ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

神戸物語

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太山寺は「播州太山寺縁起」によれば、霊亀2年(716)に元正天皇の直願寺として建てられ、開山を定恵、

開基を藤原宇合(フジワラノウマカイ)と伝えられる。

繁栄時には塔頭寺院が41を数え、七堂伽藍を配した寺院だったというが、現在は4つの塔頭寺院に仁王

門(室町、重文)、本堂(鎌倉、国宝)のほか阿弥陀堂(江戸前期)、三重塔(江戸中期)、護摩堂(江戸

中期)、釈迦堂(江戸後期)、羅漢堂(江戸後期)、観音堂、鐘楼、中門などを有している。

イメージ 1 境内配置図


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                         三重塔
心柱の墨書銘から貞亨5年(1688)築 古い時代に比べて、各層の屋根がほぼ同じ大きさでずんぐりしており江戸中期の特徴を表している。


イメージ 3 初層の尾垂木間の邪鬼
各層四隅の尾垂木の間に邪鬼を置いている。色は層毎に異なり、下から白、緑、褐色となっている。


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                        大日如来像と四天王像
三重塔初層に安置されている。パック入りのお酒がお供えしてあった。

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                         阿弥陀堂(常行堂)
本来は常行三昧の修行堂であった。阿弥陀如来如来像を安置


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                         阿弥陀如来坐像
鎌倉初期の作 像高274mの定朝様の仏像 重文

太山寺は神戸市西区伊川谷にある天台宗の寺院である。山号は三身山(サンシンザン)。

開山は藤原鎌足の長男・定恵、開基は藤原鎌足の孫・藤原宇合(フジワラノウマカイ)、と言われる古刹である。

その中心堂宇である本堂(国宝)の外陣に入った。

京都や奈良の有名な観光寺院とは異なり、参拝者の姿はなくガランとしており、朱色に塗られた本堂内の

外陣は内陣とは太い黒格子で仕切られ、入口から入る光だけの薄暗く、外陣では向って左手の暗い隅には

賓頭盧尊者像があるのみであった。

内陣に安置する仏様に参拝をした後、黒格子から内陣を覗くと仏様たちが整然と並んでいた。

中央に本尊・薬師如来像、その左右に増長天と広目天、持国天と多聞天、そして手前に千躰地蔵、十一面

観音菩薩像が立っていらっしゃった。

黒格子は盗難あるいは悪戯からの防止のためやむえないのかもしれないが、外陣と仕切る黒格子からもれ

る薄明かりの中で静かに佇んでいらっしゃる仏様たちがなんとなく可哀そうな気がした。


イメージ 1 外陣風景



イメージ 2 賓頭盧尊者像
体の悪い所はあっちこっち沢山あるので、結局撫でまくってしまった。



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                      薬師如来立像




イメージ 4 イメージ 5
増長天・広目天像                    持国天・多聞天像


イメージ 6 千躰地蔵
写真で点に見える一つ一つがお地蔵様となっている。
神戸六地蔵第一番霊場

神戸六地蔵巡りは、昭和55年(1980)神戸市内の宗派を越えて集まった7ヵ寺で構成されたものである。

第1番:太山寺、第2番:潮海寺、第3番:地蔵院、第4番:慶明寺、第5番:長福寺、第6番:西光寺

客番:須磨寺 となっている。



イメージ 7 十一面観音菩薩像
新西国三十三箇所 第25番霊場
いのりなば みつのよやすし みつみ山 浮世の他の 月の照らして

Nさんから大山寺で花祭りがあるとの話を以前から聞いていたので、昨日太山寺に出かけた。

兵庫県下に国宝の建築物は6箇所16棟あるが、神戸市には太山寺の本堂が唯一のものだと聞いていたか

らだ。

JR明石駅から神姫バスで約35分「太山寺」バス停に着いた。

神戸市内といっても周囲は小高い山に囲まれて新緑がまぶしい。なんでもこの辺りは、「太山寺風致地

区」として自然景観が保護されているとのこと。

バス停の前に仁王門が建っており、参道を数分歩くと石段の上に中門があった。

そこに受付があったが、当日は花祭りということで拝観料はなし、しかも甘茶を振舞われた。

中門正面に国宝の本堂が建っていた。早速参拝させていただく。

訪れたのは13時頃であったが、参拝者はボツボツといった感じであった。

イメージ 1 仁王門
室町時代中期築の八脚門 重文


イメージ 2 中 門
両側白壁の参道の突き当たりに建っていた。


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                       本 堂
鎌倉時代の築 和様折衷様式 国宝


