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母といつもコンビニに行く。
何日か前にみかんを買った。
「みかん、捨てちゃった」
今日、母は言った。
「私がお風呂に入っている間にみかんの置き場所を変えたんだよ」
「だから、腹が立ったから」
「腹が立ったからって、食べ物を捨てないでよ」
「あれはただではないのよ」
たかだか300円。
それでもそれは私の退職金の一部。
私の苦しみのこもったお金だ。
大体すごいけちなのによく捨てたなと思う。
いつも母をコンビニに連れて行くけど今日は散歩だけにした。
日陰で母をベンチに掛けさせた。
「式には何を着て行こう?」
母は聞く。
又、結婚式の心配をしている。
「今、結婚すれば暮れには赤ちゃんが生まれるね」
誰の話かと思えば、やはり自分の結婚だ。
「この前、お父さんが来たのよ」
「私が他の男を結婚すると嫌だと思って慌てて会いに来たのよ」
母はひっきりなしに話す。
いつの間にか私は母の顔を見ながら話すのが苦痛になっている。
自分がうんざりした顔をしているのを、母に知られるのが怖いから。
それでも母はしゃべり続ける。
30分以上母の独壇場だった。
すごいスタミナ。
もうすぐ96歳とは思えない。
母は思い切りおしゃべりして今日は楽しそうだった。
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母との日々
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「お金の話合いをしていってよ」
母は帰り際に言った。
「お金って何?」
私は意味が分からない。
「お前もここに入るんだろう。職員が言っていたよ」
「一緒に2階に移るんだよ!」
「お前、聞いただろう?」
母はいらいらした顔で聞いた。
「聞いてないよ」
「じゃ聞いてよ」
「ちゃんと話し合いをしておくれよ」
「お金はいくら払えばいいのか聞いてよ」
母は私を真剣な目で見た。
まただ。
職員が三人ほど来た。
「母が又、引っ越すと言っているので説明して呉れませんか?」
私は頼んだ。
三人は苦笑いをした。
いつもの事なのだ。
「引っ越さないよ。ここに居るよ」
三人は口を揃えて言った。
そして長居は無用とばかりすぐ立ち去った。
母は納得していない。
「だって、引っ越すと言ったもの」
「お前、ちゃんと聞いておくれよ」
「段取りが有るよ」
「すみません」
私は通りかかったまた別の職員を呼び止めた。
「お母さんが話してごらん」
私は車椅子を職員の前で止めた。
「二階に移ると聞いたんですが今日ですか?」
母は聞いた。
「今日は引越しはしないよ」
又かと言う顔を職員はした。
「だってこの部屋を壊すんでしょう?」
「こうやってこうやって引っ張って」
母は手をぐるぐる回した。
真剣な顔だけに私は何とも言えない気持ちになる。
「引っ越さないよ。ずっーとここに居るよ」
職員が答えると母は泣きそうな顔になった。
「ずっーとなの?それなら黒田に帰りたいよ」
「だってあそこはここの支店ですから」
職員は何も答えず立ち去った。
「お母さん、黒田に行くのには丸1日かかるよ」
そう言っても母は理解しない。
「何のすぐそこだよ」
「いいよ。引っ越せないならここに居るよ」
田舎の親戚ともうまく母は付き合えない。
近所の人ともトラブル続きだった。
田舎に帰っても結果は見えている。
しばらくして大きな声で言った。
「悲しい時は泣くよ」
職員への嫌味だ。
母はこのまま認知症が進むのだろうか?
