☆沖縄伝統行事

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ムーチー(餅、鬼餅)

沖縄県で一般に食される菓子の一種。

餅粉に水を加えて練り、平たく長方形にして、サンニン(月桃)の葉に包んで蒸したもの。
サンニンの葉の独特な香りと餅のほのかな甘みがうまく溶け合い、どこか素朴な味わいで、
とてもおいしいお餅。

ちなみに、沖縄のお餅は、杵などでつかないで、粉を練って蒸して作る。


旧暦の12月8日(現1月3日2009年)に健康・長寿の祈願のため縁起物として食される。



名前の由来

「餅」の沖縄方言が「ムーチー」である。
月桃の葉で巻くことから、「カーサ(葉)ムーチー」と呼ばれることもある。

「鬼餅」の由来は沖縄本島の民話による。
昔、首里(現在の那覇市首里)に住んでいた男が夜な夜な鬼になって人畜を襲うことから、
その男の妹が憂いて、鉄釘入りのムーチー(鉄の塊とする場合もある)を兄に食べさせ、
弱ったところを海に蹴り落として殺した。
このように、鬼退治にムーチーが使われたことからと「鬼餅」と呼ばれることとなった。
なお、鬼退治が旧暦12月8日であったことから、
その日は健康・長寿を祈願してムーチー(釘は入っていないもの)を食べる慣わしとなった。

以上、画像と文はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
頂きました。ごっつぁんですm(__)m



イメージ 1
ムーチーがお店や家庭に
出回ると、
沖縄も打って変わって
寒さが厳しくなり始め、
遅れ馳せの冬が到来。

沖縄の人々にとってムーチーは、冬を知らせる風物詩でもあるようです。
北半球の冬至(現12月22日頃)は、太陽の力が最も衰える日。
1年の中で一番昼が短く、日差しが弱まるこの日、太陽の再生と復活を願う儀式を
世界各国で執り行い、更なる年の初めを迎えようと考えたようです。

古琉球王府も例外ではありません。
古琉球人は、太陽は「久高島(神の島)」の東方彼方にある「楽土(ニライカナイ)」の
「ティダ(太陽)ヶ穴」から生まれると信じていました。

ニライカナイの原義は「ミルヤ・カナヤ」(土の屋・火の屋)で、地底にある太陽の居所だと
考えられています。

地底にあるティダヶ穴から産まれた太陽は、東の空から現れて、西の海に沈んでいきますが、
その日の夜中に地底のトンネルを通って再びティダヶ穴から産まれ出ると思っていました。

無限に再生を続ける不滅不死の太陽と琉球国王を重ねあわせ、国王を太陽神の末裔、
太陽の子とすることで王権を神聖化したのです。
この思想を「太陽子思想」とよんでいます。

琉球国王を太陽神の末裔と信じていたこの国では、太陽が衰えると国王の力も弱まると
考えられていました。
そこで冬至の日を正月とし、この朝日を初日の出として、国王の統治力強化や国の繁栄を
祈願したのです。


「球陽」と言う歴史書には、古琉球での冬至の儀式は察度王(サットおう)の時代から始まったと
書かれています。
首里城(那覇市首里)以前の王都は浦添市にあり、この居城であった浦添グスクの
当事(1300年頃)のキング(^^ゞが察度王でした。

冬至の日の浦添グスクでは神秘的な事象が現れます。
浦添城址(グスク)から一年に一度、冬至の日に、久高島(神の島)から
昇る朝日を眺めることができるのです。

この日にティダヶ穴から産まれた朝日は、久高島を望みながら東にむかって急坂を下り、
そして浦添グスク下の「暗しん御門(クラシゥンジョウ)」とよばれる暗いトンネルをくぐり抜け、
明るく眩しい二番庭(ニライカナイ)にティダが突如現れ、さらに「なーか御門」(アーチ門)を
通って王の墓室(ようどれ)がある「一番庭」に至る構造になっています。

まさに、地下トンネルをとおってニライカナイに行くという設定です。

イメージ 1

この「浦添ようどれ(王墓)」を創ったのは察度王以前のキング、英祖王(1200年頃)と言われています。

英祖王は古琉球王府の現存した初の「太陽神の子」なのだそうですが、
察度王はこの方を敬い畏れ、浦添ようどれの冬至を儀式化したのかもしれません。(魔女猫の推測です)

(上記は「沖縄県立芸術大学教授 安里 進様」の文献を参考に、私の主観も含め記載しました。謝々)

