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播磨西国三十三ヶ所観音霊場第5番札所性海寺から距離的にはそう離れていない(地図上では東北東に 約1km)26番近江寺に行ってみる事にした。 性海寺の北側は樹木が生い茂った丘陵となっている。 そこの山道を見つけ北側へ横断する。直線距離は500m位のはずだが、30分以上かかってしまった。 それに直射日光は当らなかったが結構蒸し暑かった。 北側の平地に出ると東西に走る細い道があり、その道を東にたどった。 すぐに「孝謙天皇祈願所 近江山近江寺」という縦看板と共に仁王門が建っていた。 更に500mほど歩くと左手(北側)に近江寺の塔頭・実相院が見られた。 実相院に入り、庭を通り裏手に行くと、近江寺の境内に繋がっていた。 実相院の表門の内側に幾つかの水鉢がおいてあり、そこには蓮や睡蓮が花を咲かせていた。 奥の庭はなかなか風情のある造りであったが、池の水は抜かれ、手入れもままになっていないという感じ であった。惜しいことだ。 無縁仏の墓石を寄せた墓塔(墓塚)を過ぎると近江寺の境内だ。 近江寺は播磨地方の寺の創建で度々登場する法道上人が創建した寺である。 それだけ古い由緒を持つ寺ということだ。 境内には本尊・十一面千手観音を安置する本堂をはじめ、護摩堂、鐘楼、鎮守社などが建っていた。 これらについては次稿で紹介しよう。 なお、鐘楼に吊られている梵鐘は天女と龍を鋳出した絵柄が美しいものであった。 仁王像 水鉢の睡蓮と蓮 |
神戸物語
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猛暑の中に訪れた性海寺(ショウカイジ)は、山号が高和山と号し、高野山真言宗の寺院である。 天平2年(730)行基が、聖武天皇から下賜された香木に自ら如意輪観音菩薩像を刻み、これを本尊として開 基したという。 八幡宮を鎮守とする七堂伽藍が建立されたがその後荒廃した。 平安中期の白河天皇の時、東大寺の如幻上人が再建し、中興の祖となった。 戦国時代、羽柴秀吉の「三木攻め」の際、三木城の別所長治に味方した為、全山焼き払われた。 江戸時代に入り、三代将軍徳川家光により再建され、江戸中期には塔頭寺院が23ヶ所あったがその後衰退 し、現在は無住で塔頭の福智院、龍華院の2院が管理しているとのこと。 万治2年(1659)再建 内陣と外陣が格子で区切られ密教寺院の特徴を備えている。 外陣には隅に賓頭盧尊者がおかれ、上方に大きな黒馬を描いた絵馬が架けられていた。 内陣には向って左に弘法大師像、中央に「本尊を安置している厨子」、右に地蔵菩薩像が置かれていた。 外陣の隅に置かれてあった。 外陣の上方には大きな絵馬が掲げられていた。 内陣向って左側 秀吉の「三木攻め」の際、寺は焼き払われた。 その時、本尊は膝の部分が焼けただけで持ち出された。 播磨西国三十三ヶ所観音霊場第25番札所
内陣向って右側 神戸13仏 第5番地蔵尊 |
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1週間以上も暑い日が続いている。 こんなに暑いと何処にも動きたくなくなり、更に熱中症が多発しているニュースを聞くとなおさらだ。 しかし、これでは体が鈍ってしまうと思い、近在の寺院を訪ねることにした。 こんな時節であるから、人出もなく、人の姿を気にすることなく、ゆくっりと拝観できるだろう。 先ず播磨西国三十三ヶ所25番札所性海寺(ショウカイジ)に行って見ることにした。 因みに、神戸市の垂水区、西区は播磨国に属していた。 神戸市西区の神戸ワイナリー、農業公園から県道65号を西北に1kmほどいった所に性海寺(セイカイジ)が建っ ている。 車がひっきりなしに走る県道から性海寺に向う細い道に入ると、道の傍らに仁王門がどうしてこんな所に 建っているのかと、思わせる様に建っていた。 更に、300mほど行くと性海寺塔頭の一つ・龍華院があり、更にその奥100m、性海寺が建っていた。 門や塀等は見当たらない。 建物としては本堂、阿弥陀堂、護摩堂、鎮守社の八幡社があり、境内には西国三十三ヶ所の石祠が点在し ていた。 両側に3mほどの仁王像を安置している。 格子のため写真は撮れず。 性海寺の塔頭、もう一つ塔頭・福智院と共に性海寺を管理している。 三十三ヶ所の石祠が点在する、どれがどの寺院を示すのかわからなかった。 護摩堂と安置する不動明王像 護摩堂は平成10年(1998)築の茅葺 |
