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旧山陽道を南に少し下ると、周防国衙跡あった。 国衙とは古代律令国家が諸国においた役所。しかし、律令体制の衰退に伴い姿を消したが、周防国衙は鎌 倉時代初期に東大寺大仏再建の造営料国になったため長く存在し、現在まで遺構が残された稀有な例とさ れている。 ただ今見ると、広大な跡地は史跡公園となっているが、遺構保護の盛り土され、めぼしいものはポツリと 建つ石碑ぐらいだった。 石碑は国庁寺(国衙を引き継いだ寺で明治4年(1872)の解体まで存続した)の官人達が安永7年(1860)建て たもので、銘文は次のとおり。 「ああ 古の昔 国毎に庁有り 今や寥々として聞こゆる無し 而して 此庁独り存す 是 豈記せざるべけんや よって謹んで典に拠り古にかんがみて 其の事を 碑陰に書して 以って不朽に伝う」 |
山陽紀行
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旧山陽道を更に東に歩いていくと、毛利氏庭園の前に来た。JR防府駅から2,3kmであろうか。 実は、今日のぶらぶら歩きはここが目的だった。 と言うのも、防府へ行く前、林泉巡りが趣味のようなSさんから、行くことを薦められていたのだ。 毛利氏庭園は大正5年(1916)に完成した旧萩藩藩主毛利氏の邸宅で、多々良山南麓の起伏に富んだ約25,00 0坪の庭園である。 館は江戸期の御殿造りを取り入れ、庭園は、瀬戸内の自然を背景あるいは借景とし、池の周囲を回りなが ら景色を鑑賞する池泉回遊式である。 また、明治大正の技術の粋を集めた旧大名家庭園として評価が高く、国の名勝に指定されている。 今回は見なかったが、邸宅の一部は毛利博物館となっており、雪舟の「四季山水図」(国宝)、毛利元就 自筆の「三子教訓状」(重文)など毛利家に伝わった数多くの収蔵品が展示されているとのことだ。 表門 表門から玄関に至る路 紅葉が鮮やかだった 玄関 毛利氏庭園 瓢箪池から眺めた景色 |
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防府天満宮で萩往還と別れ、旧山陽道を少し歩くと左側に漆喰が剥がれ落ちた土塀が続き、そこが周防国 分寺だった。 天平13年(741)聖武天皇の勅願により、国ごとに建てられた官寺のひとつで、創建当時の境内に今も伽藍 を残すきわめて珍しい例として知られている。 楼門 かっての門は応永14年(1417)に焼失し、文禄5年(1596)毛利輝元が再建。 明和4年(1768)毛利重就(しげたか=第7代萩藩藩主)が大改修、近くは昭和31年(1956)に解体修理。 この様に建立年代は古いとは言えないが創建当時の境内にあり、大寺院の山門にふさわしい規模と構成を供えた建築物である。 金堂 現在の金堂は毛利重就により建立。安永4年(1775)に着手、天明8年(1788)頃完成したとみられている。 本尊は薬師如来坐像、藤原時代初期の木造日光・月光菩薩立像などが安置されている。 |
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旧山陽道と萩往還の合流地、酒垂山の裾に防府天満宮があった。 防府天満宮は京都の北野、福岡の大宰府と共に日本三天満宮のひとつの天満宮だ。 九州への西下の途中、防府に立ち寄った菅原道真はこの地が気に入り、自分が死んだら魂となって帰って くると約束したと伝えられており、九州で道真が亡くなった翌年の延喜4年(904年)、日本で最初の天満宮 として創建されたとのこと。 石鳥居 江戸時代の初期寛永6年(1629)当時萩藩で活躍した石工木賀兵衛尉によるもの。初代萩藩主毛利秀就が天満宮を造営遷宮を行った時寄進したもの。 大専坊 参道を楼門に向って歩いていくと左手に立っていた。 防府天満宮正面の境内には明治維新まで9つの社坊が立ち並んでいて一山の総号を酒垂山萬福寺と称えた。大専坊はその別当で、天満宮創建当時の草創といわれている。 弘治3年(1557)毛利元就が大内義長を山口に攻め、長府で自刃せしめて防長両国を平定するまで本拠地にした。また、幕末にはこの地を警護する諸隊の屯所となった。 楼門 石段を登ると注連縄が張られた奥に建っていた。 拝殿 銅板葺きの重厚な建物だが、派手な楼門に比べると質素に感じてしまう。 春風楼 当初五重塔を建てる予定で工事を開始したが諸般の事情により中止になった。 この後楼閣形式で明治6年(1873)完成した。 この楼閣からは防府市内が一望できた。 |
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11月半ば、防府へ来た。 少し時間があったので、JR防府駅から北に15分位の所である宮市ぶらついた。 宮市は防府天満宮の門前町として栄えた街だ。 街の中心には山陽道、萩往還{江戸時代 萩と毛利の水軍本拠地である御舟倉(防府市三田尻)を結ぶ街 道}が通じていた。 山頭火生家跡 放浪と酒の俳人種田山頭火の生家跡には時節柄菊の懸崖造り、三本仕立て、盆培など飾ってあった。 中心には山頭火の句ほ彫りこんだ碑があった。 生家跡の横道は山頭火が小学生の頃通ったという「山頭火の小径」で歩いていると句碑が立っていた。 また、近くの護国寺には山頭火顕彰の墓がある。 常念寺 萩往還沿いに建っており、観音像三十三身の伝説を持つ観音様を祭っている。 宮市本陣兄部家 兄部(こうべ)家は鎌倉時代から続く旧家で、元応元年(1319)には周防国の合物商の支配権を握るほどの豪商。寛永19年(1642)から明治維新まで本陣を務めた。残念ながら内部は非公開の様だった。 |