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古琉球王国の歴史

古琉球国の歴史をかいつまんでお話ししましょう。

太陽(日ティダ)の子(ヌクヮ)、ティダコとして産まれた英祖王(1229〜1299年)は

彼以前の伝説的国王に比すれば、実在の人物で、農業政策や租税の公平化など摂政にも

力を発揮し古琉球国(当事の首都は浦添市)を統治。

また英祖王が残した貴重な遺産に琉球最古のお寺、極楽寺と

浦添ようどれ(王の墓)があります。

イメージ 1
←過去のようどれ

イメージ 2
沖縄戦で大破。再建されたようどれ→


しかし彼の後継者が、酒色に溺れ道楽三昧で失政に至り、

南部の南山王、北部の北山王と三つ巴の戦国時代が到来します。

そんなとき注目を浴びたのが、現在の宜野湾市森川公園にある泉にまつわる

天女の子と言われる察度(さっと)でした。

王国の役人や民の薦めで、1350年に察度が王位につきます。

彼は進貢船の第一号を明に派遣、中山王の称号や暦、船をもらい以降、

明国との長い友好関係を保つことになります。

外交能力も長けていたようです。

また外国から技術者を受け入れ爬龍船を造らせたことが、ハーリーの始まりとも

いわれているんですって。

そして1383年、明朝により国名を「琉球」と命名され、

この名が和名の「おきなわ」より一般的な呼び名になります。

さらに、察度王は首都を浦添から、現那覇市の首里へと移し王城を構えますが、

後年は驕りが見られたようで、彼の評判はあまり芳しくありませんでした。

その後の巴志王や尚巴志王は有名ですが、以前の古琉球の歴史は意外とご存じない方が

多いようなので、駆け足で琉球物語をアップしてみました。

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琉球王朝絵巻

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首里城祭最大のイベント「琉球王朝絵巻行列」が26日、国際通りで開催されました。 琉球王朝絵巻は、中国皇帝使者・冊封使が琉球に訪れた時の行列を再現しています。 構成は、琉球国王・王妃行列、中国皇帝・冊封使行列、伝統芸能行列の 三つの行列を組み合わせたもの。 イメージ 2イメージ 3 この行列への参加者約1500名は全て県民からの 公募で選出されます。
イメージ 4
祭の期間中、首里城内では伝統芸能披露のステージも催されています。


魔女猫はこの日たまたま国際通りにある美容院「ミムデオム」に予約を入れていて、

特等席?でもある二階の美容室から、イベントを拝観。

髪をカットしてもらい、カラーリングしている最中に、デジカメで撮影(^^ゞ

琉舞あり、三線あり、エイサーあり、空手あり、音楽隊(?)あり、


イメージ 5イメージ 6


先日、小説「テンペスト」を読んだばかりでしたから、とても興味深く

カリスマ美容師に頭の位置を直されつつe(^。^)g、ひたすら窓外を眺めておりました。

とても一般人の演舞とは思えぬ完成された芸能で、さすが琉球と感嘆しましたよ♪
那覇祭りの最大イベント、【那覇大綱挽】は琉球王朝時代の那覇四町綱の伝統を引き継ぐ

長い歴史を有する沖縄最大の伝統文化慶賀行事です。

イメージ 1
地方の農村行事おしての綱引きが、稲作のための雨乞い・五穀豊穣・御願綱を起源とするのに対し、 那覇大綱挽は町方(都市)の綱として、交易都市那覇を象徴する大綱挽です。 イメージ 2 明治以降は、 お祝い綱として幾度も 開催されましたが、 1995年ギネスブックによって 「世界一のわら綱」と 認定されるに至って、 【那覇大綱挽】は いまや世界一の綱挽として、 那覇市民・県民の 誇りとなっています 大綱は自然の材料で作られた最も巨大なロープで、毎年ギネス記録を更新中です。 那覇市を東と西に分け、挽くのは長さ186m、直径約1.56mのジャンボ綱。
イメージ 3
ドラや鉦(かね)、太鼓が鳴り響く中、綱を手にしようと数万の群衆がひしめき波うつ、 その様は実に壮観です。

<ギネス認定登録>
【第1回】
'95年全長172m、総重量31t730kg、直径1m54cmとして認定
【第2回】
'96年全長186m、総重量38t610kg、直径1m56cmとして認定
【第3回】
'97年全長186m、総重量40t220kg、直径1m58cm、挽き手15,000名、参加人数275,000名

<那覇大綱挽はなぜ「引」ではなく「挽」なの?>
「挽」という字は力を込めて引っ張るという意味で、「のこぎりを挽く」などに使います。
那覇大綱挽の「挽」の字は琉球王朝時代からの慣習として用いられ、巨大な綱が地面を往復し、
摩擦を起こす様子からこの字が使われるようになったと言われています。
 

(以上NAHA-Navi より抜粋いたしました)

さて世界中から勇ましい方々(特に欧米人)が集まるこのイベントは、準備が大変。
巨大な雄綱(東方:アガリカタ)と雌綱(西方:イリカタ)を中心に引き寄せ、繋げるのが、大仕事!
黒尽くめの旗頭シンカ達と一般市民達が協力しながら手繰り寄せて、結び目を、太い貫棒で固定。
結び付けられた大綱挽き勝負の前に、支度我栄(したくがーえー)というのがあります。
これは東西それぞれに琉球史上の英雄に扮した役者が板に乗って、
綱上を先端まで移動。結び目の境でガチンコパフォーマンスをして、試合開始を宣言するもの。
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今年は、東の津堅親方は仲嶺真永さん、対する西は富永実正さん。
この役を演じることはとても光栄なことだそうです。さもありなん♪

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2008年10月12日(日)に行われた38回のイベントでは「東」が勝利
挽にはどなたでも参加でき、終了後は無病息災のお守りといわれる
枝綱を持ち帰ることができます。


来年は皆様是非ご参加ください♪ヾ(@^▽^@)/

(画像は2008年10月12日RBCニュースより抜粋・謝々)

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