|
走れトーマス!日本を起こせ!
静岡県中部に位置する地方鉄道、大井川鉄道がある。
戦後、近代化が進み車が輸送機関を占めるようになると、経営危機に陥る鉄道会社も出てきた。大井川鉄道もその一つだった。
経営危機に陥ったこの会社を立て直そうと、白井昭と言う男がやってきた。
試行錯誤の末、彼が思い付いたのは「鉄道そのものを観光資源にしよう」と言う事だった。そして、消えゆく運命だった蒸気機関車・Steam Locomotive(SL)を運転可能にして保存し、人材など保存に必要なノウハウを蓄え、今では保存鉄道の創始者として毎日SLを走らせている。
金谷駅から南アルプスの千頭駅の間を観光客の夢をのせて走る大人気のSL・C号
機関車と言えば、子供たちの夢を載せて走る“トーマス”がある。
トーマスのジェームス君を走らせたのも大井川鉄道のずば抜けたアイデアだった。
こうして、蒸気機関車が走り続ける大井川伝説は、鉄道を愛する人々の、あくなき努力と英知によって永遠に輝き続けるものだと思いたい。
|
夕日の三丁目
[ リスト | 詳細 ]
|
駅・・・それは人間ドラマの出入り口。
西へと東京駅を発った列車が、右に小田原城を見て海辺を走ると断崖絶壁に立つ駅に滑りこむ。
東海道本線と言えば日本で最も古い、しかも日本の大動脈、経済の要を繋ぐ本線、そして開発された列車がいち早く走るのも、この東海道本線である。
日本の王道とも言える東海道に沿って走る本線にも、幾つかの難所があった。
その一つに、開発当時は海からそそり立つ山肌を切り裂きはしる小田原熱海間は、トンネルまたトンネルの難所だった。
大正の関東大震災では山が崩れ、蒸気機関車に引かれた客車もろとも海に沈み、多くの犠牲者を出したのもこの地だった。
その後、鉄道技術は艱難辛苦の果て、現在の快速電車が走る本線に復旧したのだ
(崖上の東海道本線“根府川駅”のホーム)
太平洋戦争の最中には、東西を結ぶ鉄路整備の緊急性が軍から要求され、東京広島間に超特急を走らせる「弾丸列車」構想が持ち上がり、この難所を切り開く作業が始まった。それが現代の新幹線の生みの親であった。
その東海道本線に、ひそかに建つレトロな駅が存在する。
JRのローカル線には、まだまだレトロな駅も無人駅も残っているが、首都東京の目と鼻の先、熱海、伊豆に近い所にこんな駅があるとは少々の驚きである。
聞けば、みかん狩りやキノコ狩りで賑わう駅の近代化もささやかれたが、懐かしい駅として残す地元の意見もあって現在もその姿で残っていると言う。
(観光地に見られる“道の駅”は土地の産物を販売するSAだが、此処に立つ駅は本物の道の駅である)
駅舎から出ると、そこは大通りではなく狭い田舎道であり、江戸の人達が草鞋を履き替えながら、温泉地へと通った伊豆の旧街道だった。
駅前広場では近くの老婆が戸板に蜜柑を並べて売っている。
狭い街道の土手には水仙の群落がみられ、潮風が花を揺らし、香りが道に溢れる。
蜜柑を一袋買った私に老婆は「この駅に降りた有名人は多く、昔の俳優さんと女優さんがここで降り、山に入って暫く見つからなかった事もあり、都会の人達が此の駅で乗り降りしたんですよ」と、駅を指差して語ってくれた。
東京から大阪に至る一帯の都市群メガロポリスを貫く、世界に誇る東海道本線に、このような心和む駅が存在するのは、日本人の優しさがあるからだろうと考えた。
|
|
ぶらり・・・秋晴れの山里には、
百年と変わらぬ日本の原風景が見られる。
かっては日本中でみたこの笑顔。
健全なり、今も見る、国を支える日本の少年の姿だ。
蛍雪の灯り、それは遠い昔の事であったが、
今もなお残る日本人の心が、少年の姿に見る事が出来る。
|
|
仁義なき戦いの果てに、またも逝ってしまった男・・・。
戦後の焼け跡、闇市派と言えば小説家では野坂昭如、映画監督と言えば深作欣二の謂いだろう。
深作監督の秀作にはどれも“敗戦”の虚無感を引きずった男達の姿がちらつく。
千葉真一、曽根晴美など深作組の重要メンバー、それに丹波哲郎もまた深作作品には欠かせない顔だった。
“焼け跡闇市”を主題とした一大絵巻「仁義なき戦い」シリーズで、深作監督は菅原文太と出逢い、やくざ映画の大御所に上り詰める。
復員兵の菅原文太は、ひょんなことからヤクザ組織に入る。そこは仁義もへったくれもない、狡猾な親分・金子信雄に操られ次々に犬死にしていく仲間たちがいる世界だった。戦争が無ければ堅気だっただろうやくざのアマチュア“焼け跡闇市派”の連中は、根っからのプロヤクザの金子信雄にしてやられる。
この作品を観ると、大義の為に戦死・戦災死して行った大正二ケタ&昭和一ケタの若者たちと、おのれは信じてもいない“大義”を錦の御旗に甘い汁を吸っていた明治男の職業軍人・・・・と言う大東亜戦争という構造と二重写しになってくる。
この大作に傑出した脚本を提供した笠原和夫さんもまた焼け跡で野ら付いていた男だった。
深作監督は、東映東京に入社、丹波哲郎らと組み、東映本社に登用されて社会派アクションを手掛け、黒沢明の後釜を努めた「トラ,トラ、トラ」のギャラで結城昌冶原作の「軍旗はためく下に」の原作権を買い戦争ものも撮ったが、彼の作品を完成に導いたのが菅原文太であったと言っても過言にならないと思っている。
ぽッぽ屋さんの名俳優に次いで、逝ってしまった社会の裏を教えてくれた明俳優も
人知れず、静かにこの世を去って行った。そして昭和は古くなった映画誌を閉じるように観る人の心から遠ざかっていく。
思えば、仁義なき戦いのスタジオを覗くと、菅原文太の横には金子信雄、梅宮辰夫、田中邦衛の顔があった。
|
|
懐かしきは遠き思い出・・・・・
二度と戻らない,あの遠い昔の事ばかり。
冬の便りを聞くと、寺や神社の境内、路地の片隅で落ち葉を集め、たき火で凍える
手を温めた、あの思い出がよみがえる。
♪ 垣根の垣根の曲がり角
たき火だ たき火だ 落ち葉たき
「あたろうか」 「あたろうよ」 北風ぴいぷう 吹いている♪
一、ニ、三、四・・・・・・十! もういいかい、ま〜だだよ!
♪ 村のはずれの お地蔵さんは いつもにこにこ身てござる
なかよしこよしのジャンけんぽん
ホイ 石蹴り縄跳び かくれんぼ
元気に遊べと 見てござる みてござる
夢でもいい、もう一度、今一度、戻れるものなら戻りたい!あの時代へ。
|



