ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

神戸物語

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如意寺の西南約1.5kmの所に地蔵院が建っていた。神戸六地蔵巡り第3番霊場だ。

境内に入ってみると、建物や、石碑などに特に歴史を感じさせるものは見あたらない。ただ、和み系のお

地蔵様がやたら多く置かれていた。

山号は願王山、南北朝時代(1362〜1367)に月菴(ゲツアン)禅師により開山された臨済宗南禅寺派のお寺であ

る。

天正8年(1580)羽柴秀吉の三木城攻めの際焼かれ現在地に移ったとされる。


イメージ 1 地蔵院(西側より)


イメージ 2 境内全体 (南側より俯瞰)


イメージ 3 本 堂
子供を膝に抱えた極彩色豊かな願王地蔵菩薩像が本尊


イメージ 4 本堂内部
手前に賽銭箱と天井からぶら下げられた大きな数珠があった。本尊のお姿はよく分らなかった。


イメージ 5 地蔵堂


イメージ 6 イメージ 7

イメージ 8 イメージ 9
境内の和み系地蔵

神戸六地蔵巡りは、昭和55年(1980)神戸市内の宗派を越えて集まった7ヵ寺で構成されたものである。

第1番:太山寺、第2番:潮海寺、第3番:地蔵院、第4番:慶明寺、第5番:長福寺、第6番:西光寺

客番:須磨寺 となっている。

JR明石駅から神姫バスで約20分「谷口」で下車、そこより徒歩十数分の山中に目指す如意寺があった。

如意寺は山号を比金山と称し、本尊を地蔵菩薩とする天台宗の寺である。

寺伝によれば、梵僧(インド渡来の僧)法道仙人が推古天皇の勅により、櫨(ハゼ)の木で彫った地蔵菩薩像

祀ったのが起源とされ、大化元年(645)孝徳天皇の勅願寺となり堂塔伽藍が建立された。

その後一時衰退したが平安中期に願西尼により中興されたと言う。

法道仙人草創の話は伝承の域を出ないが、12世紀頃の古文書に「地蔵堂に土地を寄進する」という記述が

あることから、その頃には寺観が整ったと推定される。また、寺院所蔵の古文書群から、中世から近世に

かけて隆盛を誇ったことが知られるとのこと。

現在は、本堂は礎石のみであるが、本堂跡の東側の高台に三重塔、西側には阿弥陀堂(常行堂)、これらの

手前に文殊堂を配して、近隣の太山寺とも共通した天台宗独自のものと思われる。

また、これらの堂宇とは約300m離れたところに山門がぽつりと建っていたがこれは当時の寺域の広大さを

物語っている。

Zさんから「伝平惟盛の宝篋院塔」があると教えられてきたが、住職さんに尋ねると「誰が言い出したか

知らないが、平惟盛とは全くの根拠の無いこと。近くの山中にあり、分りにくいところにある。」とのこ

とだったので、所在を特に確認をしなかった。

イメージ 1 山門
伽藍から離れて建っていた。仁王像が安置されている。

イメージ 2 イメージ 3
                          仁王像(阿形、吽形)
安置されている仁王像は、鎌倉時代作の大型塑像である。

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                           文殊堂
傾斜地に建てられており、懸造様の高床の堂。部材の墨書から享徳2年(1453)の建立の思われる。
重文


イメージ 5 文殊堂内部
格子より内部を覗く。文殊菩薩像を安置する厨子らしきものとその左右を含め3体の像が立っているのがわかった。 


イメージ 6 三重塔
至徳2年(1384)建立、 重文
軒の出が深く美しい総和様の建物 
三層各階には大日如来像、釈迦如来像、多宝如来像を安置し、法華経と密教思想の融合を表している。

イメージ 7

                           阿弥陀堂(常行堂)
応永13年(1406)、寛文12年(1672)に大きく改修されているが、院政末期(12世紀末〜13世紀初)に建てられたもので、神戸市内最古の建物、重文

イメージ 8 本堂跡
第二次大戦後まもなく解体され、現在は礎石を残すのみとなっていた。
昨夜は遅く寝たにも拘らず5時半ごろ眼が覚めた。外は明るい。旅館内はまだひっそりとしていたが、も

