ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

大阪案内

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明日から9月に入るというのに暑い。全く暑い。

8月中は熱中症にならないようにと、もっぱら家に籠もり、テレビのお守して、体力の消耗を防いでい

た。

そう言うことに無頓着なMさんが、最近ひっくり返って大阪梅田近くの北野病院に入院したと聞いたの

で、見舞いのために大阪駅まで出て来た。

その序でに、大阪駅が改造され、この春開業した大阪ステイションシティを少し探検した。

大阪ステーションシティは駅のフォームを挟んで南北にビル(サウスゲートビル、ノースゲートビル)が建ち、2つのビル

を渡すようにフォームの上を大きな屋根(ドーム)が覆っている。

フォーム中央の橋上改札口を出て、エスカレーターで上の階に行くと、南北に金銀の時計台が特徴の「時

空(トキ)の広場」となっていた。

更に、エスカレーターでノースゲートビルの上階に上ると、11階屋上で花壇と小川が設えられた「風の広

場」であった。

更に、2本の足を使って、自力で階段を上ると(14階屋上)には「天空の農場」が造られ、小さな区切りで

はあったが、色々な作物が植えられていた。(「天空の農場」については次の稿に記す)

都会の中の屋上のオアシスとは言え、流石に日中は暑くて人影は少なかったが、夕方再び訪れてみると、

老若男女多くの人々が訪れ、暮れ行く空の下で憩っていた。

イメージ 1 大阪ステーションシティ全景
左手前ビルはサウススゲートビル(大丸、ホテルグランビィア大阪などが入っている)
右手のビルはノースゲートビル(ファッション専門店街「ルクア」、JR大阪三越伊勢丹、シネコン、コナミスポーツクラブなどが入っている)
ノースゲートビルの左側の高い部分は28階のオフィスタワー

イメージ 2 フォーム中央附近
中央改札口の上が時空の広場になっていることが分る。


イメージ 3 イメージ 4
                            時空(トキ)の広場
金時計を北側に、銀時計を南側に配している

イメージ 5 風の広場
小川の水のせせらぎや種々の草花、風にそよぐモニュメントでひと時の休息が感じられる。



イメージ 6 風の広場からの眺め(西北の方向)
風の広場の南側は関西最大級のシネコン「大阪ステーションシティシネマ」となっているので、外の景色は北側に限られる。
左手の大きなビルは梅田スカイビル。




イメージ 7 天空の農場からの眺め(東北の方向)



イメージ 8 天空の農場からの眺め(東の方向)
中央の高いビルは阪急グランドビル。



イメージ 9 天空の農場からの眺め(南の方向)

住吉大社から北に5分ほど歩くと、生根(イクネ)神社に突き当たった。

生根(イクネ)神社は祭神は少彦名命、江戸時代までは住吉大社の摂社だった。

創立は不詳だが、住吉大社が当地に鎮座する以前から奉祀されていたという。

古伝によれば、少彦名命は造酒の祖神であるため、神功皇后も当社で酒を造り、住吉大神に献ぜられた。

境内中央には淀殿寄進の社殿(拝殿は昭和11年再建)があり、その右手にはモチノキの大木が生えていた。

その背後には境内社の稲荷社、塞(サヤリ)神社(八衛彦神、八衛姫神、稲荷大神)、種貸社(祭神:宇賀鬼神)、

竜王社(祭神:彦竜神、姫竜神、保食神)、天満宮が並んでいた。



イメージ 1 神門
南口の門

イメージ 2 拝殿
昭和11年(1936)再建


イメージ 3 本殿
慶長5年(1600)頃淀殿により建立されたもの
桧皮葺極彩色の桃山時代の建築様式


イメージ 4 天満宮 (奥の天神)
祭神:菅原道真
江戸時代後期の一間社流造


イメージ 5 モチノキ
境内中央に生えている。
樹齢500年以上
高さ 12.5m、幹周り 2.4m

住吉大社の摂社・大海神社北門から出ると直ぐ右手(即ち、東方向)に一運寺と云う寺があった。

聖徳太子創建と伝わる浄土宗の寺で、一見ごく普通の寺である。

ただ、門前に「赤穂義士乃墓」と刻まれた標柱が建っていたので境内に入ってみた。

門をくぐると、参道正面に鉄筋コンクリート造りの本堂があり、参道の右手に赤穂四七士の内、

(向かって左から)寺坂吉衛門、大石内蔵助、大石主税の墓が建っていた。

説明板によると次の通り:

