ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

神戸物語

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JR神戸線を乗っていると、新長田駅辺りで南側の車窓から少し見える鉄人28号の巨大なモニュメントが見

られる。それを間近に見ようと新長田駅で下車した。

それは大丸新長田店の西隣の若松公園に建っていた。

鉄骨に鉄板を張って造られていて、高さは約18m。原作の鉄人28号の寸法と同じで、確かにでかい。

だけど、耐震対策は採られているだろうね!と、念を押したくなる形だ。

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この鉄人28号のモニュメントはJR新長田駅南側の商店主らで作るNPO法人「KOBE鉄人PROJECT]が神戸出身

の漫画家・故横山光輝(1934〜2004、 「鉄人28号」、「三国志」、「バビル2世」、「魔法使いサリ

ー」、「ジャイアンロボ」、「仮面の忍者赤影」などの作品がある)の偉業を称えると共に(15年前の阪

神淡路大震災からの)地域の復興と活性化のシンボルとして、昨年建てたものだ。


東隣の大丸新長田店の2階では、2月15日までの予定で、「鉄人28号と昭和のくらし展」を開催していた。

鉄人28号が流行した50〜60年代のブリキの玩具とか看板、日用品などを展示していた。特に、鉄人28号の

玩具が約50体もあった。

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地下鉄「長田」で下車し、徒歩10分位のところに長田神社がある。

神功皇后摂政元年(201)2月皇后が新羅からの凱旋の途中、武庫の水門(ミナト)にて「我を長田に祀れ」との

お告げにより、山背根子(ヤマシロネコ)の女、長媛(ナガヒメ)をして創建された神社である。

残暑厳しい昼間に訪れたが、参拝者の姿はほとんどなく、お札や、御守、絵馬等を授与している巫女さん

は暇そうな顔していた。

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                     社 頭
社頭には苅藻川が流れ、朱塗りの欄干の八雲橋がかかっている。文化9年(1812)橋が架けられたが、それ以前は参拝者は川の置石を裸足になって渡っていたそうだ。

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                     神門・廻廊
社殿前には神門と廻廊があり、その周りには大きな楠などが杜を造っていた。
古伝によれば、「鶏鳴の聞こゆる里は、吾が有縁の地なり」とのお告げにより、長媛がここに祀った。
それ故、鶏は神のお使いとして尊ばれ、昔は鶏が境内に多くいたが、今は放たれていないのか、今日は全く姿を見なかった。


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拝 殿
祭神は事代主命(コトシロヌシノミコト=恵比須さま)
平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災では半倒壊状態になったそうだが、今は完全復旧している。

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楠宮稲荷社
神殿の北側にある摂社。
古伝によると、6世紀頃の初秋、繁殖のため岸近く寄って来た赤えいの群れが、夜の台風により増水した苅藻川を遡り、水でひたひたの境内に入り、近在の人がこれを発見捕獲しようと後を追ったが、御神木「樟」の付近で見失ってしまった。
以来、この御神木「樟」は、神の化身である「赤えい」の宿る所「長田神社摂社・楠宮稲荷社の御神木」と崇敬されてきた。

イメージ 5赤えいの絵馬
明治25年(1892)頃から奉納され始めた。
年齢、干支、男女の別を書きご神木周囲の透垣にかけて祈願する。

イメージ 6御神木前の透垣の絵馬
楠宮稲荷社社殿の奥に生えている樟の大木、これがご神木だ。その前の透垣に多くの赤えいの絵馬が奉納されていた。あらゆる疾病に効験あるとの病気平癒の深い信仰があるが、その多くは痔疾平癒の祈願であり、楠宮稲荷社は「痔の神様」といわれている。
しかし、さっと観た所、受験合格祈願や、恋愛成就祈願などもあった。

