ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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造幣局の桜は、明治初めに、現泉布館の北側辺りにあった藤堂藩の蔵屋敷から移植され、品種が多いばかりでなく、他では見られない珍しい里桜が集められたという。
 
明治16年(1883)当時の造幣局長遠藤謹助により、満開時川岸の約560mを大阪市民に開放された。
 
こうして一方通行による通り抜けが始まり、戦時の一時中断はあったものの、以来130年間続けられている。
 
前稿の桜の紹介だけでは寂しいので、目に付いた種類をアトランダムに載せてみる。
 
なお、花の説明は、いただいたパンフレットや説明板の記載等による。 
 
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松前琴糸桜
北海道松前町の浅利政俊氏が昭和34年(1959)松前町で毬山家の庭にあった無名の八重桜の種子から作り出した桜。
花弁数は40〜50枚、開花後紅色から淡紅色になる。
 
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福禄寿
東京荒川堤にあった大島桜系の里桜で、花は大輪、淡紅色で、花弁は波打つようなしわがある。
花弁数は15〜20枚。
 
 
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御衣黄(ギョイコウ)
花は黄緑色で、開花がすすむにつれて花弁の中心に紅色の縦線が現れる大変珍しい品種。
花弁数は約15枚。
 
 
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麒麟(キリン)
東京荒川堤にあった里桜、花は濃紅紫色の気品の高い品種
花弁数は30〜35枚
 
 
 
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兼六園菊桜
金沢兼六園にある有名な桜。原木は天然記念物に指定されていた。
花は、淡紅白色、 花弁数は多いもので300〜350枚あり、日本で花弁数の最も多いといわれる。
 
 
 
4月16日(火)から22日(月)の予定で、大阪の恒例行事・造幣局の桜の通り抜けが始まった。
 
心待ちに待っていた一人として見物に出かけた。
 
初日の16日の朝9時半ごろ、入り口の造幣局南門に着いたが、既に入場待ちの人々で溢れかえっていた。
 
10時開門と共に入る。 北門への一方通行なので、まるで人の流れは川の様だ。 
 
入口近くの土産販売店で桜の通り抜けのパンフレットを貰う。
これには、桜の品種、見どころ(特徴)や主な植樹場所などがイラスト入りで紹介してあり、これを参考にし、流れに逆らいながら写真を撮る。
 
今年は桜の開花が予想以上に早かった為、既に花が散ってしまったものもあったが、関山、普賢象といった種類を始め多くの種類がちょうど満開だった。
そのため通り抜け期間中に散ってしまうのではと余計な心配をしてしまった。
 
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桜の通り抜けの人出
 
 
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                                 普賢象
室町時代から京都地方にある有名な桜。
花の中から葉化した2つの雄しべが突出し、その先端が屈曲する。
それが、普賢菩薩の乗る象の鼻に似ているのでこの名が付いた。
花色は淡紅色で、開花が進むにつれ白色となる。
花弁数は20〜40枚。
 
 
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                                 関 山
明治初年東京荒川堤の桜として有名になった。
花は濃紅   大輪、花弁数は30枚程度
 
 
 
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                                 松 月
東京荒川堤にあった名桜。平野神社の平野撫子に似ている。
花は最初淡紅色で、次第に白色となる。大輪で花梗が長いため次第に垂れ下がって行く。
花弁は重弁で、枚数は25枚程度
 
 
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                               かんざし桜
京都嵯峨の著名な造園家佐野藤右衛門氏が東北の旅の途中発見した桜。
花がかんざしに似ていることからこの名が付いた。
花は中輪で、淡紅色。花弁数は14〜31枚
 
花の説明は、いただいたパンフレットや説明板の記載等による。
昨年春開業した大阪駅の商業施設「大阪ステーション・シティー」でもイルミネーションを催していた。
 
「トワイライト・ファンタジー」〜イルミネーションと音楽の競演〜と題するイルミネーションで、来年1月20日までの予定だそうだ。
 
ノースゲートビルディングの中央北口の2階のアトリウム広場にはオーケストラのシルエットを浮かび上がらせた巨大なギフトボックスの上に約10mのツリーを輝かせていた。
 
ただ、新梅田シティのツリーと同様周囲が大きいので、あまり大きなツリーとは感じられなかった。
 
大階段を上り、時空(トキ)の広場に向かう。
そこにはオーケストラハウスをイメージした幅20mのLEDのストリングスの光のベール、光のアーチ光のシャンデリアが見るものを圧倒した。
 
