ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

近畿紀聞

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・・・げにさ言ひてのみやはと思ひたちて、石山に十日ばかりと思ひ立つ、しのびてはと思へは

はらからといふばかりの人にも知らせず、心ひとつに思ひたちて、明けぬらんと思ふほどに出で

はしりて・・・」 (藤原道綱の母「蜻蛉日記」)

石山寺の主な堂宇を見てきたが、境内を巡っているとまだ幾つかの建物があった。これらの中には鎌倉時

代のものもあれば、平成になってから建てられたものもあった。


イメージ 1 経 蔵
桃山時代建立 重文 高床校倉造


イメージ 2 鐘 楼
源頼朝寄進と伝えられているが、様式や木材の風解から鎌倉時代後期のものと考えられている。重文
昭和28年(1953)解体修理



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                         心経堂と如意輪観音像
その昔花山法皇が西国三十三所観音霊場を中興されてより一千年の記念事業として心経写経を永久保存するために建立。
堂中央の台座に乗せられた八角輪堂の一面には如意輪観音菩薩半跏像が安置、残る七面には写経が納められる。


イメージ 5 宝 蔵


イメージ 6 光 堂
平成20年落成 阿弥陀如来を祀る。

そもそも石山寺といふは名にしおふものさびたる古刹にして かの俳人芭蕉が元禄のむかし

幻住の思ひに柴門を閉して 今はその名のみをとどめたる国分山をうしろになし、巌石画峨々として

石山といへる名も似つかわしさに、ちとせのむかし式部が桐壺の筆のはじめ、大雅の心を名月に

浮べたる源氏の間には僅にそのかたみを示して風流の愁ひをのこす。 (島崎藤村「茶丈記」)


本堂からさらに石山を上ると、多宝塔の前に出た。多宝塔は下層が方形、上層が円形の平面に宝形造りの

屋根を乗せた2重の塔で、石山寺の多宝塔は、多宝塔の中でも最も優れて美しい姿をしている。

上下左右の広がりが極めて美しく洗練されており、均斉がよくとれた建物だ。

下層内部には智拳印を結ぶ大日如来坐像が安置されていた。

多宝塔から程近い東側に,後白河法皇所縁の月見亭と松尾芭蕉所縁の茶室・芭蕉庵があった。

この辺りからは、琵琶湖が遠くに望め、瀬田川の流れが眼下に一望できた。



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                         多宝塔
建久5年(1194)建立 国宝

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                         多宝塔内部
中央に快慶作の大日如来坐像が安置されている。塔と同時期に制作され、像高102cmの寄木造 重文
内部の柱や天井回りなどの壁面は仏像や草花などの極彩色に描かれていたという。



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                          月見亭と芭蕉庵
月見亭は後白河法皇の行幸に際して建てられたといい、その後再建や修理を経て現在に至る。
芭蕉庵は芭蕉が仮住まいしたという。

月のいとはなやかにさし出でたるに、こよひは十五夜なりけり、とおぼし出でて殿上の御遊び恋しく

所々ながめ給らむかし、と思ひやり給ふにつけても 月の顔のみまもられ給ふ(「源氏物語/須磨」)


蓮如堂の西側に国宝の本堂が建っている。

本堂は南側に懸造(舞台造)の「礼堂」と北側に「正堂」があり、その両棟を「相の間」が結ぶ構成の総桧皮葺の

建物だ。

「正堂」は天平宝宇5〜6年(761〜762)にかけて造東大寺司によって拡張されたことが正倉院文書に見える

そうだ。その後承暦2年(1078)焼失し、永長元年(1096)に再建されたのが現在の「正堂」で、天平宝宇頃

とほぼ同じ規模を持つといわれている。

「礼堂」と「相の間」は慶長7年(1602)淀殿によって建替えられた。

冒頭の部分は光源氏が隠棲地の須磨で、月を眺めながら、都での管弦の宴や紫の上、花散里らを回想する

情景である。

紫式部は選子内親王(村上天皇皇女)のために新しい物語を書くことを求められていた。

紫式部が七日間の参籠した時、八月十五夜琵琶湖の水面に映える中秋の名月を眺めて、光源氏のモデルの

一人・在原行平の須磨での日々を重ね合わせながら源氏物語を起筆したと伝えられる。

「相の間」にそれを伝える「源氏の間」があり、境内には紫式部供養塔、源氏苑に紫式部像があった。

ただ断っておかねばならないのは、確かに式部も、石山詣ではしたにちがいない。

しかし、ここで「源氏物語」の筆をとったというのは、室町時代に書かれた「河海抄」あたりの記述をも

とにした伝承にすぎず、式部自身はそのような事実に言及していない。(杉本苑子「古寺巡礼」)


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                              本 堂
本尊の如意輪観音菩薩は平安時代後期の作と伝えられ、木造で高さ5.3m 片足を一方の足上に組んだ半跏のお姿で岩の上に坐し、見るものに厳かな感じを与える。近年ご本尊の体内から4体の金剛仏が発見され、その内如来立像は文献などから聖徳太子の念持仏ではないかと注目されている。


