる近代京焼ー有栖川家伝来、乾山伝七の逸品」とのテーマで「色絵四季草花図

食器」などを展示していた。

さらに奥の同心番所、百人番所を抜け、新緑とツツジが美しい二の丸雑木林、二の丸庭園を散策した。

この後、平川門に抜ける、または本丸を横切り北桔梗門に抜けるコースがあるが、:)は時間がないのと、

この後丸の内で人と合わねばならないのでここでUターンして大手門に向かった。



イメージ 1 大手門
枡形門である。
内側の渡櫓は昭和43年(1968)再建されたもの
昭和20年(1945)4月戦災で焼失した旧渡櫓の鯱が近くに展示してあった。



イメージ 2 三の丸尚蔵館
皇室に代々受け継がれてきた絵画・書・工芸品や宮家からの遺贈品などを展示することを目的に平成5年(1993)開館。
現在「華麗なる近代京焼ー有栖川家伝来、乾山伝七の逸品」展を開催中




イメージ 3 同心番所
番所とは警備詰所のこと。
同心が詰め、主として登城する大名の供の監視にあたった。



イメージ 4 百人番所
奥の番所ほど位の上の役人が詰めていた。
ここでは甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていた。
各組には同心が100人づつ配属されていた。




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                               二の丸雑木林
昭和天皇のご発意により、武蔵野の面影を持つ樹林として昭和57年(1982)〜60年(1985)にかけて整備されたもの。




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                                二の丸庭園
池、菖蒲田、ツツジの植え込みからなる庭園。 端には諏訪の茶屋が移されている。
ツツジが満開であった。
後1か月したら花ショウブやサツキが見頃になっているだろう。




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                                諏訪の茶屋
諏訪の茶屋は江戸時代には吹上地区(現在吹上御所などがある一帯)にあった。
この建物は明治45年(1912)再建されたもので、明治期の茶室風建物として優雅な外観を持っている為、東御苑整備に当たりここに移された。


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                                案内図

夫れ聞く、かの将門なる者は天国押撥御宇柏原天皇の五代の苗裔、三世の高望王の孫なり

其の父は陸奥鎮守府将軍平朝臣良持なり。舎弟下総平良兼朝臣は将門の叔父なり

しかれども、良兼は、さんぬる延長九年を以って、いかさか女論に依りて舅甥の中、既に相違ふ
                                                     (「将門記」)

昨夜は雨だったが、今朝は良く晴れていた。

昨日の天気予報では曇りのち時々雨と言っていたが・・・。

ここ大井町のホテルから品川方向に眼をやると、都心の高層ビル群越しに二つのタワーが望まれた。

8時半ごろ東京駅に出て、大手町辺りをぶらりぶらり歩く。

オバマさんが来る所為か、常時なのかわからないが、お上りさんから見ると、お巡りさんの姿が多い。

皇居濠近く、大手町パルビルの西の街区、三井物産ビル南側に将門首塚があった。

今まで大手町に来た場合、いつも地下街・通路を歩くので、長い間将門首塚を見つけられずにいた。

そのため、今回やっと探しあてたという感じだ。

ビルに囲まれた一画でありながら、樹が生い茂り、木陰を造っていた。

南隅に古い石塔とそれを隠すように前に「蓮阿弥陀仏」と刻まれた板碑が建っており、多くの生花と線香

が手向けられていた。

平将門は桓武天皇五代の末裔で、平氏の姓を授けられた高望王の孫、鎮守府将軍平良将の子である。

平氏一族の抗争の果て、兵を起し、坂東8か国を制圧し、自ら新皇と称したが、天慶3年(940)平貞盛、

藤原秀郷らの征討軍に敗れ、額に矢が命中して討死したといわれる(天慶の乱)。

将門の首級は京に送られ晒し首になった。

しかし、3日後白光を放って東方に飛び去り、ここ武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。

大地は鳴動し、太陽も光を失って暗夜の様になったという。

そこで、村人たちは恐怖して塚を築いて埋葬した。

しかし、その後も将門の怨霊は祟りをなした。

徳治2年(1307)時宗2世真教上人が江戸に行脚した際、荒れ果てていた塚を修復し、将門に「蓮阿弥陀仏」

という法号を贈り、塚前に板石塔婆建てた。

又霊を傍らの日輪寺に供養し、当時傍らにあった神田明神に霊を合わせ祀った。

その結果、将門の霊魂は鎮まり、この地の守護神となったという。

神田明神が移転した後も塚はこの地に残ったが、明治2年(1869)より第二次世界大戦時まで、この地に大

蔵省が置かれ、一時崩されるなど幾多の変遷があったが、昭和45年(1970)将門塚保存会などにより現在の

様に整備されたとのことだ。合掌



イメージ 1    イメージ 2
                     東京タワー(左)、東京スカイツリー(右)

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                                 遠望の都心




イメージ 4 将門塚
将門塚のある一画は緑豊かだった。
奥に、大蔵大臣阪谷芳郎の「故跡保存碑」が建ち、
奥右手に将門首塚があった。




イメージ 5 将門首塚
復刻された板石塔婆が建ち
生花、線香が手向けられていた。



イメージ 6 将門首塚
板石塔婆の裏には、古い石塔が建っていた。

ここに新皇甲冑を着て、駿馬をははやめて身自ら相戦ふ

時に現に天罰有りて、馬は風のごと飛ぶの歩みを忘れ、人は利老が術を失へり

新皇はそらに神鏑(シンテキ)に当たりて、終に逐鹿(タクロク)の野に戦ひて、独り蚩尤(シイウ)の地に滅びぬ
                                                     (「将門記」)


