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ある日、白人のアメリカ人のような人が家にやってきてバーガーグに来るように言いました。そこでは石を拾ったりしました。そこは飛行場を作るための土地でした。
また、マネンゴンの収容所に行くように言われました。私は10歳になっていました。沢山の人と一緒に歩きました。5時間ほど歩きました。日本兵に追い立てられて歩き続けました。日本兵に何度も平手打ちされてり、殴られたりする人も沢山いました。倒れると余計殴られました。立ち上がれないと殺されました。首を切り落とすのも見ました。悲しくて恐怖でいっぱいでした。その恐怖というのは、母に何をするかわからないという恐怖でした。私たちは休むことが許されませんでした。

到着したマネンゴンは鉄条網がはりめぐらされていました。人の手で作られた洞窟もありました。私たちの多くがここに押し込められました。逃げようとした人に向かっては銃で殺してしまいました。生き残った者は鉄条網で囲まれたところに収容されました。そこには食べ物がほとんどありませんでした。ある時どうして逃げたのかわかりませんが、母が外に行って小さな魚を取ってきました。私と弟に渡して「隠しておくように」と言いました。しかし兵士が来てしまいました。私は大丈夫でしたが、兵士は弟の口をこじ開け、舌を切り落としてしまいました。弟はそこで死んでしまいました。私はありったけの布で弟をくるみました。

アメリカ兵が(解放しに)来たとき、私は病気でした。日本兵の銃剣の破片が足に刺さっていたのです。体調が今でも良くありません。悪夢を見ます。

このことを私の子どもたちは知りません。娘たちは言います「日本人を嫌いにならなくたって・・・。いい人たちでしょう」と言いますが、私には難しいことです。

(2004年12月10日神宮前区民会館、12月11日立川女性センターアイムでの証言)


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