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12月25日に終了した第八回「OSAKA光のルネサンス」に24日に行った。
東会場を廻った後、フランス・アベニューを歩くと正面に中央公会堂の正面をスクリーンにしてヒマワリの絵が浮かび上がった。見ていると徐々に他の絵に変化していった。
人の流れに従って、中央公会堂、中之島図書館、大阪市役所の北側を通り、御堂筋側(中央会場の西端にあたる)に出た。
反対側の日銀大阪支店はライトアップされて荘厳な姿を現していた。
大阪市役所庁舎西正面はスターライト・シティ・スクエアと称し、庁舎西壁面にはロープツリーが、玄関前にはカボチャの馬車のオブジェが光輝いていた。
市役所庁舎南側は中之島イルミネーションストリートとなっており、再び中之島図書館、中央公会堂方向に歩む。
中之島図書館正面ではウォールタペストリー「めぐり逢うときのために」というストーリー仕立ての映像を映し出すショウを催していたが、長蛇の列となっていたのでそこはパスした。
ふらんす・アベニュー
中之島通りの並木や街灯に、シャンパンをテーマに白と金色のイルミネーションを施し、フランスの夜を思わせる街並を演出。
大阪市中央公会堂正面の「光絵画」
光と音楽がコラボする演出。
大阪市中央公会堂
側面及び背面はライトアップ
日本銀行大阪支店
大阪市役所庁舎正面
ゴージャスな金色のカーテンと雪の結晶をあしらっている
カボチャの馬車
中之島イルミネーションストリート
約20万個の光源が彩る幻想的な光のトンネル
音楽に合わせて色が変化する
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大阪案内
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今回で8回目となる「光のルネサンス」が大阪の中之島を舞台に、12月11日 から25日の予定で開催されている。
いつでも行けると思っていたら12月24日になってしまった。
今夜を逃したら今年も駄目だと思い出かけた。
花金でクリスマスイブ、冬休みに入ったということもあってか、寒さが強まったにも係わらず多くの人出があった。
やはり、カップルとか家族連れがほとんどであった。
「光のルネサンス」は中之島の西、中央、東の3っつの会場で催されているが、時間的制約もあって、東と中央の会場をまわった。
東会場は難波橋以東の会場で可愛らしい光のオブジェ、流れる川や広がる水の波紋をLEDで表現したものが主であった。
難波橋側入場する入口で出迎えてくれる
多くの人たちがトナカイの下を行列を作って並んでいた
行列の行き先はこのハートのオブジェ
カップルが前のベンチに腰掛、記念写真を撮っていた。
会場内にはハートのオブジェは幾つかあったが、此れが一番大きく且つ記念写真用に作られていた。
光のバブルのツリー
結構人気があって、これをバックに記念写真を撮ろうとする人が多かった。
流れる川、広がる水の波紋を表現。
水に囲まれた剣先公園ならではの水辺の賑わいを演出
オレンジ色の横の線は天神橋のライトアップ
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JR大阪駅前には地下街が広がっている。その一つ、ホワイティー・梅田の東の端に「泉の広場」があ る。 その「泉の広場」では、中央に白い大理石製を模したイタリア風の円形噴水があり、地下街に潤いを与え ている。 その噴水に電飾のツリーが幾つか置かれ、ツリーの噴水に変身していた。 ツリーの噴水は通行人の目を楽しませると共に、普段の噴水とは別の趣を与えていた。 |
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せっかく南田辺に来た序でにと思い、法楽寺参拝の後、周辺をぶらりぶらり歩いてみた。 法楽寺を中心に200m以内に模擬原子爆弾投下地碑、聖徳太子が登場する股ヶ池明神、神功皇后が登場 する神馬塚 などがあった。 法楽寺より東北へ200mほど歩いた所にあった。 平成13年(2001)建立 広島、長崎の原爆投下を想定して、昭和20年(1945)7月26日模擬原子爆弾(原爆と同形の火薬爆弾)が投下し、7名が死亡、多数が罹災した。 模擬原子爆弾だったと判明したのは、平成3年(1991)のこと。
桃ヶ池 公園
法楽寺から西北200m、JR阪和線西沿いに池を中心にした公園。蓮がぎっしりと植えられている池と、周囲が木々に囲まれた静かな池からなっていた。 どちらの池にも金網フェンスで囲まれ一般人が近づけられないようになっていた。 何故だろうか? 古くは股ヶ池と書かれた。 池畔の丘には、股ヶ池明神が鎮座している。 聖徳太子が大蛇を埋めて祀ったという伝承があり、昭和初期まで「おろち塚」があったという。 股ヶ池明神 祭神:丸高龍王、丸高大神(学問の神)、丸長龍王 丸長大神(商売の神)、現在は天在諸神と称して天照大神以前の18柱の神が配せ祀られている。 推古天皇の御世 股ヶ池の中央にある浮島のくぼみに胴回り1丈6尺(3.6m)長さ3丈6尺(11m)もあろうかと思われる大きな怪蛇の死体が横たわっていた。 聖徳太子がこの地に穴を掘って怪蛇の死体を埋めたが、その後も引き続き池には怪異が起こり、怪蛇の霊が浮かばれないからだと言うので、塚を建て「おろち塚」と称して祀ったのである。 その後年月が経て、高津3番町に住む信心深い角田某という人が、ある夜、夢の中で神前に祈祷している際、にわかに紫雲たなびき、その中に龍が降りてきて悲しい声で「どうか股ヶ池に於いて祀りをしてくれ」と哀願するや夢から醒めた。 信心深いこの人は、神の御宣託と「おろち塚」の北の所に一宇を建て、丸高・丸長の二龍神を祀ったと伝えられる。因みに「おろち塚」は昭和初期まで残されていたそうだ。 JR阪和線東沿いにあった。まるで更地に造成したところの中央に碑がにあった。 周囲は金網フェンスで囲まれ塚碑に近づけられないようになっていたので遠くから眺めるだけだった。 したがって、碑の後の白い囲いの中はどうなっているのか確認できなかった。 この塚は住吉大社の神馬の墓であるという。 神功皇后が朝鮮半島から連れ帰った白馬が、ある日、住吉大社から逃げ、田辺の地で休んでいた。 そこで田辺を神馬飼育の地に定めた。以後神馬は朝夕、田辺と住吉大社を往復していたという。 |
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法楽寺境内のシンボルは平成に建立された美しい三重塔と樹齢800年と言われる大楠だ。 大楠は大阪府下では住吉大社の大楠に続く古樹で、ご神木になっている。 大楠の周りには、鐘楼、大楠明神、水掛不動などが立っていた。 境内には、大師堂、地蔵堂が建ち、本堂以外にもこれらのお堂に、地元の人らしい参拝者が訪れているの を良く見かけた。こう言う光景を眺めていると、信仰が地元に溶け込んでいる寺だと実感する。 自由に鐘を撞くことができる。 時々参拝者が撞いていた。 赤い鳥居に狐が左右に控えている。どうやらお稲荷さんのようだ。 大師堂 弘法大師を祀る。堂正面に念珠車が吊り下げられ、「南無大師遍照金剛」と唱えて廻すのだそうだ。 地蔵堂 謂れは良く分らなかったが、堂の中には石造の地蔵像三体安置してあった。 マニ車の中にお経が納められていて、手で廻すとお経を一巻唱えるのと同じ功徳があるという。 |



