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田舎から出てきた私には案内板見てもサッパリ(^^; 電車から偶然宿泊ホテルを見たので、 線路にそって長い坂道降りたらホテルがあった(^o^)v 明日の試験に遅れないように 学校までの所要時間と道筋を確かめに出かける。 ついでにコンビニ探して、今日の晩御飯と朝パンを買おうと思っていたら さすが学生街 ありとあらゆるものがあるぅ〜☆ヽ(▽⌒*) 大好きなトンカツも博多ラーメンも、イタリアンも、タイカレーも喫茶も。 そして何より学校の隣 きゃー( ☆∀☆)ランチ後に喫煙場所探し回らんでいい〜(^q^) そしてホテルの真裏に銭湯も見っけ〜(^_-) 恐るべし御茶ノ水 明日の試験ガムバルぞ(^^)dってゲンキン?(^^; そう言えば私の実兄は明治大学卒。 この通りを通ってたんかなぁ あまりによい匂いやったから、コンビニ弁当止めて 博多ラーメン、ネギ味噌食べてきた サラリーマン、私の後から入って、替え玉まで食べて先に出た 消化不良にならんのんかなぁ…って私も働いてた時はそうだったっけ |
☆魔女猫の大学生活
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沖縄移住後、2年半ほど陶芸を習いました。初作品etc・・・
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卒業式も、謝恩会も終わり、卒制作品搬出も殿や同級生、先生やアシスタントさん
皆さんが手伝ってくださったおかげで沖縄に無事到着しました
戻ってから魂が抜けたようになっていたのですが
引越しからずっと放って置いた荷物の片付けや、昨年の台風の後始末など
大学の友人が来沖するというのでちょっとずつ片付けてました。
ところが、京都の風邪を引きずっていたのか動くのもやっとの状態が続いて・・・
友人が帰ってから、どうにも体調が悪く、固形物を食べると猛烈な吐き気がして
とうとう飲み物以外受け付けなくなって、検査したら
胆嚢が腫れてることがわかりました。
胃は健康なので、ともかくお腹がすくのに食べたら夜寝れないほどの吐き気なので
怖くて食べれず、体力も消耗する一方なので、
胆嚢を摘出することにしました
殿が勤務する病院なので全く不安はないのですが、
なにせ全身麻酔は初めて
それに胆嚢が原因かも定かではないので、とっても食事できるかどうかがわからない
けど早くトンカツ、カレー、沖縄てびちそば食べたーーーーい
本日これから入院、午前中に手術、3日ほど入院後、自宅療養と聞いてます。
今までとてもブログや、PCを触る気にならず、ご心配をおかけしておりますが、
元気になって戻ってきたらまたブログ再開しますね〜
ほな、
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搬出用木枠をどうやって作ろうか悩みに悩んでいたら
先生がホームセンターまで連れて行ってくれた
おまけに工房をかしてくださって
奥様が今展示会されているので奥様の搬出以外で、空いた時間は手伝ってくださった
感謝感激なのだけど、昨日から熱っぽい・・・
26℃の沖縄から20℃の京都、翌日は10℃、次の日は19℃と
暑かったり、寒かったり、身体が付いていけない・・・。
もう少しだけど、むちゃくちゃしんどい・・・
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受賞者が発表されました
なんと研究室賞を受賞(@_@) にわかには信じがたく学校行って賞札?見て不覚にも涙 ご来場の先輩に笑われちゃいました |
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昨年12月中旬にあった宮崎県の銀鏡神社での夜神楽スクーリング
他の生徒さんのように全く勉強していかなかったので
レポートも深く突っ込んだものではなかったのですが、
今朝評価が届きました。
何と
わぉ
梅原先生ありがとーー
けど、参加者全員かも
ま、それでもうれしいっす
すごくうれしかったのでレポート全文を期間限定で公開しましょうね
とは言っても、コピーや他で勝手に使うのは止めてね
神楽を見て、考えたこと、感じたこと
「神楽」について専門的な勉強をした記憶もないのに、弟の須佐之男命の狼藉に激怒され天岩戸にお隠れになった天照大神を、一計を案じた八百万神の歌や踊りで岩戸から外に誘い出す折に舞った舞が「神楽」の起源であると私は知っていた。
と言うのも幼い私が寝る前に祖父母が語ってくれた物語の中や、図書館の絵本コーナーでこれらの物語を目に耳にしていたからである。このように私が幼い頃は神々が普通に人の生活の近くに日常的に存在していた。
大人になってあの時の話しは、日本で最も古い歴史書『古事記』『日本書紀』に書かれた日本神話の根幹であったと気がついたが、まさかその説話に登場する神話の里で、神々の降臨に立ち会ことができるとは夢にも思わなかった。
降臨の2012年12月14日は長年来の催事の中でも珍しく大雨で、おまけに私ごとではあるが撮影用の備品を忘れていたり、予備を失くしたりと散々で、もしや神々の拒絶の証で天の岩戸も開かぬかと懸念したけれど、あにはからんや銀鏡神楽式二十四番戸破(とかくし)明神に入る頃にはいつの間にか雨も止み、祭場では天岩戸びらきの舞が舞われ、手力男命(タチカラオ)の化身がトランス状態に陥り、佳境を迎えたその瞬間、東の空が白々と開けてきた。
