ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

神戸物語

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この1週間でずいぶん涼しくなった。
 
今までの服装では、むしろ寒さを感じるぐらいだ。
 
昨日、午後から開演の演奏会を聞きに、日帰りで東京へ行ってきた。
 
往復共に飛行機を利用した訳だが、三宮と神戸空港をむすぶポートライナー
 
の、車窓から眺める神戸港の風景は、いつ眺めてもいいと思う。
 
そこで今回、往路に昼の風景を、復路に夜の風景を、ほぼ同じ箇所(「中公園
 
駅」り)から写真に撮ってみた。
 
ただ夜景の写真は、見た目よりはるかに暗く、灯りが少なく写っているのが
 
物足りない
 
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              ↑       ↑                     ↑  ↑        
        モザイクガーデン   オリエンタルホテル         ポートタワー  神戸海洋博物館     
           観覧車
JR兵庫駅で下車して兵庫大仏を参拝した。

9月に入ったというのに、連日猛暑が続く。炎天下の大仏様も内心悲鳴をあげていることだろう。

兵庫大仏参拝の後、大仏が鎮座する能福寺の道路を挟んだ斜め向いに「兵庫薬師」の名で知られる

「金光寺」が建っているのでいわれを尋ねて行ってみた。

金光寺は承安3年(1173)隆善法師が開基の高野山真言宗の寺である。

門前の説明板によれば、謂れは次のようであった。

平清盛が経ヶ島築造の時 清盛の枕元に童子が現れ、「兵庫の海中に霊仏があるので探し出すよう」と夢

告した。

早速、大輪田の海に網をおろすと、海中から金色の光まばゆい黄金薬師尊が出現したことから金光寺と名

付けられた。このとき海中から出現した本尊は薬師如来像の胎内に納められていると伝えられる。

残念ながら本堂に入れなかったので、本堂の前から:)が抱えている爆弾が破裂しないことを祈願した。

しげりあふ 庭の草木に おく露も 玉の光と みゆるたふとき


イメージ 1金光寺
平成7年(1995)阪神淡路大震災で本堂庫裡が全壊したのを再建
本尊薬師如来
摂津国88ヶ所霊場第84番札所


金光寺より北に進み、国道2号腺を渡るとすぐに、寺2ヶ所あった。

金光寺同様、一見特に変わったところはない寺であるが、寺にまつわる謂れが面白いので記載した。

イメージ 2 済鱗寺
明応2年(1493)真誉林光上人開基
西連寺と称していたが、海中より出現の阿弥陀如来像を本尊とし、魚類済度を合わせ行ったので済鱗寺と改めた。
その後五百羅漢像を建立するも大戦で本堂以下すべてを焼失し、現在は仮本堂に阿弥陀如来を祀っている。


イメージ 3 恵林寺
貞和2年(1346)錦江省文禅師開基 
福原西国三十三ヶ所第28番札所
境内に平清盛が経ヶ島築造の際に困難な水難克服を祈願して建てられた弁財天社があり波除弁財天と呼ばれていた。

兵庫駅から徒歩約15分、兵庫運河に架かる清盛橋を渡った所に御崎八幡神社があった。

どこの町内にもありそうな神社だが、貞観年間(859〜877)山城国男山(石清水八幡宮)に宇佐神宮より大神

を勧請したと同時代の創建、と伝えられる古い神社らしい。

石清水八幡宮公文所より授与の社記に「此の社は神功皇后征西帰途の時 此の地を暫く皇居とす 是によ

りて貞観神託あり 宮社を建立する云々」とあるそうだ。

このため石清水八幡宮と最も古く関係あることにより、石清水八幡宮公文所御鍵預り役に補任され、毎年

春秋の例祭には男山に鍵を奉持して神役に奉仕していたという。


イメージ 1 社 頭


イメージ 2 社 殿



イメージ 3 絵 馬
石清水八幡宮の春秋の例祭には御崎神馬秣を奉る嘉例があったという古書により、図柄は馬となっている。



イメージ 4 震災記念モミュメント
境内の隅に「阪神淡路大震災」に倒壊した鳥居の柱の一部がモニュメントとして置かれていた。

大暑も過ぎ、猛暑が続く。兵庫駅を下り、兵庫中学辺りをうろうろしていたら、小さな神社があった。

社頭の由緒を記した看板を読むと、「治承4年(1180)福原遷都の際、平清盛が平家一門の氏神として深く

信仰している安芸国厳島神社をこの地に勧請した。福原の周り7つの地に厳島神社を勧請したので、

7弁天と呼ばれ、花隈、佐比江、西宮内、夢野、真野、渦輪とこの社となっている。

他の弁天社が神社や寺と併祀しているのに対し、ここのみが独立しているため渦輪にあった弁天社を合祀

して存続している」とあった。

境内に入ると、社殿が3棟あり、中央が本殿で、市杵嶋姫命を祀っている。

境内の周りには桜の木などが植えられ木陰を作っており、地元の人数人が涼んでいた。しかし、蝉の鳴き

声がうるさそうだった。

因みに左右の社殿は摂社の淡島神社、白萩・若水稲荷社であった。


イメージ 1 社 頭


イメージ 2 社 殿


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薬仙寺 : 清盛の「萱の御所跡」碑


過去は記憶の中に、未来は想像の中にしか存在しない。
現在だけが存在している。
しかし、それは一瞬後には過去になり、記憶の中にしか存在できなくなってしまう。
 
8時半ごろ兵庫駅を降りた。朝から陽射しが強い。
いつもならここからは和田岬線を利用せず、”ごく普通に”歩いて和田岬まで行くが、今日は歩くには少し勇気がいる。
はかって、此の和田岬線を日常利用していた。したがって、その頃に比べ様子が大きくかわったことに、感慨を覚える。和田岬線自身も、周囲もだ。
兵庫駅のコンコースは大きくは変わっていない、しかし、駅の南構内は貨物の積み下ろし場が広がっていたが、今は再開発され、駅前広場と周囲に多目的ビルが並んで様相が一変している。
和田岬線は山陽本線の支線で、兵庫ー和田岬間約2.7km、1駅の単線である。
この点は変わっていないが、
ディーゼル機関車が客車を引っ張っていたのが電車になっており、川重、カネボウ、三菱重工といった工場への引込み線は綺麗さっぱりなくなっている。
そして駅員が数人いた和田岬駅は無人駅となり、駅舎があった辺りにはコンビニが建っていた。
 
イメージ 1兵庫駅のコンコース
天井は高く、太い丸い柱は変わっていない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
唯一の橋「旋回橋」
兵庫運河に架かり、運河を航行する船のため、旋回できる橋だが昭和初期には既に固定されていたそうだ。
和田岬線は平成13年(2001)に電化された。
 
 
 
イメージ 4イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
和田岬駅 (右は昭和40年代頃の写真)
昭和46年(1971)まで駅前には神戸市電が通り、駅舎があり、三菱重工業㈱神戸造船所の構内に引込み線が続いていた。
それらは撤去され、駅舎に替わりコンビニが出来ていた。
 
 
 
イメージ 6駅舎
 平成10年(1998)頃の写真
 
平成21年(2009)撤去された。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7和田岬交差点から
 
和田岬駅前には平成13年(2001)開業した神戸市営地下鉄海岸線「和田岬駅」の出入り口ができていた。
 
 

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