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                                案内図
友人達とは、小田原で遅めの昼食を執った後、1年後の再開を約して解散した。
 
幸い雨はやんでいる。 は、時間があると思ったので近くの小田原城祉公園に行った。
 
小田原駅から東海道線に平行に伸びる道路「お城通り」を5分ほど歩くと旭丘高校に突き当たりその裏が小田原城址公園だった。
 
公園内を1時間ほど巡ったが、公園内には再興された天守閣をはじめ、常盤木門、馬出門、銅門や隅櫓などが再興あるいは復元されてあった。
 
町の中心にあり、緑豊な公園は、天気がそれほど芳しくないにも関わらず多くの市民が訪れていた。
 
小田原城が始めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられる。
 
その後、16世紀初めには戦国大名の北条氏の居城となった。
 
北条氏は関東支配の拠点として次第に拡張し、豊臣秀吉の小田原攻めに備えた時は、城下町を囲む延長9kmの及ぶ総構の出現により、城の規模は最大に達した。
 
北条氏滅亡後、徳川家康の家臣大久保氏が城主になると城は近世城郭の姿に改修された。
 
大久保氏改易後、城は破却されるが、寛永年間(1624〜1644)に稲葉氏が城主になると再び改修工事が実施され城の姿を一新する。
 
大久保氏が再び城主になるが、元禄16年(1703)の地震により天守をはじめ、城内の各施設はほぼ倒壊焼失してしまう。
 
その後、本丸御殿を除き再建され、小田原城は関東地方の防御の要衝として幕末まで存続した。
 
明治3年(1870)廃城となり、売却された後次々と解体された。
 
城跡は御用邸時代を経て、地元自治体に払い下げられ、本丸を中心に「城祉公園」として整備されている。
 
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馬出門と隅櫓
馬出門土橋(現めがね橋)から城内に入り、馬出門から住吉橋、銅門(アカガネモン)に向かう。
 
 
 
イメージ 2
 
馬出枡形
二ノ丸正面に位置する重要な門
寛政12年(1672)に現在の姿になった。
馬出門枡形は馬出門と内冠木門(ウチカブキモン)の2つの門と周囲を土塀で囲まれた範囲をいい、2つの門は控柱にそれぞれ屋根がつく高麗門
平成21年(2009)に復元
 
 
 
 
 
 
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住吉橋
天守閣へ通じる登城ルート
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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銅門(アカガネモン)
二ノ丸の表門、扉の飾り金具に銅を使用したことからこの呼び名が付いたといわれる。
平成9年(1997)復元
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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常盤木門(トキワギモン)
本丸の正面で、最も大きく堅固に建てられていた。
常盤木とは常緑樹の意味で、門の側にあった松になぞらえてこの名が付けられたといわれている。
多門櫓と渡り櫓から構成される枡形門形式。
昭和46年(1971)再建
 
 
 
 
 
 
 
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天守閣
宝永3年(1706)に再建され江戸時代を通じて存続したが、明治3年(1870)の廃城により取り壊された。
現在の天守閣は昭和35年(1960)宝永年間の再建時作成された引き図(設計図)や模型を参考に
鉄筋コンクリート造で復興されたもの。
 
城内には巨木が残っていて往時を偲ばせる。
 
イメージ 7
 
ビャクシン
目通幹回り:3.1m
株元周囲:約3.9m
樹高:約15m
主幹は地上約4.5mで2つの支幹にわかれ、
各々が枝葉を伸ばして樹冠を形造り、
石垣で囲んだ盛り土の上に立っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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イヌマキ
目通幹回り:4.5m
株元周囲:約6m
樹高:約20
主幹は左巻に捩れ、地上5mほどのところで4支幹に分岐している。
 
 
小涌谷温泉蓬莱園よりバスで下り箱根湯本駅に着いた。
 
天気は雨が今にも降りそうな天気であったので、すぐ戻れる近くを散策することにした。
 
概略図を載せたパンフレットを頼りに、先ず、芦ノ湖を源流とする早川に架かる「あじさい橋」を渡る。
 
右手に折れ常緑樹が茂る小丘の早雲公園を横断し早雲寺に出た。
 
北条早雲の遺命によりその子・氏綱が建てた静かな寺であった。
 
早雲通り(箱根旧街道)を少しのぼり、旧街道石畳道を抜け、早川の支流須雲川に出た頃には雨となって来たので箱根湯本駅に戻った。
 
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早雲寺山門
臨済宗大徳寺派の寺
大永元年(1521)北条早雲の遺命により、その子氏綱が
以天宗清(大徳寺83世)を開山として建立。
以来北条氏一門の香火所としてその盛衰を共にし、現在に至っている。
 
 
 
 
 
 
 
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早雲寺本堂
寛政年間(1789〜1801)再建
茅葺きだったが、昭和30年(1955)代改修で瓦葺になった。
本尊:釈迦三尊像(村町時代)
 
 
 
 
 
 
 
 
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早雲寺鐘楼
吊られている梵鐘は元徳2年鋳造
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際、
石垣山一夜城で使用したとのこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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なごみの道祖神
道端に男女らしい二人連の石仏が置かれていた。
何やら説明板が立っていたが文字が消えてしまって読めず。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
箱根旧街道
延宝8年(1680)江戸幕府は箱根旧街道に石を敷き舗装した。
約255mその面影を残していた。
 
 
 
 
 

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