夜神楽を晴れた星空の下で鑑賞していたら、これほどまでに太陽のありがたみを感じることができたであろうか。
この神話が生まれたのも、紀元前198年の金環日食の伝承と推測されるが、いきなり太陽が隠れた時の驚愕たるや想像に余りある。我々の先祖の遺物に時折リアリティを見るのはこういった歴史的事実と交錯しているからであろう。
古事記に登場する神々は、近親相姦は言うに及ばず性格も残虐非道であったり、親子・兄弟喧嘩も日常茶飯事で、嫉妬のあまり僻地へ追放したりとどう考えても神として崇め奉るには程遠い存在に思えて仕方なかったのだが、人間の始祖が神とすればさもありなん、限りなく人に近い神々が愛おしく思えてきた。
式十八番の「柴荒神」でも森羅万象ことごとく自分の所有物と怒り狂う柴荒神(宇宙の根本神)の舞のあとでの神主との問答も、やんちゃ坊主が大人に巧く言いくるめられておずおずと退場するように見えて思わず失笑したほどである。
また雨であったせいか観光客や近隣の村落民も少なく、お陰で米良村の村民が鑑賞している席(プロのカメラマンたちも集まる特等席)に同席させていただき、村民の方と同じ目線で神楽を鑑賞することができた。
驚いたのは式十番が終わった頃から始まった一般人による「掛合囃子」である。
失礼を承知で女性の歌い手さんに「神社からせり歌を歌うよう依頼されているのですか」と尋ねてみた。その方曰く「誰に頼まれたわけではなく、親がこうやって掛合をしているのを小さいころから見てきたから、聞き覚えた歌が自然に出てくるんですよ」とのこと。惚れ惚れするほどの喉で、それはそれは見事な掛合囃子であった。どうやらかつての夜神楽は若い男女の見初めの場で、見初めた相手に思いを伝える即効的な歌も少なくなかったらしい。そのせいか意味深な歌詞も多く、掛合を聞いていた村民から拍手や歓声が上がるなど、方言を理解できなくても村民の方々と同化して裏の神楽を楽しむことができた。
この銀鏡神社神楽で初めて知ったのだが、天岩戸前で陰が見え隠れするほど狂喜乱舞したのは天宇受売命(アメノウズメ)だとばかり思っていたのだが、銀鏡では手力男命の化身となっていた。各地に根付いた神話が各々の隠里で脈々と伝承されているのだろう。
天岩戸が首尾よく開戸したのでこれで宿にもどろうかと思ったが、式二十五番「白蓋鬼神(あまほめ)」が宇宙万物の種である「もの種」を落下させる舞で天の霊徳を褒め称える神楽と聞き及びこの式二十五番と、私は陶芸を勉強しているので火神(沖縄のヒヌカン)にお世話になっていることもあって式二十六番オキヘのカマドの神を祀るまで拝観することにした。
沖縄では未だに旧暦1日と15日にはカマドの神様に塩や酒を献上し拝む習慣がある。沖縄のヒヌカンは出産から願い事まで、全ての神様へのメッセンジャーのような役割をすると考えられているのだ。
さてこの後は国造りから子造りへと神楽の舞も様用を変えていく。とうの昔に子造りの大役も果たした身なので、昼からのシシトギリを楽しみに一旦宿に戻る。
夜神楽の舞台となる「銀鏡」で誰もが真っ先に疑問に思うのはこの地名のようで、私も例外ではなかったのだが、天照大神の孫で後に皇室の祖先となった瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が関与されていたとは思いもよらなかった。この瓊瓊杵尊、ブスの姉より美人の妹を選んだ挙句、一度の契で子ができるはずがないと木花咲耶姫の不貞を疑うなどかなりナルシストで疑心暗鬼な神様である。
さて夜神楽のハイライトである式三十二番「ししとぎり」は、全国に見られる田遊(田楽)に通じるが、山深いこの村では豊作ならぬ豊猟を願う神楽となっている。主役の爺は女の神である山の神のご機嫌を取るべく出来るだけでかい大根を股間に下げる。この男根が小さかったり、折れたりすると獲物を与えないと言う。なんとも好色な女神である。
そして式三十三番「神送り」で、銀鏡神楽のすべてが終わる。
このように夜神楽を鑑賞し、村人と共に一夜を楽しんで、遥か悠久の時を超えて日本人の心のルーツを今に伝えるタイムカプセルがここ銀鏡に残されていると実感した。
現代の日本は高度経済成長により科学・技術の進歩が、父祖から伝承されたモノを排除し、自然への畏敬の念を失わせ、引いては日本人の心の荒廃を招き、自然を命を危うくしている。こんな危機的現代の日本を救済するには、自然と共生してきた祖先の生活の知恵を研究し、守り、継承し、人の将来の進むべき道を見出すことが肝要で、そのために神楽は祭りとしてのみならず、先祖を、地域を知る上で重要な役割を担っている。米良村も過疎化や少子高齢化の波にのまれ、これらの伝統や文化を継承する担い手がいなくなりつつあると伺った。しかし未来を確かなものにするためにもこの貴重な財産をなんとか守り続けていただきたい。最後に私が住む沖縄では未だに先祖崇拝の祭事行事が多く、職を求めて内地へ渡った青年たちも旧暦に従って行事には必ず里帰りし、先祖を迎えるエイサー踊りなどは青年が中心となって幼子に伝承している。また村民ではないナイチャー(他県の人)にも広く門戸を開き、エイサーに参加したい人には寸暇を惜しんで若者がレクチャーし、人材不足を解消している村もある。他県、他村であろうが先祖崇拝、自然崇拝の心は皆同じと言う概念に基づいているのだ。
民俗学者の柳田さんの「古日本の鏡としての琉球」ではないが、沖縄の若者たちに見習える点があるのではないだろうか。
(本文2730字) |