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母の部屋の入り口には帽子が括り付けられていた。
「何?これ?」
何の為か想像も付かないで聞いて見た。
「みんなが覗くのよ」
「それで見えないようにね」
母は悪戯っぽく笑った。
「見えないと中の様子が分からないから困るでしょう」
そう私が言うと母は嬉しそうな顔をした。
「違うのよ。男が覗くの」
「私を好きな人がいてね。ぜひ一緒になりたいって言うの」
そんな人が居れば私も嬉しい限りだが。
「それでどうするの?」
母の話に乗ってみる。
「だって私にはお父さんがいる」
「だから結婚は諦めてもらうよ」
母は散歩に出ても自分がもてる話を止めない。
「みんなが私と結婚したがるのよ」
「男はみんな優しいよ」
延々と話し始める。
「若い時にはもてないのに95歳になってもてるわけがない」
私は小さな声で反発した。
母は補聴器をしていても小声は聞こえない。
しかも車椅子の後ろから声は聞こえにくい。
「何だって!」
それなのに母は聞こえたのか振り向いた。
「いや、もてると大変だなと思って」
私は誤魔化した。
ホームに帰ると「おかえり」とおじいさんが挨拶した。
父を思い出させる素敵なおじいさんだ。
携帯で株取引を時々している。
「あの人も私が好きなの」
母は穏やかに笑った。
私の高校の頃、異性から手紙が来ると母は開封した。
そして怒った。
何という事は無い内容だったのに。
長兄に会いに来た彼女を怒鳴り飛ばした。
そんな母なのに。
自分は恋をしたい。
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母は私を見るとテーブルをどんと叩いた。
「お前が来たら言おうと思っていたよ」
「もう暇を貰うよ」
目から涙がこぼれ落ちる。
「どうしたの?」
私は母から目をそらす。
「どぎゃんもこがんも」
母は大声で怒鳴る。
「職員がみんな私を見ると避けるんだ」
「しゃべりかけないんだよ」
「盗みはするのに!」
私はひやひやして母を部屋に連れて行った。
母に持って行ったメロンを渡した。
その間に職員の所に行った。
「母がえらく荒れていますがどうかしたのですか?」
そして聞いた。
「いいえ、いつもあの通りです」
一遍の愛情も無く若い職員は答えた。
それはそうかもしれないが。
「そうですか。お世話をかけますね」
そう答えるしかない。
メロンを食べ終わった母を散歩に連れて行く。
母は散歩の途中も若い職員の悪口を言い続ける。
「あそこにバラがあるよ」
「あそこには菖蒲があるよ」
なるべく話をそらす。
「あ!あれ。畑に沢山有った花だ」
母は大声を出す。
指差す方には紫蘭。
「あれは紫蘭だよ」
母は怒ったように言い返す。
「名前を聞いてないよ。知らんなんて何で言うの!」
「違う、名前がシラン。紫の蘭だよ」
「名前なの」
母は理解したらしい。
笑顔になった。
母の大きな妄想は3つある。
それが日替わりで出て来る。
今日はどの妄想だろう。
母に会いに行くのは気が重くなる。
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母の妄想は毎日ひどくなっている。
「子供はみんな捨て子だったのだよ」
そう言って昨日は泣いていた。
「みんなって私も?」
何を言うんだろうと聞くと慌てて答えた。
「いいやお前は違うけどね。」
母はすぐに答えた。
「ところで死んだ子の名前は何だった?」
本気で聞いているのか。
あんなに自慢の息子を忘れたのだろうか?
「元兄さんだよ」
「ふぅーん」
母はたいして反応しなかった。
「姉さんは美代子」
余計な事だが付け加えた。
母はまるでその答を無視した。
「思えば馬鹿なものさ。人の子を懸命に育ててさ」
「背中を丸めて負ぶったんだよ」
「きのうホンチョウを調べてやっと知ったんだけどね」
「ホンチョウって何?」
私は聞く。
「お前はホンチョウも知らないのか?」
母はいらいら答える。
「戸籍?」
多分そうかと聞く。
「そげんも言うたい」
「あればこっそり見たんだよ」
母はノートをめくる仕草をした。
「お父さんが捨て子を育てさせたんだよ」
母は自分の子でなかったと思うことで子供を忘れたいのだろう。
この頃母はテレビを見るのを楽しみにしている。
「だって、マー坊がテレビに出るからね」
ボケても次兄の名は忘れない。
前は東電の社長が次兄だと思っていた。
「この頃、お母さんはよく泣いていますよ」
食堂のおばさんが話してくれた。
原因はやはり捨て子を育てたからだと言う。
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