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昨日の雨で、櫻―ソメイヨシノ―は散り葉桜となった。 十日ほど前、久しぶりに近江八幡に行ってみた。 まず、サクラ満開の八幡掘に足を運んだ。 サクラは堀沿いの伝統的な建物と調和し、期待通りの素晴らしさであった。 観光客も多かった。 八幡掘は、天正13年(1585)豊臣秀次(1563〜1595 秀吉の甥)が八幡山(271.9)に築城と同時に構築したも のである。 東は北之庄の沢より、西は南津田長命寺湖岸近く、外湖を結ぶ約5km、その全体を「八幡浦」と称し た。 八幡の城下町と琵琶湖を結ぶ一大運河であり、大津、堅田とならんで琵琶湖の3大港の一つに数えられて いた。 湖上を往来する北陸と関西の物資を満載したすべての船は、この八幡浦に寄港し大いに賑わい、今も残る 堀沿いの土蔵・倉庫群は往時の繁栄を物語っており、その重要性は近江商人の活躍を絶対的なものにし た。 この掘割こそが近江商人の代表八幡商人を生み出した源流である。 平成3年(1991)国の重要伝統的建物群保存地区に指定された。 |
近畿紀聞
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近江神宮を参拝した後、帰路につく。 京阪電車浜大津駅で下車して、大津港辺りをぶらついていると 観光船「ミシガン」が入港してきた。 引き続き南琵琶湖を約1時間半かけて周遊するとの事だったので乗船してみた。 もはや観光シーズンが終わったのだろうか?乗船者はひどく少なかった。 「ミシガン」は周遊しながら「大津プリンスホテル港」とびわ湖大津館のある「松ヶ崎湖畔公園港」に 寄って大津港に戻ってきた。 観光船「ミシガン」 全長:59m、幅:11.7m、総トン数:1,046t、最大速力:8.65ノット(約16km/h 外輪船) 近江大橋(左)と大津プリンスホテル(右) |
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京阪電車石山坂本線に並行して、北に向って歩くと、近江神宮の前に出た。 近江神宮は、天智天皇を祭神として昭和15年(1940)、紀元2600年創建された。 約6万坪と言う境内の、鬱蒼とした鎮守の杜の中に続く参道を行くと、色鮮やかな朱塗りの楼門が現れ、 その奥に、山の斜面に内外拝殿、本殿が回廊で取り巻く様に建っていた。 この様な棟続きの神社建築を「近江造り」または「昭和造り」と言われるそうだ。 紀元2600年に当たる昭和15年(1940)創建された新しい神社である。 境内の広さは約6万坪とか。 鎮守の杜の緑の中に忽然と鮮やかな朱塗りの楼門が現れた。 外拝殿 祭神は天智天皇(御神名:天命開別大神、第34代舒明天皇の皇子・中大兄皇子) 外拝殿の前に立つと正面に内拝殿奥に本殿が建つ。 内拝殿 内拝殿・本殿 外拝殿からは正面から少し左右にずれると、本殿が望まれた。 拝殿から本殿まで棟続きの社殿建築で、「近江造り」あるいは「昭和造り」と呼ばれている。 天智天皇が我が国最初の水時計(漏刻)を造ったことに因んで時計博物館が設けられ和時計に関する資料を展示している。 |
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玉だすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生まれましし 神のことでの つがの木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめしを 天にみつ 大和を置きて おをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天さかる都にあれど 石走る 近江の国の 楽浪(サザナミ)の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも 柿本人麻呂(「萬葉集」巻第一 No29) を幾箇所か散見した。 遺跡跡といっても、一か所には碑と柿本人麻呂の歌碑がるが、他は建物の跡を示す杭だけで、住宅街の小 公園と言った感じの広場だ。 677年天智天皇は、新羅・唐と対戦した白村江の戦いで敗北に終わった後、突然都を飛鳥から近江に移し た。 この近江に営まれた宮が大津宮である。 しかし、遷都後わずか5年で崩御し、その後起きた壬申の乱(672)によって廃墟になった。 僅か5年5か月の短命の都であった。 大津宮の位置は諸説あったが、昭和49年(1974)以降の発掘調査によって錦織地区が中枢部分であることが 確定した。 壬申の乱後灰燼に帰し草に埋もれて霞に覆われた近江京址を訪ねた柿本人麻呂は冒頭の歌を詠んでいる。 歌意は、畝傍山の橿原の聖なる神武天皇の御代から お生まれになった歴代の天皇が、次々とそこで天下 を治められた。 その大和を捨てて奈良山を越え、どの様にお思いになってか、天智天皇は遠く離れた田 舎であるのに,楽浪のの大津の宮で、天下をお治めになったそうである。 その天皇の神の命の大宮は、ここだと聞くけど、大殿はここだと言うけれど、春の草がいっぱい生えてい る。霞が立って春の日が霞んでいる。大宮跡どころを見ると悲しい。 |
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西教寺の参拝を終え、再び総門に戻って来た時、道を挟んだ東側に紅葉が綺麗な寺が目に付いた。 西教寺の塔頭寺院の一つ・安養院だった。 境内に入り、阿弥陀如来坐像を安置する本堂や、弁財天を安置する弁天堂を参拝すると供に、美しく色づ いた境内の紅葉を拝観することができた。 西教寺塔頭の一つ 西教寺総門前、道を挟んで東側に位置する。 門前には「忠霊堂」の標柱が建ち、門の右側には「聖天堂」の表札がかかっていた。 尚、この門には「登録有形文化財」を示すプレートが掲げられたいた。 境内西側、乱石積の壇上に東面にして建つ。 入母屋造り桟瓦葺 正面に一間の広縁としていた。 内部正面に阿弥陀如来坐像を安置し 両脇檀には位牌八千余体を安置している。 聖天堂 聖天堂は、享保16年(1731)西教寺本堂の聖地の際発掘された大聖歓喜天の銅像を安置している。 周囲の紅葉が非常に綺麗だった。 比叡山を背景に、三尊石組からなる巨石から流れ落ちる滝は清浄水を表す。 池の北西には亀島を廃止、流水は琵琶湖へと流れる。 奥の高台に弁天堂が建つ。 弁天堂は宝形平面で正面と側面に擬宝珠高欄付の縁を廻らし、軒は深い。 弁天堂に安置する |



