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「私の真実をお話して、2度とこのようなことが起こらないように活動しています」

証言者:吉 元玉(キル・ウォノク)さん 1928年 現在の北朝鮮 平安道生まれ


13歳の時に、工場に就職させてあげるということを聞いて、「それなら技術も身に付けられるし、工場に行っていいな」と思って、本当に物心もつかない幼い軽はずみさで、家族の誰にも言わず、信用してついて行ったのが始まりでした。(連行時、吉さんは13歳)行ったところが、ハルビンのあの恐ろしい、今いう「慰安所」でした。

慰安所には監視する人と軍人がいました。監視する人は普段何もしてくれず、叱る時だけ来ます。小さな部屋に入れられ、言われることと言えば、「叫ぶと殺すぞ」「死にたいのか?」の繰り返しです。
13歳ですから、当然泣くし、泣くとこぶしで殴られました。幼かったので、軍人の欲望を満たすことができませんでした。それでさやのついた刀で頭を殴られたこともありました。私が殴られて血まみれになっても軍人は自分の欲望を満たし、監視人は服を着替えさせてもくれませんでした。あとから周りの女の人が着替えさせてくれましたが、血で(くっついて)服を脱がせることができず、びりびり引き裂いて脱がせてくれました。

殴られて痛くてもっと泣くと、足で蹴ったり、更に殴ったり、軍人が監視人に私が従わないと言うと、それを理由にまた殴られました。子どもでも容赦なく乱暴な扱いを受け、食べさせてもらえない時もあり、誰も慰めてくれる人もいません。そんな状況で月日が流れました。生理があるときも、構わず相手をさせられます。敷物が真っ赤になっても、軍人は自分の欲望を満たさないと出て行きません。

身体を洗う、下を拭くこともできず、次々に相手をさせられました。子宮も傷つき、子どもも生めませんでした。


ある日、軍人も監視の人もいなくなりました。戦争が終わって、突然置いていかれました。


苦労の末、韓国に帰ることができましたが、私の知らないうちに祖国は南北が分断されてしまい、北側にある故郷には帰れませんでした。
それに、人々が太極旗を振って祖国解放を街頭で喜んでいても、自分が戦争中どこにいて、どんな目にあっていたのかが分かるのが恐ろしくて、その輪の中には入っていけませんでした。

私の経験したことをすべて語りつくそうとしても、それはもう、言葉では言い表せません。

この問題は私だけの問題ではありません。戦争になれば皆さんも次の世代の人も経験する可能性があります。戦争を2度と起こさないために、私のような経験を2度とさせないために、私は体中悪いところだらけでも、私の真実を話さなくてはならないと思い、ここに来ました。
戦争中、日本軍がどんなことをしたのか、今、日本政府がどんな態度を取っているのかを聞いていただきたい。

そして、どうか日本政府が真実を認め、公式に謝罪・法的賠償をするように、私たちを助けてください。


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先日、吉ハルモニ(ハルモニ=ハングルで年配女性の尊称・おばあさん)は67年ぶりに北朝鮮を訪れたそうです。しかし行けたのは平壌だけで、故郷には帰れませんでした。
幼くして「慰安婦」にさせられただけでも痛ましい経験なのに、「戦後」も戦争に翻弄されて故郷の地を踏めないハルモニ。暴力を繰り返したくないという悲痛な訴えとともに、日本人にはなかなか実感できない、この「分断」という重い事実にも打たれた証言でした。

※本文は2008年6月10日に明治大学で行われた「吉元玉さんの証言を聞く夕べ」での吉さんの証言を管理人が聞き書き・要約したものです。詳細については主催者にお問い合わせください。

主催:日本軍「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク(略称:オール連帯)
http://d.hatena.ne.jp/all-rentai/


(from 管理人)

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