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私の名前はファニータ・クルスです。70歳です。母の名前はマリア・パンゲリナン・ナプティ・イグナシオです。父は1938年に亡くなりました。モンモン(グアムの首都ハガニャ近郊の集落)に住んでいました。8歳の時に初めて日本兵に会いました。飛行機がたくさん飛んできたのを覚えています。軍人や馬が私の農場に入ってきました。上空には飛行機が飛んでいました。あまりそのことを考えずに仕事をしていました。

次の日に、20人くらいの日本兵が馬に乗ってやってきました。私は馬を見たことがありませんでした。日本軍の兵士と馬が農場に入ってきたのです。一人の日本兵士が母に平手打ちをしました。日本語で何か言いました。母はチャモロ語で「それは食べ物です」と言いました。馬が畑の作物を食べてしまったのです。日本兵は馬のえさにするため、私たちの畑に入ってきたのです。隊長がやってきて、母をココナツの木にしばろうとしました。私は母をしばった布をほどこうとしました。別の兵隊が私を銃剣で刺そうとしました。私の足にその先が当たりました。隊長は母をしばってしまいました。馬に食料を与えた後、母の縄を解いて、そこに倒し、レイプしたのです。私と弟は母を助けようとしました。2時間ぐらいそのままでした。私と弟はそばにいるだけでした。母は何とか自分ではって家に入りました。母が「薬をとって」というので、薬を取ってきて貼り、体を洗いました。

その後2週間、母は寝ていました。薬をあげたりしていました。1ヶ月くらいして、体をうごかせて働けるようになりました。日本兵が鶏や豚を取っていってしまったので、食べるものがありません。魚を取ったりして食べていました。仕方がないので、ココナツで飢えをしのぐ状態でした。
2ヶ月後に再び日本兵がやってきて、服を洗濯するよう言われました。兵士に食べ物も渡しました。家の中をチェックするので隠すことはできません。


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