音量を抑えたBGMを流しており、広場の22本のポールは、劇場内部のドレープカーテンをイメージしたものだそうで、淡い輝きで行き交う人々を包んでいた。
 
時空の広場を横切り、サウスゲートビルディング17階の太陽の広場にいった。
 
ここには30体づつのスノーマンが3区画、計約100体のスノーマンが並んでおり、スノーマンオーケストラという趣向だ。
 
ただ、ここにわざわざ足を運ぶ人は少なく、小さい子供を連れた家族連れ1組がいただけだった。
 
なお、大阪ステーションシティーでは、この他、風の広場(ノースゲートビルディング17階)、や南ゲート広場(サウスゲートビルディング前)等でもイルミネーションを楽しめられるとのことであった。
 
 
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アトリウム広場のツリー
 
 
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時空(トキ)の広場の「光のオーケストラ」
 
 
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太陽の広場の「スノーマン・オーケストラ」
最近は、年末ともなれば、各地でイルミネーションが競って彩られる。
 
神戸では、神戸淡路大震災以降毎年続けられているルミナリエが12月9日から開催されて17日に終わった。
 
駅で入手した観光パンフレットによれば、新梅田シティーで「ドイツ・クリスマスマーケット大阪」を12月25日までの予定で開催されているというので、18時ごろ行ってみた。
 
新梅田シティーは梅田スカイビルを中心にした商業施設で、空中展望台の真下に約27mのクリスマスツリーが立てられ、南側の広場ににヒュッテ(小屋)という出店(27店あるそうだ)が軒を連ね、東側に百年以上前に作られドイツから運んできたというメリーゴーランドなどがあり、ドイツの夜店の雰囲気を演出して」いた。
 
平日にも関わらず寒い中、家族連れ、若いカップルなどを中心に多くの人でにぎわっていた。
 
週末には特設ステージで、合唱やライブが開催されるとのこと、さぞや混むことであろう。
 
は30年ほど前の6月にドイツに行ったことがあるが、クリスマスツリーは流石になかったが、街の広場で似た風景を目にしたことがあり、懐かしく思えた。
 
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「ドイツ・マーケット大阪」風景
ヒュッテ(小屋)では、ドイツの工芸品や飲食物を販売していた。
 
 
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クリスマス・ツリー
高さ約27m、使用している電飾は約10万個というツリーは華やかさを演出している。
最大級のクリスマスツリーらしいが、周囲のビル(梅田スカイビル)が大きいので、むしろ小さいと感じる。
 
 
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メリーゴーランド
ドイツから運ばれてきたという、115年以上前のメリーゴーランド
子供たちが寒い中嬉々として木馬に乗っていた。
 
 

その日(元禄7年10月12日)は小春の空の立帰りて、あたたかなれば、障子に蝿のあつまりゐけるを

憎みて鳥もちを竹にぬりて、かりありくに上手と下手とあるを見て、をかしがり申されしが、

その後はただ何事もいはずなりて、臨終申されける。(各務支考「笈日記」)



南御堂の南側の庭園「獅子吼園」内に芭蕉の句碑があった。

天保の俳人たちが芭蕉150回忌記念に建てたものらしい。

そして、南御堂前の御堂筋に緑地帯に「芭蕉終焉の地」の碑が建てられていた。


松尾芭蕉は、元禄7年(1694)9月9日大阪へ出てきた。門人たちの諍いを仲裁するものだった。

しかし、体調を崩し、同年10月12日申の刻(午後4時頃)南御堂前の花屋仁右衛門方離座敷において51年の

生涯を閉じた。


(サテ)から(骸)は木曾塚に送るべし、爰(ココ)は東西のちまたさざ波きよき渚なれば

生前の契深かりし所也(路通「芭蕉翁行状記」)と芭蕉は遺言していた。



此夜河舟にてしつらひのぼる。明れば十三日の朝、伏見より木曾塚の舊草に入れ奉りて、

茶菓まうけ、います時にかはらず、埋葬は十四の夜なりけるが、門葉焼香の外に餘哀のも三百人も

侍るべし。(各務支考「笈日記」)

遺言により、門人たちの手で、亡骸はその夜に舟で伏見まで運ばれ、13日に近江の膳所(ゼゼ)にある

義仲寺に運ばれ、 14日の夜埋葬された。


イメージ 1 芭蕉句碑
南御堂の庭園内に設置されている。
天保14年(1843)芭蕉150回忌記念に当時の俳人たちによって建てられたもの。
旅に病で ゆめは枯野を かけまはる   ばせを」と
刻まれている。



イメージ 2 「芭蕉終焉の地」碑
南御堂前の御堂筋に緑地帯に建てられている。
正面に「此附近芭蕉翁終焉ノ地ト伝フ」
側面に「昭和九年三月建立 大阪府」と刻まれていた。
しかし、花屋仁右衛門方離座敷は僅かばかり南に位置していたらしい。

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