ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

神戸物語

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築島橋から新川運河沿いに歩いていると、門柱に「二条天皇勅願寺」、「平相国開基」と記された「来迎

寺」があった。門前には別に「築島寺」と記した石柱も建っていた。

境内に入ると正面が鉄筋コンクリート造りの本堂となっており、覗いていると住職さんが出てきて、色々

説明をしてくださった。

この寺は、正式には「築島山不断院来迎院」と言うが、地元では「築島寺」と呼ばれている、浄土宗西山

派の寺院である。

来迎寺は平清盛による経ヶ島築造に際して、人柱となった松王小児の菩提を弔う為、二条天皇の勅命によ

り建立された寺で、寺号も二条天皇より(普通建立後につけるものであるが)先に賜ったものだ。

かっては広い境内と七堂伽藍を誇っていたたが、戦災による焼失、道路の拡張などにより現在のように縮

小されてしまった、という。ここらあたりになるとぼやきに近い、と思った。

住職さんが下さったパンフレットの昭和20年(1945)3月17日未明の空襲前の伽藍の写真を見ると、住職さ

んのおっしゃることを裏付けていた。

ただ、迂闊にもご本尊様の御名をお聞きするのを忘れてしまった。

イメージ 1 来迎寺
奥の本堂は昭和34年(1959)再建、福原西国第29番霊場


イメージ 2 本堂須弥壇
紫の 雲にのりつつ 此の寺へ     来り迎はせ たまふ御仏



イメージ 3

                         松王小児の墓(左)と妓王・妓女の墓(右)
松王小児の墓(向って左):平清盛は兵庫築港工事として経ヶ島築造を始めたが、難工事でなかなか捗らない。陰陽博士・阿部泰氏に占わせると、龍神の怒るところで、30人の人柱と一切経を書写した経石を沈めて築くなら目的を達すると言うことだった。流石の清盛も30人の人柱に躊躇していたところ、讃岐国香川の城主田井民部の嫡子で当時17歳の松王小児が30人の身代わりを買って出た。清盛は松王小児の申し出を受け入れ、応保元年(1161)7月13日一切経を書写した経石と松王小児を入れた石櫃を沈めた。その結果工事は成就した。

妓王・妓女の墓(向って右):妓王と妓女は姉妹で、共に京都堀川の白拍子であった。平清盛の寵愛を得て優雅な日を送っていたが、清盛の心が仏御前に傾くに及び、世の無常を嘆き、嵯峨野に庵(今の妓王寺)を結び仏門にはいった。その後平家が壇ノ浦で敗れたため、平家ゆかりの兵庫の八棟寺(当寺の末寺)に住持して一門の菩提を弔った。


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17日に近畿地方は梅雨明けした。かんかん照りで暑い。
そんな時に、中の島の中央市場辺りをぶらついていた。
車道には車がひっきりなしに走っているが、歩道には休日の所為か人の姿はほとん
ど見ない。
 
築島橋を渡ると、右手にレンガ造りの建物が目に入った。グレーの三角屋根が2つ、時代を感じさせる。
赤レンガ造りの平屋建て、正面入口のアーチ上に三角形の装飾が特徴的。煉瓦は英国から輸入したものとか。
明治38年(1905)東京倉庫(三菱倉庫の前身)兵庫出張所として建てられたもので、設計は、旧三菱銀行神戸支店や丸の内の煉瓦街、日本郵船ビル、慶応大学図書館などを手掛けた曽禰達蔵(1852〜1932)という。
石川株式会社が昭和10年代にに購入し、昭和20年(1945)から本社として使用しているとのこと。
 
内装は補修改修を行っているが、神戸市の景観形成重要建築物に指定されているそうだ。
 
因みに、石川株式会社は小麦粉、砂糖、食用油脂、米穀その他食品類の卸売や容器を製造する会社である。
イメージ 1
 

神姫バス「養田」で下車、そこから徒歩10分、この先、一山越えたら「西神戸工業団地」だが周囲は田園

地帯だ。

そんな所に長福寺は建っていた。山号は智嶺山、真言宗御室派の寺で、天平2年(730)行基が開いたと

聞く。神戸六地蔵第5番霊場であり、明石西国第25番観音霊場でもある。

境内及び隣接する霊園には、比較的新しく造られたと思われる石仏が建っており、

まるで石屋の作品展示場のような感じであった。



イメージ 1 長福寺 門前
奥が仁王門、仁王様はなかなか立派だった。
仁王門の左右は考古史料館となっており、神戸市西部、明石川上流の田園地帯で発掘された遺物を展示してあった。


