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知らなかったJR三原駅が三原城の本丸跡を貫いていることを。幾度となく三原駅を乗降していたのに。 少し待ち時間があったので駅をぶらついて,始めてそれに気が付いたのだ。 駅の脇や横には三原城跡の石垣があり、北側に出れば三方を濠を巡らした天守台があり、天守台の上は庭 園風に樹木が植えられ、新幹線フォームからもよく眺められる。 そして、大きく「三原城跡」と表示されていた。 立てられていた説明板には次のように記してあった。 「三原城は瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景が永禄10年(1567)沼田川の河口の三原湾に浮かぶ大 島、小島をつないで天正10年(1582)前後と慶長元年(1596)の頃に偉容を整えた。城は海に向って船入りを 開き、城郭兼軍港としての機能を備えた名城で、満潮時には城が海に浮かんでいるように見えることから 浮城とも呼ばれた。小早川氏の後、福島氏、浅野氏の支城となり、明治維新まで存続し、明治27年(1894) に鉄道が本丸を貫き、三原駅が開業した。今では市街化がすすみ、天守台跡とそれを巡る濠、船入跡、船 入櫓跡および本丸中門跡が残っている。」 駅の南側、すなわち海側の壁面を江戸時代の画家岡眼山が享和2年(1802)に画いた三原城付近の絵をレリ ーフにして飾っていた。 |
山陽紀行
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天領の名残りをあっちこっちに留める風情のある白壁の町倉敷美観地区をそぞろ歩く。 観光客の姿はまばらではあったが、寒の内で少ないと思っていたので、意外と多い感じだった。 土産店が軒を連ねる入口 大原邸 国の重要文化財に指定されている 高砂橋から Jスルーカードのデザインになっていた。 高砂橋から 手前角の店は吉備団子の広栄堂本店 |
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19時ごろ倉敷市の美観地区に足を運んだ。 ここは天領時代の面影を残す白壁の家並に観光客を呼んでいるが、 行った時は人影が少なく、多くの店は閉じていた。 それでも白壁に柳が映える主要な建物にはライトアップされ、昼間とは違う雰囲気を醸し出していた。 美観地区入口の土産物店 大原美術館 中橋から観光案内所 白壁の家並 |
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防府市内をぶらりぶらり見て歩いた。毛利氏庭園や国衙跡見たのでJR防府駅に戻ることにし、国衙跡から西へ、旧山陽道から一筋はずれた細い道を歩いた。 やがて右手に小さい社があった。馬神様という。 正式には、少彦名命を祭る石大人(イシウド)社。 寛政年代(1793)この地方に咳風邪、筋の痛みの神経痛で苦しむ者が多くでた為、西国衙の住民がこの地に神を祀り、藁で馬を作り供えたところ悉く平癒したと云われる。 また、昔から「筋の神様」とも言われ、男性が強くなり夫婦和合の霊験な神様として崇敬され親しまれているとのことだ。 さらに行くと、松崎小学校の校庭に二宮金次郎の像が建っているのがフェンス越しに見えた。 かってはどこの小学校にも建てられていたが、どう云う訳か姿を消した。 生き方の具体的モデルとして示すのは悪くないと思うのだが・・。 懐かしい気持ちで写真を撮った。 |
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旧山陽道を防府天満宮から毛利氏庭園に向って歩いていると、旧山陽道沿いに佐波神社があった。 佐波神社はもと金切神社といい、仲哀天皇が筑紫征伐の際、立ち寄られ、賊軍討伐の祈願のため天照皇大 神のほか十三柱を祀られたのが金切神社のはじめと言う。国府が置かれてから周防国の総社となった由緒 ある神社である。 明治40年(1907)に勝間神社(浜の宮)、八幡社、日吉神社を併せて佐波神社と改称したとのこと。 鳥居をくぐり、階段を登ると広い広場となっており、その奥に拝殿があった。ざっと見渡した限りでは是 といった特徴のあるものはなかった。 石の鳥居 拝殿 史跡周防国衙跡の碑 この神社の南向かいにこの碑が立っていた。この辺りが国府の西北限だったようだ。 |



