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国道55号線をひたすら南下して、東四国の最南端室戸岬に来た。 鉄道や高速道路慣れした身には、数時間かけて一般国道を走ると、 遠くへ来た、果てに来たという実感がする。 果ては黒潮があらう岩が点在する浜ー「月見が浜」だった。 岬は暖性常緑林が生い茂っており、今は小さな白い花のトベラが満開で、甘酸っぱい香りを漂わせていた。 先端には坂本竜馬と共に幕末活躍した中岡慎太郎の像が太平洋に向って建っていた。 岩とトベラが自生する浜には遊歩道があり、15分ほど歩くと空海が若い時修行したと伝えられる洞窟御厨人窟(みくろど)があった。ただ、絶壁の下に岩窟が3っつあり、すべてがそうなのか、一番小さいのがそれなのか、分からなかった。 浜に降りてみると、軽石のような感じで白い珊瑚が転がっていた。記念品として1つ拾った。
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四国紀行
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11時ごろJR牟岐線南小松島駅で下車した。駅前のロータリーに「のぞみの泉」という泉があり、 ポリタンクをいくつも持参した人が幾人か順番待ちして、汲んでいた。 何か言い伝えとか、名水百選に入っていると言う訳でもなさそうだ。 尋ねてみると、「小松島は剣山山系からの地下水が湧き出てくる所が多く、ここはその1つで、おいしいので汲んでいくのだ。」との返事。山間部でなく、街中の駅前にこのような所があるのは珍しいのではないだろうか? |
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JR徳島駅のすぐ傍に常緑の木々に覆われ、石垣がのぞく小高い山がある。 これが城山で、その麓を含め蜂須賀25万石の居城だった徳島城址だ。 実は、徳島駅も徳島城の外堀とも言うべき寺島川を埋めて造られているのだ。 城址には往時の建物は、明治の廃城令と太平洋戦争のため、残っていない。 しかし、鷲の門、下乗橋、数奇屋橋が復元または往時を模して造られ、城内では御殿造りの立派な建物の徳島城博物館が建てられて、残っていた石垣や表御殿の庭園と共に往時の栄華や様子を偲ぶことが出来る。 城山は高さ61mある。頂上まで石段が整備されているが、約300段の石段の傾斜はかなり急だ。 朝の鳥のさえずりに誘われて登り始めたが、胸に爆弾を抱えている身にはしんどかった。 6時半頃、麓から大音量でラジオ体操の音楽が流れてきた。麓でラジオ体操の同好会があるようだ。 頂上は本丸跡(普通は天守が頂上にあるが、ここでは一段低い所に天守跡があった。)で、 かなり広い広場となっており、周りは桜が植えられていた。 ここからの見晴らしが良く、徳島市街が一望できた。 シーズンはすでに終わっているが、桜の開花時期は花見客で賑わったことだろう。
隅には清玄坊神社の幟と小さな社があった。蜂須賀家に祟りをなした清玄坊を鎮めているとのこと。
頂上から降りていく途中に、登ってくる人々に出会った。格好からして、多分、ラジオ体操同好会の人々と思われた。 |
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徳島市にある弁天山(6.1m)は日本一低い自然の山である。 これより低い山として大阪市の天保山(4.5m)、仙台市の日和山(5.9m)が国土地理院の地形図に記載されているが、いずれも人工の山である。 弁天山はJR牟岐線地蔵橋下車、徒歩15分位のところで、県道沿いにあった。 県道脇には「日本一低い山 弁天山」と記した案内標識が立っていた。 厳島神社の額のある赤い鳥居をくぐり、10歩ほどあるくと頂上だ。 頂上には小さな社があった。 信心深い方々がおられるらしく、干し柿、イチゴなどがたくさん供えられていた。 なお、三角点らしきものは無かった。 |
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久しぶりに鳴門市を縦断する国道28号線を走った。 記憶にあるウン十年前の鳴門の郊外は鳴門金時で知られるサツマイモ畑(冬は大根畑) とレンコン畑が広がっていた。 他の地方と同じく、ここも畑が潰され、建物が建てられたり工場や駐車場などになっているところが 多く、 レンコン畑はわずかに残っているだけになっていた。 サツマイモ畑もずいぶん減っていたが、それでも相当残っており、 ビニールで覆われ,植え付け待ちの畝の列が広がっているのを散見した。 5月29日に再び同地を訪れた。畝には芋の苗が植え付けられていた。 |