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                               礼 堂
礼堂内部正面には懸け仏が懸けられ、本堂奥には本尊・如意輪観世音菩薩が安置されている。
しかし、日本唯一の勅封秘仏で開扉は33年ごと、次回は2024年とのこと。
礼堂の天井には大きな提灯がぶら下げられ、脇には賓頭盧尊者(写真には写っていない)が置かれていた。

西国三十三所観音霊場第13番札所
後の世を 願ふ心は かろくとも 仏の誓ひ おもき石山





イメージ 5 源氏の間
相の間に源氏の間があり、側面の花頭窓際には、源氏物語を執筆中の紫式部と侍女の御所人形(伊東久重作)が置かれてあった。


イメージ 6 紫式部供養塔と芭蕉句碑
本堂から多宝塔に上る道脇に建っていた。
向って右の芭蕉句碑には
源氏の間を詠んで
あけぼのは まだむらさきに ほととぎす
とあった。



イメージ 7 紫式部像
平成20年(2008)落成した光堂の南面に造園された「源氏苑」の中央に建てられていた。
背後の堂は光堂
奇観を呈するの硅灰石の岩壁の前には、硅灰石の岩壁を正面(北)に右手(東側)には観音堂、毘沙門堂、御

影堂、が並び、左手(西側)には蓮如堂が建っている。

それらのお堂はいずれも扉は閉まっていたが、中央に10cm四方の穴が開けられており、そこから内部を除

くことが出来た。

のちの世までのことをおもはむ、と思はげみて、霜月の廿よ日、石山にまいる。

雪うちふりつゝ、道のほどさへ おかしきに 逢坂の関を見るにも、むかしこえしも 冬ぞかし、

と思ゐでらるゝに、そのほどしも、いと荒うふいたり。 (菅原孝標女「更級日記」)


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                             観音堂
西国三十三ヶ所霊場の尊像を安置している



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                             毘沙門堂
安永2年(1773)建立 正面3間、側面2間  宝形造
重文の兜跋毘沙門天を中央に、向って左に善膩師童子、右に吉祥天の3体を安置している。


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                             御影堂
室町時代建立 重文 正面3間 側面3間  宝形造
須弥壇に弘法大師、良弁僧正、内供淳祐の御影を安置している 


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                             蓮如堂
慶長7年(1602)建立  重文 懸造 
淀殿による慶長期の境内復興の際、三十八所権現社本殿の拝殿として建築された。
明治以降蓮如上人6歳の御影や遺品を祀る堂として使用されていることから蓮如堂と呼ばれている。
背後の桧皮葺の大きな建物は本堂である。

石山寺縁起絵巻の伝える石山寺創建譚は次のようなものだ。

聖武天皇は大仏の鍍金に使用する金を求めていたが見つからず、良弁に祈願を命じた。

良弁は吉野山で蔵王権現から夢告を受けて、近江の石山の地に至った。

そこで比良明神の化身に逢い、比良明神の導きによって山中の霊岩に天皇の念持仏・如意輪観音を安置し

て祈った。

その甲斐あって陸奥から金が献上された。

祈願成就したので仏像を移そうとしたが、像が岩にくっついて離れない。

良弁はそこに仏像を祀る堂を建て、勅願の寺となった、というものだ。

東大門をくぐり、子院などが並ぶ参道を進む。

途中大黒堂の参拝を終え、入山受付を過ぎると、参道の真中に比良明神影向石が鎮座していた。

比良明神影向石の近くには「くぐり岩」という岩場があり、その近くの階段を上ると、正面に硅灰石の岩

場が聳え、丁度その上に国宝の多宝塔が建っていた。

また、少し目をずれすと、石山寺の鎮守社「三十八所権現」が岩の上から覗いていた。

その西側には、如意輪観音を本尊(秘仏)とする本堂があった。

石山寺はその名の通り石山の上に建つ寺だったのである。


イメージ 1 比良明神影向石
天平創々比良明神この岩に坐して良弁僧正にこの山が観音の霊地であることを示し給う、との説明あり。
奥に見える手水舎の背後がくぐり岩となっていた。
「石山寺縁起絵巻」第一巻第1段によれば、良弁僧正が聖武天皇に大仏建立に必要な黄金の調達を命じられ、金峯山に籠って金剛蔵王の夢告を受け、この石山の地に来た。
すると岩の上で老人が釣りをしており、お告げの地がまさにこの地であることを告げた。
この老人こそが近江の地主である比良明神であった。
なお、同じ様な話が「今昔物語」巻第十一第十三に記されている。


イメージ 2 くぐり岩
この辺りの岩は全部大理石である
奇岩怪岩の幽邃の境中天然自然にくぐりぬける状態をなす、との説明があり。



イメージ 3

                             硅灰石
石灰石が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したもの。この作用により普通は
大理石となるがこの石山寺の様に雄大な硅灰石になっているのは珍しい。 国の天然記念物指定
頂上に建つ国宝の多宝塔については後稿で記す。


イメージ 4 イメージ 5
                            三十八所権現社
石山寺の鎮守として創建された。 本殿は慶長7年(1602)建立で重文
真下には、元は拝殿として建てられた蓮如堂(次稿)がある。

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