ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

神戸物語

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山上バスで六甲ガーデンテラスから摩耶山山頂の掬星台(標高670m)に移動した。
 
六甲ガーデンテラスより標高は100mほど低いが、神戸から大阪の市街が眼下に
 
一望にでき、更に大阪湾を囲む紀伊半島が望めた。
 
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六甲アイランド及び対岸泉北方面を望む
 
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神戸中心街、ポートアイランド及び和歌山方面を望む
 
ロープウェー有馬温泉駅から標高880mの山上駅までをロープウェーで上る。標高差約440mを約12分で上る事ができた。
ロープウェーの窓からは、上るに連れて新緑の六甲山の山肌が、更に三田方面が眺望できた。
山上駅から徒歩5分の所に「六甲ガーデンテラス」があり、そこからの大阪湾周辺のパノラマの眺望を楽しむことが出来た。
 
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ゴンドラからの眺め
新緑に混じって桜や躑躅が咲いていた。
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ゴンドラからの眺め
高度が増すと峰越しに三田方面が望めた。
 
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六甲ガーデンテラスからの眺望
幸いに、空気が比較的澄んでいたので遥か紀伊半島から左大阪から神戸ポートアイランドまで眺められた。
 
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見晴らしの塔
六甲ガーデンテラスには約11mの塔が建っており、
そこからもパノラマが眺められる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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見晴らしの塔から眺める六甲ガーデンテラス
見晴らしの塔の下はイングリッシュガーデンを囲むようにレストラン、カフェや土産物店などが建っていた。
 
有馬温泉の温泉街の入口にある観光総合案内所で貰ったパンフレットを頼りに「歴史コース」を歩く。
謂れのある寺社、「念仏寺」、「極楽寺」、「温泉寺」と「温泉神社」を参拝することが出来た。
有馬温泉には紅葉で名高く、太閤の石の碁盤がある「瑞宝寺」があるが、「歴史コース」から外れていたので、今回は立ち寄らず次回の楽しみにしておいた。
 
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念仏寺
天文7年(1539)創建の浄土宗の寺である
太閤秀吉の正室・ねねの別邸跡と伝えられている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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極楽寺
594年聖徳太子によって創建されたと伝えられる浄土宗の寺。
平成8年(1996)庫裡再建のため解体発掘の結果、太閤秀吉の湯山御殿跡の遺構が発見された。
 
 
 
 
 
 
 
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温泉寺
神亀元年(724)行基上人が建立し、仁西上人が中興したと伝えられ、現在黄檗宗の寺。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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温泉寺本堂内陣
本堂には本尊の薬師如来坐像および脇侍の月光、日光菩薩立像祀りまた、行基上人、仁西上人の像をも祀る。
 
 
 
 
 
 
 
 
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温泉神社
温泉寺より140段余の石段を登った山腹にあった。
有馬温泉を発見した大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命を祀る。
社殿脇の桜が満開だった。
 
 
 
 
 
 
 
  関 連 記 事
 
神戸電鉄有馬温泉駅を下車し、温泉街に向って歩くと、温泉街の入口「太閤橋」近くに、古泉閣の元湯の櫓が見られた。
有馬温泉には「泉源コース」と言う観光メニューがあり、それに寄れば有馬温泉の泉源が5箇所回れる(約1km)のでその内一部を歩いてみた。
 
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古泉閣元湯
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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天神泉源
天神社の境内にある有馬を代表的する泉源。
泉質:金泉(含鉄・ナトリウムー塩化物泉)
深さ:206m
温度:98℃
 
 
 
 
 
 
 
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妬湯(うわなりの湯)
岩の前に泉源の小さな井戸穴があった。
女性が盛装してこの温泉の前を歩くと激しく湧いて止まらないとか、自分の憎い心や悪口を言ってののしればたちまち湧くと、江戸時代の本に記され、昭和30年(1955)代に湧出していたが現在は湧出していない。
 
 
 
 
 
 
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炭酸泉源
明治6年(1874)湯山町戸長・梶木源次郎が炭酸ガスを含む泉の話を聞き、泉源を開いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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炭酸泉源
触れてみると常温であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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炭酸泉源公園
泉源の周囲は、小規模ながら木立豊な公園となっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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極楽泉源
太閤秀吉が造らせた湯殿へ金泉を送ったといわれる泉源で「願いの湯」と呼ばれる。
泉質:金泉(含鉄・ナトリウムー塩化物泉)
温度:93℃
深さ:240m
 
 
 
 
 
 
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御所泉源
泉質:金泉(含鉄・ナトリイウムー塩化物泉)
温度:97℃
 
 
 
 
(3年 631)秋九月の丁巳の朔にして乙亥(19日)に、津国の有間温湯に幸す
(10年 638)冬十月に有馬温湯に幸す
                          (「日本書紀」巻第二十三 舒明天皇)
(大化3年 647)冬十月甲寅の朔にして甲子に、天皇、有馬温湯に幸す
      左右大臣、群郷大夫、従り   (「日本書紀」巻第二十五 孝徳天皇)
 
久し振りに関西の奥座敷・有馬温泉に来た。
にとって、前に来てから多分20年以上は経っていると思う。
まず、JR三ノ宮からは、地下鉄、神戸電鉄に乗り継いで約30分で来られるようになっていた。
山間にある風景は変わらないが、温泉街の風景はやはり変化していた。
有馬温泉は神代の昔、大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命の2神が3羽の傷ついた鳥が湧き出した泉で傷を癒しているのをみて温泉を発見したのが始まりと言われている。
日本書紀にも舒明天皇、孝徳天皇が行幸したとの記述があり、日本最古の温泉と言われている。
有馬温泉が世に広く知られるようになったのは、奈良時代に僧・行基が温泉寺を建立し、又鎌倉時代に僧・仁西が十二宿坊を建ててからと言われている。
だが、平安時代には知られていたようで、
清少納言は「湯は ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯(「枕草子」117段)と、三重県榊原の七栗の湯、宮城県鳴子の玉造の湯と共に、有馬の湯を挙げている。
更に、太閤秀吉が湯治のためたびたび有馬を訪れている。
江戸時代になってからはその効能により全国でも評判の湯治場となった有馬には多くの人々が湯治に訪れ、有馬千軒と言われる繁栄をするようになった。
現在でも関西の奥座敷として行楽客が訪れている。
 
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湯けむり広場の噴水
有馬川に架かる太閤橋の近くに出来ていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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満開の桜
太閤橋を渡った袂石(右端)周辺
4月末であるが有馬は桜が満開だった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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親水公園
 
有馬川の両岸は「太閤橋」から上流の「ねね橋」が親水公園となっている。
ただ、自然の川をコンクリートで固めてしまっているのはいかがなものかと思う。
 
 
 
 
 
 
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太閤の飲泉場
約41度の銀泉で慢性消化器病、慢性便秘に効能があるとか。
 
なお、
有馬温泉には3種の湯が出る。
金泉と言われる「含鉄ナトリウム塩化物泉」
銀泉の「ナトリウム塩化物泉」
炭酸泉である。
 
 
 
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足 湯
 
ご婦人方が足を突っ込んでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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古風な店舗
表通りから一歩はずれると車一台通るのがやっとと言う路地に古風なつくりの店舗が並ぶ。
写真右は炭酸泉を利用してつくる「炭酸煎餅屋さん」の店、結構客が入っていた。

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