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一昨日から晴天が続いている。 今朝の空を見ると梅雨明け宣言が出されても不思議ではないような気がする。 が、専門家の味方というものがあるらしく、近畿地方にはまだ梅雨明け宣言は出ていないようだ。 ふらふらと神戸の繁華街・三宮に出てきたので、序でに、相楽園まで行ってみた。 以前訪れた時は11月の菊花展が開催されていた時期であったが、今は特段催し物を行われている訳でない ので、極自然に緑濃い夏の庭園をゆっくり鑑賞できた。 園内には重要文化財が3っある。船屋形、旧小寺家厩舎、旧ハッサム住宅である。 前回訪れた時は修理中とか、展示物の準備で立ち入れないとかで、見られなかった旧小寺家厩舎、旧ハッ サム住宅も、外からではあるがゆくっり見られた。(内部公開はしていなかった) 春にはツツジ、秋には紅葉が見事らしいが、今はその時期ではなく、池泉回遊式庭園に向かう途中の通路 脇に、白と青紫の桔梗が満開であった。 大クスノキ 正門を入ると正面に目に入る。樹齢500年以上とか。 池泉回遊式庭園 旧小寺家厩舎 小寺謙吉が、河合浩蔵に設計を依頼、明治43年(1910)頃に建築した厩舎。重文 河合浩蔵は明治大正期、官庁建築を中心に関西で活躍した建築家、神戸地方裁判所などがある。 レンガ造りの1階に木造小屋組を乗せたドイツ風の重厚な建築である。 旧ハッサム住宅 インド系イギリス人で、貿易商のJ.K.ハッサムが明治35年(1902)ころ北野町異人館街に建て住んでいたもので、設計はイギリス人。 重文 中央廊下を挟んで両側に居室を配し、全面にベランダをとり、更に渡廊下で後の付属室と結ばれているコロニアルスタイルの和様折衷の建物。 昭和36年(1961)神戸市が寄贈を受け、昭和38年(1963)移築。 なお、平成7年(1995)1月阪神淡路大震災時、屋根から2階の床を突き抜け、1階に落下した煙突を、地震の激しさを後世に伝えるため前庭に保存してある。 このブログを書いている間、気象庁は、中国、四国、近畿、東海、関東甲信地方が夫々梅雨明けしたと見 られると発表した。 |
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金星が太陽の前を横切る「金星の太陽面通過」が午前中に各地で観測された。
三宮から神戸税関前辺りから神戸大橋に入り、前回から8年ぶり、次回は105年後と
いう天体ショウ「金星の太陽面通過」や、久し振りの神戸港の景色を眺めながら、本当にぶらぶらしながら渡った。
神戸大橋を渡ると、ポートアイランドの北端・北公園だ。
ここへは来たのは20数年ぶりだ。
周囲の環境は変わっているが、公園内には、みなと異人館やいるかの噴水などがあり、また神戸港を眺められる絶好のポイントであることには変わりがなかった。
しかし、異人館は閉鎖されており、いるかの噴水は水が止まっていた。
また、隅には雑草が生え、昔来た時に比べ、なんとなく寂れた感じがした。
公園内には神戸平和の塔、神戸港湾殉職者顕彰碑なども建っていた。
なお、みなと異人館は明治39年(1906)米人貿易商のヘイガーが北野町4丁目に自邸として建てたもの。
戦後、日本郵船の船員寮として使用されていたが、その西棟を昭和53年(1978)神戸市が所有し、昭和56年(1986)現地に移築公開された。
確か、1階はカフェ、2階は展望室になっていたと記憶している。
岩壁で遊ぶ子供たちを見守りながら、ここのテラスでコーヒカップを片手にダニエル・
リカーリのスキャット「二人の天使」などを聞いていた、そんな記憶が甦る。
しかし、それは20数年前のことだ。
今は閉鎖されたいる。閉鎖されたのは昨日今日ではなく、相当前からのようだ。
神戸港風景
みなと異人館(東南方向より)
みなと異人館(西北方向より)
いるかの噴水
幾筋もの噴水が流れるはずだが全く止まっていた。
神戸平和の塔
1978年世界連邦建設同盟神戸支部などが建立
神戸港湾殉職者顕彰碑
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