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“惜別”
映画シナリオライターの彼(牡丹亭と庵)、
多くの作品を残して、突然この世を去った。
私の心から永遠に消えることのない友の別れに。
どんなにか
うれしきことか 夢ならば
酒酌み交わす 前栽の隅
足早に
去りゆく友を 見送りぬ
ほほ笑む君は 野辺の花かげ
春過ぎて
別れのあした 霞雨
残れる者と 庭の庵(牡丹亭)
ひたすらに
ただ ひたすらに 駆けゆきぬ
偲ぶともがら ペンを手に
彼の通夜の祭壇を飾る多くの芸能人の花が胸を打つ。
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北斎7373さん、彼は私と原稿を書くとき、文字のもつ意味をしつこく辞書で調べていましたね。
私が「滂沱の涙」に暮れるのを、彼は決して好しとしないでしょう。
彼は葉隠れ武士の末裔、涙を嫌いましたから。
しかし、彼の死を涙なくしては認められないのが私です。
2011/4/25(月) 午後 6:12 [ 志紋孟 ]
心よりご冥福をお祈りいたします。
親しい人が亡くなるのは本当に淋しい事ですね。
でも、そうやってやがて自分の番になり、繰り返されるのですね。
2011/4/25(月) 午後 6:15
青緑のうさぎさん、こんばんは。
コメントをお寄せくださり、今は心の慰めになっています。
ありがとうございます。
いずれは自分も送られる身、花の中で眠れるだろうか。
2011/4/25(月) 午後 6:37 [ 志紋孟 ]
志紋孟さん
心よりお悔やみを申し上げます。私は2月に妹を亡くしました。
まだまだ、妹を想うと「滂沱の涙」が流れます。
泣いても泣いても、帰ってこないことはわかっているのですが、諦めきれません。 でも強く生きていかなければね・・・
2011/4/25(月) 午後 8:54
志紋孟さま
こちらでは初めまして。
そうですか、ゆかりの方々の花で祭壇が埋め尽くされていたのですね、賑やかなことがお好きでしたから、喜ばれたことでしょう、パルさん。
こんなに早くパルさんにお悔やみの言葉を言うことになろうとは、思ってもみませんでした。
そして、パルさんの最後をよませていただき、涙、涙でした。
あの電車は、パルさんのお宅へお邪魔するときに何度も乗った電車で、あの電車の中で、と思うとあと少しで家だったのに・・・と胸が詰まります。
奥様が落ち着かれたころ、パルさんにお世話になった友人たちとお悔やみにうかがおうと思います。
あの茶室を一緒に作ったころが本当に懐かしく、よいときだったと心から思います。
昨日、私が自分のブログに書いた記事をトラックバックさせていただきます。
あまりに悲しくて悔しくて、とりとめのない文章で、パルさんが読まれたら「Apriさん、ダメだよこんな文章書いてちゃ!」と苦笑いされるかもしれませんが・・・
2011/4/26(火) 午前 0:10 [ Apri ]
★★ 美しき落日も かなしく 寂しいものです
2011/4/26(火) 午前 0:23 [ コトブキ ]
母を亡くした時も、お別れを言わせては貰えず、庵さんにも
お別れを言えませんでした。
人との別れは、時に無情に突き付けられます。
ほんま、涙なくしてどうやって別れられましょう・・・
沢山泣いてくださいね、志紋さん。
空を見上げて、庵さんを思い出していきましょう!!