イメージ 4 本堂正面
太い大きな柱、力強い木組み、しかも簡単な外観は古い建築様式を伝える。
蔀戸の上半分は外側に吊り上げ、下半分は取り外せる。



イメージ 5

花御堂
本堂正面入口に設けられていた。


イメージ 6 花御堂の誕生仏
柄杓が2つ用意されていたので、家内安全を祈願しつつお釈迦様に頭から甘茶を降り注いだ。

通常、観光客は掬星台からは摩耶ロープウェーと摩耶ケーブルを乗り継いで下界にもどる。

しかし、中腹にある旧摩耶山天上寺の跡=現在は摩耶山史跡公園となっている=を見ておこうと青谷道

(摩耶山史跡公園までは上野道と重なっている)を下った。

イメージ 1 摩耶山史跡公園
摩耶山天上寺は昭和51年(1976)1月火災で全焼した。  かって堂宇が建ち並びさ、参拝者で賑わった場所は、基壇、礎石などが残るのみで人影もほとんど見ない。  多分後から植えられたののであろう山桜が満開だった。
この山に 世々あとたるる み仏の ひかりを四方に たれかあふがぬ



イメージ 2 延々と続く石段
参道の石段は残っており、延々と続いていた。参拝者はこの石段を上っていたのだ。




イメージ 3 旧仁王門
仁王門だけが残っていた。ただし、仁王様は移動されたのであろう、空であった。


イメージ 4 不動の瀧
旧仁王門から下の青谷道は木々で暗い山道だった。30分ほど下りると不動の瀧に着いた。ここは瀧打ち行の修行の場である。六甲山はかっては修験道の山だった。ここはその名残りの場所であろうか?
これからあと30分ほどで人家に出た。

摩耶山山頂には「摩耶山天上寺」の通称で親しまれている仏母摩耶山(ブツモマヤサン)忉利天上寺(トウリテンジョウ

ジ)が建っている。

寺伝によれば、大化2年(646)、孝徳天皇の勅願によって、梵僧(インド僧)法道仙人(兵庫県下には

彼が創建した寺が多くある)が十一面観音を本尊として開創し、弘法大師空海が唐から請来した仏

母摩耶夫人像を祀り、それゆえに仏母摩耶山(ブツモマヤサン)忉利天上寺(トウリテンシジョウジ)と号するようになった

と言われる高野山真言宗の古刹である。

しかし、現在の寺の建物は新しい。と言うのも、摩耶山の中腹に建ち、偉容を誇った七堂伽藍が昭和51年

(1976)火災で全焼し現在地に移り再建の途上にあるからだ。

なお、旧境内地は摩耶山史跡公園として残されている。

イメージ 1   天竺堂
昭和54年(1979)建立。インドから贈られた摩耶比人像を奉安
現在再建中の山門のすぐ奥参道沿いに建てられていた


イメージ 2   摩耶夫人像
大理石造りで、作者はインドの彫刻家ラム・ラタンジャイミニ師。
日本の伝統的像とは感覚的に異なり、妖艶な感じがした。
第一印象はキリストを抱いた聖母マリア像。


イメージ 3   金堂
昭和60年(1985)再建



イメージ 4

                        金堂の仏様たち
宮殿前にはお前立ちの7観音像、不動明王などの仏様が安置されていた。
山の名を 仏の母と きくからは これぞまことの 慈悲のみなかみ



イメージ 5  摩耶夫人堂
平成14年(2002)再建


イメージ 6

                       摩耶夫人像と脇侍
極彩色の唐服をまとう摩耶夫人(中央)と帝釈天(向って左)、梵天像(向って右)
女人守護、安産子育て守護仏、安産腹帯が祈願のため供えてあった。

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