JR兵庫駅から和田岬線9:10発の電車に乗った。

この和田岬線は朝と夕方の通勤時間帯にのみ運行される電車で、:)が乗った9:10発の電車は午前の最終電

車だ。終点の和田岬駅までの運行時間は約5分だった。

和田岬駅を降りると、すぐ目の前は三菱重工業神戸造船所だった。更に奥には三菱電機神戸工場と工場が

続いている。昔は線路が造船所構内に入っていたという。

さて、JR和田岬駅の近くに「三石(ミツイシ)神社」がある。

神功皇后摂政元年(201)神功皇后三韓より凱旋の途、和田岬に上陸し、神誨を得て、ここに三個に石を敷

き祓所を設け、厳かに祭儀を執り行い、各斎主に託して広田生田長田住吉の神を、神誨の地に祀ら

した、と伝える神社である。

もともとはもっと海側にあったのであるが、明治39年(1906)三菱重工業神戸造船所が設立されるに伴い、

現在地に移った。

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                      社 頭
社頭の(向かって)右手には「神功皇后上陸の地」の標石が建っていた。
鳥居をくぐり、参道の突き当たりには稲荷神社があった。社殿は右手にあり、また、三石の旧蹟は稲荷神社の近くにあった。

イメージ 3三石の旧蹟
神功皇后が祭儀を執り行った三個の石。
推古天皇は御世十年(602)2月新羅を撃たんとして、舟師をこの津より出発するに当り、神部に勅して、神宮皇后の神霊を祀って戦勝を願った。



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                      社 殿
祭神は神功皇后、応神天皇、天照皇大神、素盞男命。
天平年間(730年頃)行基が和田泊を興した時、神功皇后の神誨により祠を建てた。

社殿の前には神功皇后像(平成5年建立)、と応神天皇を抱いた武内宿弥像(平成18年建立)が建っていた。



イメージ 4絵 馬
この神社の絵馬の図柄は雄雄しい姿の神功皇后だった。

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音にのみ 聞きしはことの 数ならで 名よりも高き 布引の滝
                                                藤原良清(千載集)

新幹線新神戸駅の下は六甲山系獺(カワウソ)池に源を発する生田川が流れている。南側はまっすぐ瀬戸内海に

流れこんでいるが、近年市街の河川公園として整備されている。

北側は六甲山の谷筋となり、一歩入ると深山幽谷の趣きさえある。

そこに昔より貴人歌人が訪れて詩歌などに数多く詠んでいる「布引の滝」がある。

新神戸駅より生田川沿いの道を入ると、すぐに煉瓦造りの橋をわたる。「砂子橋」といい、

明治33年(1900)架けられた水路橋だ。

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砂子橋を渡り生田川沿いに遊歩道を登って行くと、やがて雌滝(メンタキ)が姿を見せた。

高さ約19mしなやかな上品な滝である。

なお、布引の滝と言うのは、この先の、鼓滝、夫婦滝、雄滝(オンタキ)を合わせた4滝の総称である。


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山人の 衣なるらし 白妙の 月に晒せぬ 布引の滝
                                                藤原良経(続古今集)
山姫の 嶺の梢に ひきかけて 晒せる布や 滝の白波
                                                源俊頼(続古今集)

雌滝から200mほど上流に雄滝(オンタキ)があり、この間に、鼓滝、夫婦滝があるが、滝の音はするが水の流れ

は木々に遮られほとんど見ることが出来なかった。

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やがて、雄滝(オンタキ)が姿を見せた。高さ約43mの雄大な姿を呈している。

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ぬきみだる 人こそあるらし 白たまの まなくもちるか 袖の狭きを
                                                在原業平(伊勢物語)
ぬしなくて 晒せる布を 棚はたに 我こころとや けふはかさまし
                                                橘長盛(古今集)

この先は市原のダムとなるので、谷道と離れ、景色の良い見晴らし台に足を向けた。

見晴らし台からは、神戸市街やポートアイランドなどが一望できた。ここで暫し休憩した。

今日は暑い。

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三宮から新神戸に向って歩いていたら、外壁がクリーム色のゴッシク教会風の建物があった。

神戸フロインドリーブと言うベーカリーカフェであるが旧ユニオン教会を改修して使用しているものだっ

た。

店前の説明板等によると、アメリカの建築家ウイリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964 滋賀県を中

心に多く建築を残した、例えば醒井郵便局)が設計、昭和4年(1929)竣工した鉄筋コンクリート3階建て塔屋1階

の建物である。

平成4年(1992)教会が灘区に移転したので平成11年(1999)改修され、1階は店舗、2階の礼拝堂はカフェと

している。

平成11年国の重要文化財に指定されている。


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