2011/4/26(火) 午前 9:49 [ つやこ ]
会うは別れの・・・とは言いますが・・
死の別れは、辛いですね。
ですが、それぞれの人々の心の中に 大切な人の声、気持ち、考え
が、残っていくことでしょう。
2011/4/26(火) 午後 9:26
志紋孟さんとは長いお付き合いの方だったのでしょうね・・仲のいい友が去るのは寂しいものですね。映画の懐かしい時代を乗り越えられた方ですね。
2011/4/27(水) 午前 0:48 [ O - ]
Apriさん、おはようございます。
今、思うと、バルさんが茶室を造っている頃が一番楽しかった時でしょうね。
雪見の茶、百日紅の花見の茶、紅葉を手にした茶、思い出はつきません。
お茶をしながら「今の若者は根性がなくて困る、俺たちの若いころとは・・・・」と嘆いていた日を思い出します。
バルさんとの共同企画を夢に終わらせないように頑張っています。
2011/4/27(水) 午前 8:29 [ 志紋孟 ]
takakoさん、おはよぷございます。
お妹さんを亡くされたんですね、お辛かったでしょう、お察し申し上げます。
何時か会えるのでなく、永遠に逢えないんですから、想いは限りなく
続くものですね。
2011/4/27(水) 午前 8:32 [ 志紋孟 ]
コトブキさん、おはようございます。
“落日”は、心にそこはかとない悲しみを映します。
2011/4/27(水) 午前 8:34 [ 志紋孟 ]
つやこさん、人の体にはこんなに涙の水があるのかと驚嘆します。
幕張メッセのセンターにQVCの建設が、日本設計と清水建設ではじまり、設計者と現地打ち合わせで出かけたんです。
変わりゆく新都市の様相に久しぶりの気分転換もあり、ストレス解消になりました。
2011/4/27(水) 午前 8:42 [ 志紋孟 ]
moerooさん、こんにちは。
嫌いだった人でも死の知らせを受けると、心が曇るものです。
ましてや、無二の親友の死は身を裂かれる思いです。
でも、今日から故人のためにも遺族のためにも明るくふるまうつもりです。
2011/4/27(水) 午前 8:46 [ 志紋孟 ]
O−さん、彼との付き合いはそんなに長い事ではなかったんですが、彼から受けたものは深く大きなものがありました。
かけがえのない友の死でした。今生で別れの言葉が交わせなかったのが、かえすがえすも無念でなりません。
この功徳をもって、衆生とともに円にせんことを願うのみです。
2011/4/27(水) 午前 8:52 [ 志紋孟 ]
志紋孟さん
どんなに大切だったか、亡くして気づくものなのですね。
もっと話していたらよかった、もっとあれもこれもしてあげていたらよかった、今生の別れがこんなに早く突然来ると知っていたら。。
たった二人の姉妹の妹を亡くし3ヶ月が過ぎ、姉妹がいなくなったということをヒシヒシと感じるこの頃です。未だに涙が流れます
2011/5/8(日) 午前 2:35
takakoさん、お早うございます。
私が、家内を亡くしてから2年の間は茫然自失して、どんな2年間だったのか記憶にありません。
悲しみから早く逃れたい、そのことばかりが頭にあった日々でした。
このたびは、無双の親友を失い、再びあの悲しみがくるのではないかと思い、先月28日から思い切って傷心の一人旅に出かけ、功あってか思いのほか楽しい旅をしてきました。
亡くなった家内が「男の涙なんか見たくない」といって、楽しい旅に導いてくれたと、真如の月に手を合わせ帰って来ました。
悲しみは、いつまで引きずっては天国にいる人に悪いから、ときどき思い出すだけにしましょう。
2011/5/8(日) 午前 10:01 [ 志紋孟 ]
志紋孟 さん
奥様を亡くされた哀しみの深さと同じ位大切な友との別れだったのですね。 昨年は私も親友を乳癌で亡くし、今年は妹。これ以上私の大切な人達を奪って行かないで!っと叫びたい気持ちでいっぱいです。
私も五十日祭が終わってから、方々の美術館や山々へと足を運んでいます。その時は哀しさを忘れられますから。でも、仰る通り、何時までも仰る通り、悲しんでばかりでは、彼女たちに悪いですね・
2011/5/9(月) 午前 7:47
takakoさん、おはようございます。
そう、明るい夢をみましょうよ。
一度しかない尊い人生です、邪魔されない楽しい日々を送ることを先立った人も願っているでしょうから。
澄み切った夜空、山の端にかかる月を見ると、亡き家内に逢えたような気持ちになり、そんな夜はぐっすり眠ることができます。
きっと、きっとみんなが見ていてくれるんでしょうね、誰も一人じゃあないんですから。
2011/5/9(月) 午前 9:42 [ 志紋孟 ]
ご無沙汰しております。
そして、こちらでは初めまして。
今朝、BS-TBSで楼主様脚本のドラマの再放送があったのですが、
午後になって見逃したことに気づきました。
あのシリーズのどれかの作品で、
ラーメン屋の客として並ぶ楼主様の姿が観れるはずなんですが、
どれだったか。
楼主様のブログが今でも残っていて、読めるのは嬉しいことなんですが、
いかんせん、下品な宣伝コメントが絶えない。
何とかできないものなのでしょうか。
2013/5/9(木) 午後 3:19 [ ふうちゃん ]