昔、近くに天野屋利兵衛の菩提寺・龍海寺という寺があった。

利兵衛より4代目が赤穂四七士を顕彰するため47士の墓を建て、持仏堂内に47士の木像を安置した。

しかし、明治維新の際、廃寺となり、多くの墓石は他の庭石などに持ち去られ、又は砕かれつつあった。

これを見かねて、一運寺は残っていた墓石3基を寺内に運んで供養して建立した。

なお、木像の方は、天王寺茶臼山池畔の観音寺内に持仏堂と共に移されている。


イメージ 1 イメージ 2
          一運寺門前                                 本堂

イメージ 3

                     寺坂吉衛門、大石内蔵助、大石主税の墓

阪堺電軌阪堺線「すみよし」で下車する。目の前が住吉大社だ。

昨年の式年造替により、社殿前の、太鼓橋(反橋)や社殿は一新されていた。

第一本宮(祭神:底筒男命 ソコツツオノミコト)の南に神功皇后ゆかりの聖地「五所御前(五大力石)」があり、

そこで五大力が授かるように祈願して「五」、「大」、「力」を記された小石を拾った。

ご利益があれば、来年倍にしてお返ししなくてはならない。

イメージ 1

                                反橋(太鼓橋)
橋脚は淀殿の寄進と云う反橋は式年造替で新しくなっていた。
渡り初め式は平成21年(2009)12月におこなわれた。
渡った先に「住吉鳥居」「本宮」が建っている。


イメージ 2 五所御前
石の玉垣の中に杉が植えられている。
神功皇后が住吉大神を祀る地を決める時、
この杉の木に3羽の鷺が止まっているのを見て
大神がこの地を望んでいると考えられ、
この地に大神を祀ることを決めたと言われている。


イメージ 3 五大力石
玉垣内に敷かれている小石の中に墨で「五」、「大」、「力」と書かれた石がある。
その三種の石を拾って御守にする。
五大力とは体力、知力、運力、財力、寿力をいう。


イメージ 4 神宮寺跡碑
大阪最古の図書館「御文庫」の近くに建っていた。
昭和47年(1972)大阪市建立
住吉神宮寺は平安時代から文献に見られる。
江戸時代には仏堂8宇、僧房10余の規模を有した。

関 連 記 事




南海本線 岸の里玉出駅で下車、5分ほど歩くと阿部野神社西参道口に着いた。

阿部野神社は、明治15年(1882)北畠顕家が足利軍と戦った古戦場に創立された神社で、南朝を支えた北畠

親房、顕家父子を祀る。

西口から境内に入ると。左右に神馬を安置した鳥居、詩歌の道を抜けると、拝殿前の参道に出た。

参道には北畠顕家公の像が建っていた。

拝殿の向かって左に、勲之宮(イサオシノミヤ)、祖霊社があり、本殿の裏手に回ると、御魂振之宮(ミタマフリノミヤ)奥

宮が建っていた。

阿部野神社飛境内に北畠顕家の墓がある。


イメージ 1西参道社頭


イメージ 2神 馬
向き合う神馬は「幸誘う語らい神馬」と呼ばれている。


イメージ 3詩歌の道
道に沿って、北畠親房と宗良親王が詠んだ歌を紹介してあった。


イメージ 4顕家公の像


イメージ 5拝 殿
祭神:北畠親房、顕家
社殿は昭和43年(1968)再建された。


イメージ 6祖霊社、勲之宮(イサオシノミヤ)
向かって左が祖霊社、右が勲之宮


イメージ 7勲之宮(イサオシノミヤ)
祭神:南部師行、南部一族、家臣
南部師行は奥州八戸根城の初代城主、陸奥の鎮守府将軍北畠顕家の大忠臣。
顕家と共に足利方の大軍と戦い、延元3年(1338)堺市石津附近で顕家と共に戦死。
扉には南部家の家紋「向い鶴紋」が付けられていた。

イメージ 8御魂振之宮(ミタマフリノミヤ)奥宮
祭神:天照大神
   三輪大神
   少彦名神
   菅原道真
一つの願いを不退転の思いで遂げうることを祈れば、御神慮により力を与えられるということから、「一願一遂の神」として崇敬されている。


イメージ 9南参道社頭
鳥居、参道、拝殿、本殿、奥宮が一直線に並ぶ

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