100歳の母

母は元気に100歳になりました。

母との日々

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母と戦争

「サイレンが聞こえていたね」
「いよいよ、始まるね」
母は暗い顔をする。
 
「何が始まるの?」
私は何を話すのだろうと母の顔を見る。
 
「アメリカが攻めて来る」
「ここに居たら殺されるよ」
「早く、防空壕に行こうよ」
 
戦争を母は忘れない。
 
「戦争は終わったんだよ」
「60年以上も前にね」
 
私が言うと母は聞く。
 
「どっちが勝ったの?」
 
「アメリカだよ」
 
母は答を聞いて首を振る。
 
「本当は戦争は終わっていないよ」
「日本を打ちのめすまでアメリカはやるよ」
「今は油断をさせているだけ」
 
母はぶるぶる震える。
 
「アメリカが攻めて来るよ」
「早く戸を閉めてよ」
「アメリカに殺されるよ」
母は繰り返す。
 
母は長兄と姉の手を引き次兄を負ぶって焼夷弾の中を逃げ回った。
その恐怖を未だに忘れられないでいる。
 
 

母に鬼の子と言われて

「相手の人が子供を二人連れて来ていいと言うんだよ」
母は結婚相手の話をする。
 
「そんなに子供全員に食べさせられないからね」
「正志と元を連れて行くよ」
亡くなった長兄の名を思い出したらしい。
 
兄二人を連れて再婚すると言う。
 
「二人はもう孫がいる年齢だよ」
私は自分の名前が呼ばれないことに傷ついている。
 
 
「だって相手が二人しか連れてきちゃいけないっていうもの」
母の空想の中では私は要らない。
 
「私の名前は分かる?」
聞いても母は答えない。
 
 
「その人の間に子供が出来るかもしれないね」
母は話を変える。
 
「96過ぎて子供が生まれたらテレビに出られるよ」
「出演料が沢山もらえるよ」
 
私は言いながら、母の顔を見る。
目が座っている。
 
「そしたら、下ろす」
母はあっさりと言った。
 
 
「それでも絶対に私が子供を産めないとお前は言うの!」
 
それは絶対だ。
どう答えようかと迷った。
 
「ここの人たちは身を売っているんだよ」
「ここは売春宿だ」
母の話は変わる。
 
「ここに居ると私も身を売らなければいけなくなるよ」
母は目に涙を浮かべた。
 
「男たちが手篭めにしようと毎晩来るんだよ」
「どんなに恐ろしいか分かる?」
 
又始まった。
この話が私は嫌いだ。
 
「じゃ、警察に言った方がいいね」
「捕まえてもらおうね」
 
私の我慢の言葉に母は答える。
 
「無理だね、警察もぐるだから」
 
母は再婚時に連れて行かない私を憎々しげに睨んだ。
 
「又、来るから」
私の言葉に母は答えなかった。
 
 
私の背中から母の声が聞こえた。
 
「あの子は鬼の子です」
職員に話していた。
母のやりそうな事だ。
聞こえるように言ったのだ。
 
 
じゃ自分は鬼かと思った。
でも母は自分の子では無いと言いたかったのだ。
 
母は姉を鬼と言う。
私はあんな非道な姉と同等なのだろう。
 
しばらくは母の所には行かないつもりだ。
 
 
 
 
 
