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箱根町で一泊した後、箱根湯本行きバスにて国道一号線を下る。
途中、小涌谷温泉蓬莱園(ホウライエン)で下車。
目の前が樹木の剪定が美しい庭園の三河屋旅館、その向かい側が蓬莱園だ。
蓬莱園(ホウライエン)は、大正の初めに三河屋旅館主榎本恭三が躑躅(ツツジ)の名所であった東京・大久保より移植したことに始まる。
その後、各地より躑躅(ツツジ)を取り寄せ、現在では皐(サツキ)とあわせて3万株、40種類の躑躅が見られるという。
本園はその品種の多さから日本有数の躑躅園であり、大久保の躑躅全盛時代の貴重な品種も数多く残されているそうだ。
大きく育った株は丸く剪定され、花はこれからという感じであったが、なかなか見応えのあるものだった。
ただ、門外漢の
三河屋旅館前庭
蓬莱園
蓬莱園
蓬莱園
蓬莱園
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関東紀聞
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箱根関所を京口から入り江戸口御門から出て暫く行くと、県立恩賜箱根公園に来た。
駐車場近くには唱歌「箱根八里」の歌碑が建っていたので、並んで「箱根八里」を斉唱。
園内はの木々はよく剪定され、ゴミはなく、よく手入れされている感じを受けた。
恩賜公園は、明治19年(1886)造られ、その後関東大震災で倒壊した「函根離宮」跡地を、昭和21年(1946)神奈川県に下賜され、同年5月5日一般開放され、平成元年(1989)再整備されたものだ。
芦ノ湖に突き出た塔ヶ島と呼ばれる半島にあり、展望台からは箱根外輪山や富士山が一望できるはずだが、残念ながら低くたちこめた雲のため、富士山は見えなかった。
「箱根八里」の歌碑
作曲:滝廉太郎 作詞:鳥居忱
箱根の山は天下の険 凾谷間も物ならず
萬丈の山 千仭の谷
前に聳え 後ろにさゝふ
雪は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶闇き 杉の並木
羊腸の小径は 苔滑らか
一夫関に当るや 萬夫を開くなし
天下を旅する 剛毅の武士
大刀腰に 足駄がけ
八里の岩ね 踏み鳴らす
斯くこそありしか 往時の武士
恩賜公園園内
弁天の鼻展望台から芦ノ湖
晴天なら正面に富士山が見える
園内散策路ー杉の並木
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箱根町で一泊する。 夜の食事を共にしながら雑談に花を咲かす。
翌朝の天気は曇りで霧の様な雨が時折あった。
朝食の後、近くを散策した。徒歩5分ぐらいの所に箱根関所があった。
現在の関所は、昭和58年(1983)発見された「相州箱根御関所御修復出来形帳」により、平成19年(2007)旧関所跡に復元整備したものだ。
江戸時代にタイムスリップした気になる。
箱根関所は京口御門、江戸口御門、大番所、足軽番所からなっていた。
箱根関所は元和5年(1619)江戸幕府によって設置されたと伝えられる。
江戸幕府が江戸防衛の為全国に設置した53関所の内、新居(東海道、静岡県)、碓氷(中山道、群馬県)、木曾福島(中山道、長野県)と並んで、規模も大きく、特に主要な関所と考えられていた。
箱根関所の配置は、箱根山中の東海道の中で屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合うものとなっている。
一般的に関所では、「入り鉄砲に出女」と取り調べたと云われる。
この箱根関所では江戸方面からの「出女」に対する厳しい取調べを行っていたそうだ。
江戸時代を通じて役割を果たしてきた関所であるが、明治2年(1869)新政府により関所制度が廃止され、その役割を終えた。
箱根関所の案内看板
京口御門
高 札
定めが箇条書きに書かれているのだが、達筆すぎて、どう書いてあるのか分らなかった。
大番所
足軽番所
江戸口御門
旧東海道杉並木
参勤交替の大名行列、旅する商人が現われそうな気がした。
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海賊船より箱根町港を上陸。
この辺りは年初恒例の箱根駅伝の往路のゴール、復路のスタート地点であるため箱根駅伝に関わるものがいくつかあった。
湖畔には駅伝記念碑が3基建っていた。
即ち、「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」、「駅伝を讃えて」の詩碑、「箱根駅伝 栄光の碑 若き力を讃えて」のブロンズ像の碑だ。
記念碑の近くには駅伝ミュージアム、駅伝広場があった。
箱根駅伝、正しくは「東京箱根間往復大学駅伝競走」といい、関東学生陸上連盟が主催し、毎年1月2日(往路)、3日(復路)の2日間に渡って行われる。
東京大手町・箱根芦ノ湖間約110km(往復約220km)を片道5区間に区切り、襷を引き継いで走るという大会だ。
主催者で分るように、箱根駅伝は大学駅伝の関東チャンピオンを決める地方大会に過ぎない。
しかし、そのファンは全国的であり、その模様は全国放送で中継されるほどである。
因みに第1回大会は大正9年(1920)2月14日開催された。
駅伝記念碑
手前向かって左が、「箱根駅伝 栄光の碑 若き力を讃えて」の碑、奥左が「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」、奥右が「駅伝を讃えて」の詩碑。なお、手前右は「平和を願う碑」。
「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」
昭和36年(1961)建立
「駅伝を讃えて」の詩碑
昭和59年(1984)第60回大会記念として建立
「箱根駅伝栄光の碑 若き力を讃えて」
平成6年(1994)第70回大会記念として建立
駅伝ミュージアム
駅伝広場
国道1号 箱根関所南交差点角にある。
広場中央に設置された石碑の表面には襷の文字とテープを切る選手の姿が、裏面には箱根区間のコース図、駅伝の由来が記されていた。
まわりの壁には箱根山中を力走する選手姿などを描いたパネルが掲示してあった。
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大涌谷からロープウェイで下り、桃源台から海賊船(型観光船)に乗り、対岸の箱根町港へ縦断した。
海賊船は、欧州の大航海時代の帆船をモデルにしたもので、3隻就航している。
海賊船には、海賊のマネキンを配し、船員も海賊の格好をしていた。
桃源台から箱根町まで約30分、周囲の山々は美しい新緑に覆われていた。
芦ノ湖は約3000年前、箱根山火山が爆発した際に大崩落で生れた堰止湖で、
湖面標高723m、最大水深は40m超、周囲約20kmとのこと。
出航したはじめの頃は、外に出て、景色を眺めながら、スピーカーから流れる説明を聞いていたが、その内、寒くなり、客室にもぐりこんだ。
桃源台港に停泊する二隻の海賊船
海賊船全景
マネキンが置かれ、海賊姿の船員が手をふってくれた。
すれ違う海賊船
背後の山は箱根駒ケ岳、右の建物はホテル
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