イメージ 2 イメージ 3
                        仁王像(吽形、阿形)


イメージ 4 本 堂
江戸時代隣山近江密寺の阿弥陀堂を移築したもの。
本尊:地蔵菩薩、平安時代作と見られる一木造り、小川流忠快律師(平清盛の甥)の念持仏と言われている。
脇侍:不動明王、毘沙門天


イメージ 5 石造仁王像と多重塔


イメージ 6 石造閻魔大王像


イメージ 7 石造地蔵菩薩、観音菩薩像


イメージ 8 石造釈迦涅槃像


イメージ 9 仏足石


他に、六地蔵像、如意輪観音像、五重塔、布袋像、かえる、狸、などの石像が置いてあった。




神戸六地蔵巡りは、昭和55年(1980)神戸市内の宗派を越えて集まった7ヵ寺で構成されたものである。

第1番:太山寺、第2番:潮海寺、第3番:地蔵院、第4番:慶明寺、第5番:長福寺、第6番:西光寺

客番:須磨寺 となっている。

JR明石駅前から神姫バスに乗り、「神戸西高校」で下車し、徒歩10分位のところに神戸六地蔵第4番霊

場、慶明寺はあった。

山号は覚照山、臨済宗妙心寺派の寺院で、弘安4年(1281)開創とか。

参道から門周辺は、植木も良く手入れされ、なかなか雰囲気の良いが、境内に入って特にこれと言った特

徴はない。

正面に鉄筋コンクリート造りの本堂があり、軒下には賓頭盧尊者像が安置されていた。

境内を見渡すと、観音菩薩像や地蔵菩薩像が建てられていた、と言ったところだ。

境内を出て、駐車場の入口近くの、霊園脇に阿倍清明所縁の石と言うのがあった。

この石の謂われを聞くと「安倍清明って何時の人?」と、一瞬考えてしまった。(参考:清明神社)

ただ、安倍清明は播磨守に任じられたことがあるので、その辺りからの伝承かと思われるが・・。

イメージ 1 慶明寺門前


イメージ 2 賓頭盧尊者像


イメージ 3 水子地蔵菩薩像


イメージ 4 観音菩薩像


イメージ 5 清明所縁の石
陰陽師安倍清明がここに立ち寄り、梵字を彫ったと言う自然石。
字は風化のため判読は出来ない。
石の下には鎌倉時代の播磨の悪党花岡太郎が埋められていると伝えられている。



神戸六地蔵巡りは、昭和55年(1980)神戸市内の宗派を越えて集まった7ヵ寺で構成されたものである。

第1番:太山寺、第2番:潮海寺、第3番:地蔵院、第4番:慶明寺、第5番:長福寺、第6番:西光寺

客番:須磨寺 となっている。

神戸では、今日も短い時間ではあったが激しい雨が降った。道路はまるで川のようになっていた。

今年の梅雨は随分雨を恵んでくれるようだ。

1週間ほど前、梅雨と思えぬ晴れた日があった。その時、神戸六地蔵の潮海寺、慶明寺、長福寺の3ヵ寺を

廻った。

潮海寺は山号を金市山といい、天台宗の寺で、神戸六地蔵巡り、第2番霊場である。

観応2年(1351)赤松弾正氏範(足利尊氏を強力に支持し、播磨守護の赤松円心の第4子)が開基で、

太山寺の定羅上人が開山という。

比叡山の慈覚大師円仁が唐より請来の白檀つくりの十一面観音菩薩立像を本尊とし、脇侍に不動明王、

毘沙門天とし、福禄寿をも祀り、尊崇を集めている。

イメージ 1 大石柱
参道入口に建つ。
向って左には「法輪堂轉」、
右には「佛日増輝」と彫られていた。


イメージ 2 山 門


イメージ 3 本 堂
昭和47年(1972)完成 本尊は秘仏の十一面観音



イメージ 4 閻魔大王石像


イメージ 5 イメージ 6
境内のお地蔵さま


イメージ 7 延命地蔵堂


イメージ 8 護法堂
道を隔てた境内の山腹に建っていた。
ダキ尼天(豊川稲荷)、三面大黒天、元三大師、不動明王を祀る。



イメージ 9 補陀洛の庭
平成2年(1990)完成の客殿の前の庭 
観音浄土を表現しているとのこと。








神戸六地蔵巡りは、昭和55年(1980)神戸市内の宗派を越えて集まった7ヵ寺で構成されたものである。

第1番:太山寺、第2番:潮海寺、第3番:地蔵院、第4番:慶明寺、第5番:長福寺、第6番:西光寺

客番:須磨寺 となっている。

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