うこれ以上寝て居れないので起きて散歩にでかけた。

朝日が射し始め周囲の緑が映える。人影はまばらで街は目覚めようとしている様だ。

鶯の鳴き声と川のせせらぎの音をききながら、有馬川の上流六甲川沿いの緩やかな坂道を上る。

20分ほどで瑞宝寺公園に着いた。

この辺りは、山の陰になり、まだ朝日が当らず、さらに公園内の木々の為、薄暗い。

そして、しーんとしていた。

瑞宝寺公園は明治6年(1873)廃寺となった瑞宝寺跡を昭和26年(1951)神戸市が公園として整備したもの

で、秋の紅葉が知られている。


イメージ 1 旧瑞宝寺山門
明治初年(1868)伏見桃山城から移築されたもので、昭和51年(1976)に瓦葺であったものを銅板葺きに修復した。




イメージ 2 瑞宝寺歴代の塔
瑞宝寺は慶長9年(1604)大黒屋宗雪が開いた瑞宝庵にその緒を発している。
宗雪の孫・三七郎は宇治黄檗山万福寺を帰依し、木庵禅師より寂岩道空を受号、寛文13年(1673)この地に帰山して瑞宝寺の開基となりその基礎を確立した。
歴代の塔のうち、向って右から2つ目が寂岩のものであった。


イメージ 3 十三重石塔
江戸時代後期造
黄檗宗第25代華頂が建立
彼の頃塔堂伽藍が完備されたと言われる。



イメージ 4 石の碁盤
晩秋の紅葉を愛でている間に思わず終日を過ごしてしまったと言う日暮の庭に今なお残るこの石の碁盤はその昔
豊太閤がこれを囲んで心行くまで1日の清遊を楽しんだと言われる。



イメージ 5 歌碑
昭和63年(1988)建立
ありま山 ゐなの篠原 かぜ吹けば いでそよ人を 忘れやはする
                                         大弐 三位



    関 連 記 事



JR六甲道からバス、ケーブルカー、又バスと乗り継いで六甲高山植物園に来た。
 
入園の際貰ったパンフレットによれば、海抜865mにある当植物園は、北海道南部に相当する恵まれた気候を
 
利用し、高山植物を中心に世界の寒冷地植物、六甲山自生植物など、約1,500種を栽培している、とのことだ。
 
緑豊な園内には湿地やロックガーデンが作られ自然に近い状態で植物を鑑賞できるようになっていた。
 
平日の午前とあってか入園者の姿は比較的少なくゆっくりと園内を廻ることができ、高原の気分を満喫できた。
 
花ではサクラソウの仲間であるクリンソウの群落や大株のシャクナゲなどが目を惹いた。
 
イメージ 1
園内の風景
 
イメージ 2
園内の風景
 
 
イメージ 3
クリンソウ畑
 
 
イメージ 4
シャクナゲ

太山寺の境内の内外は「大山寺風致地区」として自然景観が保護されている。その所為であろうか境内の

内外は緑豊な森林に包まれ、ここを起点にしてハイキングする人の姿や写生に興ずる人の姿を散見した。

ここにいると、時間がゆったりし日頃のせわしさを忘れさせた。

イメージ 1 境内配置図'


イメージ 2 護摩堂 '
江戸時代中期築 大黒天、不動明王、毘沙門天を安置する。前に生えている藤が満開で見事。


イメージ 5 釈迦堂 '
江戸時代後期築 釈迦三尊像を安置する


イメージ 4 羅漢堂 '
江戸時代後期築 四天王及び十六羅漢像を安置するとのことだが、覗いてみたが暗くてよく分らなかった。


イメージ 3 鐘楼 '


イメージ 6 観音堂 '
何故か前に鳥居があり、建物も神社風、神仏混淆の名残りか?


イメージ 7 閼伽橋 '
奥の院の稲荷舎、地蔵堂に行く途中、太山寺川(伊川の上流)に架かる橋、新緑と点在する藤の花が美しかった。


イメージ 8 磨崖仏 '
鎌倉時代作といわれる高さ約2mの不動明王。太山寺川の岩肌に彫られたもので対岸より見る。


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