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「あれはどうなった?」
母は相変わらず主語なしの問いをする。
「あれって何?」
私は嫌な予感に襲われる。
「勲章だよ」
「勲章を今日貰うんだよ」
「何の勲章?聞いてないけど」
私は戸惑いながら答えた。
「何時から表彰式か聞いてないの!」
「お前が来れば分かると思っていたのに」
「がっかりだ!」
母は責める口調だ。
そんな母の車椅子を押して散歩に行った。
コンビニでお菓子とバナナを買った。
母の機嫌は直ったように思えた。
散歩から帰り部屋に入ると母の態度は一変した。
「勲章が佐世保湾で口を開けて待っているんだよ」
「早く勲章を貰いに連れて行っておくれよ」
又、勲章の話になった。
「誰が勲章を呉れるの?」
私は聞いた。
「町長だよ」
「お前も知っていると思ったのに!知らん振りをするの!」
「みんな私に何で秘密にするの!」
「じゃ職員さんに聞いてみようね」
私の手にはもう負えない。
「どうして勲章の事を隠すんですか!」
母は職員に食ってかかった。
興奮のあまりあまりにもひどい方言で職員は理解できなかった。
私は翻訳して伝えた。
「今日は土曜日だから、分かる人が居ないのよね」
「月曜になったら聞いてみるわね」
その答に母は納得したようだった。
いつも下っ端の職員は何も知らないと母は言っている。
だからその言葉を信じたようだ。
「佐世保で勲章の商品が口を開けて待っとっと!」
それでも叫んだ。
「佐世保までは2日はかかるからね」
職員が言うと母はふんと言う顔をした。
「何の。佐世保はすぐそこたい」
「車の運転が出来れば私はすぐ行くとに!」
母の目は血走っていた。
そして明らかに私を責めていた。
母は顔を覆った。
また嘘泣きだ。
「首ば、かっ切って死んでやる!」
顔を上げると叫んだ。
「首は切っても死ねないよ」
私はうんざりして答えた。
死ぬとか殺せとか言われて5年の日が過ぎた。
気に入らない時はそう言って手足をばたばたする。
「テレビでも観たら?」
もうおやつの時間だ。
私は母の車椅子を食堂まで押して行った。
食堂には何人かの入所者がテレビを見ていた。
「あんた、睨むな!」
「何でいつも睨むんだ!」
母は隣に座っているおばあさんを怒鳴った。
おばあさんに面会に来ていた女性二人は驚いて言葉も出ない。
「すみません、ちょっとおかしいんですよ」
私は弁解したが女性は答えなかった。
「お母さん、睨んでなんかいないよ」
「そんな事を言うもんじゃないよ」
私は必死で取り繕った。
「何の、私が言ったから睨むのを止めたのさ」
母は意地悪く答えた。
「じゃ帰るわ」
私はこの場を逃げたかった。
「帰れ!」
母は攻撃的な姿勢を崩さない。
私は振り向かないで玄関に急いだ。
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母との日々
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暖かい一日だった。
母との散歩を終えて部屋に入った。
後を追うように職員が入って来た。
「夕べ、お母さんはタンスを動かしたんです」
「どうやって運んだんですかね?」
確かにタンスの位置が変わっている。
「どうやって運んだの?」
私が聞くとこう母は答えた。
「引き出しを一段一段外して後は足で蹴ったよ」
タンスと言っても幅は50センチくらい。
高さは1メートル程しかない。
確かに蹴れば動くだろう。
「前に足で蹴って骨折したでしょう。」
「運ぶなら職員さんに言ってよ」
私の言葉に母は答える。
「この人たちが私の為にやる訳ないでしょう!」
「自分でやるしかないでしょう」
職員は嫌な顔をした。
「又、足を折ったら寝たきりになるよ」
「そうなると嫌でしょう?」
私の言葉を聞くと母は手を合わせた。
「ありがたや、ありがたや」
私を拝んだ。
馬鹿にした口調だ。
「とにかく物が多いですから減らして下さい」