ホームに行くと母は歌っていた。
今日は機嫌が良さそうだ。
 
私の心は明るくなった。
 
「部屋に行こうよ。話しがしたいから」
母の言葉に私の心はすぐ曇った。
 
「お前の大将はNHKに勤めているだろう?」
部屋に入ると突然に切り出す。
 
「大将って主人の事?」
母はうなずいた。
 
「NHKは勤めた事が無いよ」
何を言い始めるのだろうと母の顔を見る。
 
「おかしいね。大将が私を結婚させようとしているんだよ」
「私は金持ちだからね」
「大将がNHKNに勤めているのも私がお金を出して頼んだからだよ」
 
母は自分が大金持ちだと思っている。
死んだ父が金鉱を掘り当てたと思っている。
そして父が1億円を自分の口座に振り込んだと毎日報告する。
 
 
「結婚してもお金は相手には上げないよ」
「だから、お前、お金を貰っておくれ」
 
母の目は真剣。
 
「ところで誰と結婚するの?」
今日は誰だと言うのだろう。
 
「ここの偉い人が決めた相手だよ」
「お父さんは結婚に反対なんだ」
「髪も結わずに、いい服も着ないでお化粧もするなと言うのよ」
「ひどいでしょう?」
母はうっすらと涙。
 
「私だって結婚したくはない」
「でも、毎晩偉い人が来てドアをどんどん叩くの」
「結婚させるぞって言うんだよ」
 
「どんなに怖いか分かる?」
 
「もう辛くて自殺したい」
 
母は気に染まぬ相手が毎晩襲いに来ると言う。
それが死ぬほど嫌だと言う。
 
妄想から生まれる悲しみ。
 
私は話を続けるのが苦痛だった。
 
「面会時間が終わりだから帰るね」
私は泣いている母を慰める術も無く部屋を出た。
 
 
楽しい妄想ってないのだろうか?
 
 
 
 

子供のランク分

外国に赴任していた娘が1年ぶりに帰省した。
娘と母に会いに行った。
 
「おばあちゃん、元気だった?」
娘は母の顔を見て聞いた。
 
「何だか会った事があるような気がするね」
母は娘の顔をじっと見た。
 
「この辺まで出てるけどね」
母は喉を指差した。
 
「千尋だよ」
私はたまりかねて言った。
 
「ああ!」
「えらく老けたね!」
 
母は相変わらず遠慮が無い。
 
娘はアラサー。
若いとは言えないけど。
折角来てくれたのに。
 
 
娘にごめんねと後で謝った。
 
「ボケているから仕方ないよ」
「でも、よく耐えられるね」
娘は言った。
 
「私のおばあちゃんへの愛情よりも千尋の私への愛情が深いと思うよ」
「でも、私がおばあちゃんにした世話を千尋は私には出来ないと思う」
私は答えた。
 
 
「お母さんはおばあちゃんを好きじゃないからできるのかもね」
 
「あんなに叔父さんが好きなおばあちゃんなのによく耐えるわ」
 
母は短い時間の中にも次兄の話をした。
気象予報士だのテレビタレントだの。
それは娘には残酷に思えたかも知れない。
 
 
そんなに次兄が好きならと悔しい思いをする事はたびたびだ。
 
好きな子、嫌いな子。自慢の子。大事な子。
 
母の中で子供は明確にランク分けされている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

母の歌う歌

母の歌を久しぶりに聞いた。
 
内容から日露戦争の歌らしい。
 
初めて聞く歌だった。
 
 一列談判(らんぱん)破裂して
 
 二 日露戦争始まった
 
 三 さっさと逃げるはロシヤの兵
 
 四 死んでも(死ぬまで)尽くすは日本の兵
 
 五 五万の兵(御門の兵)を引き連れて
 六 六人残して皆殺し
 七 七月八日の戦いに
 
 八 ハルピンまでも攻め込んで(寄って)
 
 九 クロポトキン(クロパトキン)の首を取り
 
 十 東郷元帥(大将)万々才(十でとうとう大勝利)
 
母は父や私の名を忘れても歌は忘れていない。
 
祖父は日露戦争に従軍した。
きっと母にこの歌を聞かせたのだろう。
 
 
祖父は従軍後トラコーマにを患った。
それで村はずれに隔離されたそうだ。
 
今の日本ではトラコーマは撲滅した。
そして樺太も千島もロシアが占領している。
 
母の歌う歌も歴史と共に忘れられるだろう。
 
 
 
 




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