職員は言う。
母は買い物が好きで物が貯まる。
「ええ、でも...」
私は即答できない。
物が減れば又盗まれたと母は騒ぐ。
その妄想にどれだけ私が嫌な思いをしているか誰も知らない。
職員が部屋を出たので私はさっきの散歩で買った果物を渡す。
母が笑顔になったのを見てまたねと言う。
じゃ、又。
母は素直に答えた。
玄関に向かう途中にケアマネジャーに呼び止められた。
今月から施設の使用料が上がるという。
そのサインを求められた。
サインをしていると母がやって来た。
「ねえ、ねえ」
手招きをする。
嫌な予感がする。
「なあに?」
「職員が私が死んだらって話している」
「そんな事は話さないよ」
「お母さんが死んでも施設の人には関係ないよ」
「じゃ、他の人の話なの?」
母は顔を覆った。
ケアマネージャがどうしたのと聞いた。
「悲しいの」
目をこすった。
しばらくして顔を上げた。
目は赤くは無い。
涙も出てない。
「お母さんは嘘泣きをよくします」
もう一人のケアマネージャに今朝言われたばかりだった。
思えば母はよく嘘泣きをする。
この頃は母と居るのが苦しい。
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ここは出て行くよ。
こんな所には居られない。
母は今日も怒っている。
よく怒る原因があると感心する。
今日は何が原因だろう。
聞きたくないが母は話す。
職員が私のタオルを盗んだんだよ。
取り返そうとしたら手を叩かれたよ。
この母の話は多分本当だろう。
手を叩かなければ母はタオルを離さないだろうから。
もし抗議しても被害妄想と片付けられる。
それにしても専門の介護士がそんな対応しか出来ないとは。
タオルぐらい欲しいなら上げればいいよ。
うちには沢山あるから。
情けない気持ちで私は答える。
職員は私が若いから嫉妬しているんだ。
私は体が強いから色々検査をしているんだ。
母はいつも自信満々だ。
自分をいくつだと思っているのだろう。
職員はほとんど20代なのに。
こんな所は出るよ。
私は歩ければ馬込に行くよ。
母は島の波止場に行くと言う。
おやつの時間になった。
母を食堂に連れて行った。
おやつの小さなシュークリームの袋を開けた。
もうすぐ停電の時間だ。
帰らなければならない。
運転中に急に信号がとまるのが怖い。
停電になるから帰るねと母に言う。
うん、忙しいなら無理しなくていいよ。
母は優しく言った。
穏やかな心だと安心した。
それなのに私が歩き始めると大きな声で母は叫んだ。
来なくていいよ。
悲しければ泣けば済む事だから。
母は職員に面当てに言ったのだ。
職員の張り詰めた空気が伝わって来た。
私は意地が悪いさ。
それを私は知っているよ。
母は自分をそう評する。
ばあさんと居ればお前は苦労するね。
そう言った父の言葉が頭をよぎった。
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18日は午後7時20分から10時までも停電だった。
そんな時間に何故停電するのだろう。
正に無計画停電。
あの停電の夜、ろうそくで明かりを取っていた家が家事になった。
一人の老人が亡くなった。
夜の停電はどんなに心細いだろう。
母の居るホームも真っ暗だったらしい。
もちろん暖房も切れている。
こんな折だからと誰も文句は言わないが。
病院や老人施設の電気まで止めなくてもいいのではないかと思う。
コンビニの深夜営業を止めさせるのが先決だ。
「親がアメリカから迎えに来るそうよ」
「こんな電気も無い所には私は置けないって」
母は今日も荷物をまとめていた。
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津波で1万人以上の行方不明者が出た。
この機会に年よりは捨てられたんだよ。
だから死者に年寄りが多いんだ。
母は言う。
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