100歳の母

母は元気に100歳になりました。

母との日々

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やはり、晴れの日は長くは続かない。
 
今日も母は食堂にいた。
みんなに背を向けて座っていた。
 
「部屋に行こうよ」
「話がしたい」
私を見るとその場を離れたがった。
 
母は部屋に入ると職員がどんなに意地悪か愚痴を言い続ける。
それは母の思い違いだ。
いつ見ても入居者に優しく接している。
 
「私が羨ましいんだ」
「ねたみだよ」
 
「だから、意地悪なんだ」
母はいつもの様に言う。
 
「何が羨ましいの?」
私は苦笑する。
 
「だって、私は大金持ちだもの」
母は真顔で答える。
 
「さっき、偉い人に呼ばれたの」
「二人は結婚するしかないって言われたの」
「そうするしかないのかね」
 
父を求めていた母は違う男との結婚話をする。
 
「二人って、相手はどんな人?」
うんざりしながら話を合わせる。
 
「えーと。お前が知っている人だよ」
母はちょっと考え込んだ。
 
「名前は東尾だよ」
「お前知っているだろう?」
 
東尾と言われても思いつくのは石田純一の結婚相手ぐらい。
 
「知らないよ」
 
「昔は野球選手だったんだよ」
 
私は東尾りこの父親が野球選手だったと思い出した。
 
「どうしたらいい?」
母はもじもじとズボンをつまんでいる。
 
「結婚すれば?」
私は面倒になって答えた。
 
「じゃお前、青い家は買ったんだろうね」
又、青い家だ。
 
「お金は渡したじゃないか!」
母は東尾と青い家に住む気らしい。
 
「日本には青い家はないよ」
「チュニジュアにでも行かないとね」
 
「何でもいいから、青い家を買ってよ」
母と話すのが苦痛だ。
 
「こんにちわ」
職員が声を掛けて廊下を通る。
 
「大変だ。髪結いが来た」
母は大慌てで廊下に出た。
 
何だかんだと言っても結婚したいのだ。
 
「じゃ、私は帰るわ」
母を部屋に入れてから言った。
 
「ここに鍵を持ってきてよ」
「昨日、パンツ1枚の男が5人で入って来たのよ」
「怖かったよ」
 
 
昨夜男がいると母は大騒ぎをしたと職員が話した。
 
母は自分は女だと認めて欲しいのだろうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 

記憶が戻った母

ホームに行くと母は食堂にいた。
背中を叩くと振り向いた。
 
「あれ、すごい笑顔だね」
向かいのおばあさんが声を掛ける。
 
母はこぼれるような笑顔で私のポケットに手を入れる。
 
「お孫さん?」
おばあさんはこの前と同じ質問をする。
 
「いいえ、末娘です」
母は答えた。
 
私を思い出した。
 
「お母さんは先生をしていたの?」
おばあさんは聞く。
 
「いいえ」
母はそう言ったのだろうか?
 
 
「頭のいい人だね」
 
母はそのほめ言葉に笑顔が崩れる。
 
「私の仕事は誰にでも出来る仕事じゃない」
「政治がらみだからね」
調子に乗って答えている。
 
母は政治と言う言葉が好きだ。
 
「頭が違う」
おばあさんは母を褒め続ける。
 
気がつけば二人はしゃべり続けている。
他の人は一言も口を利かない。
 
このおしゃべりが母を明るくしている。
 
持って来た服を見せるために部屋に入る。
 
「いい服が沢山だ」
母は機嫌がいい。
 
「私、お父さんと別れるわ」
母は突然に言う。
 
「どうして?」
この前は恋しがって捜しまわっていたのに。
 
「だって、お父さんは美代子の方が好きなんだもん」
 
母は姉の名前も思い出した。
 
「二人で私を苛めて許さないよ」
 
母は苦しかった日々を思い出したらしい。
 
ちょっとしたきっかけで記憶は戻るのだと知った。
 
 
 
 

穏やかな笑顔

私が東京に2日行ったので母に面会に行けなかった。
 
母はまた手に負えないのだろうか。
私は不安な気持ちでホームに向かった。
 
母はみんなと食堂にいた。
 
明るい顔をしていた。
 
「来てくれたの?」
優しい笑顔を見せた。
 
この何年かで見た初めての笑顔。
 
いや、昔からこんな笑顔は見た事が無かった。
 
肌がつやつやとしている。
とても96歳に見えない。
 
本当に母はきれいだと初めて思った。
 
「この頃ご飯がおいしくてね」
母は嬉しそうに報告した。
 
東京に行く前は違った。
ご飯を食べなかった。
 
「もう、死ぬんだよ」
何度も言っていた。
目が空ろだった。
 
そうかもしれないと私自身も思っていた。
 
それは杞憂に終わった。
 
母は本来の食欲を取り返した。
 
こんな状態が続いてくれればいいが。
晴れたり曇ったり、台風が来たりするんだろうな。
 
穏やかな母は好きだ。
 
ただ次兄の名前だけを覚えているのは悔しいが。
 
 
この所、夕食の頃にホームに行く。
薬を飲ませるためだ。
 
いつも重い気持ちで母の居るユニットに向かう。
食事のために食堂に居るだろう。
 
 
ユニットのドアを開けるなり母の大声が聞こえて来た。
母は食事を前にして怒鳴っていた。
 
「おっかぶせて、わったちゃおっかぶせて」
 
目が普通ではなかった。
狂人の目をしていた。
 
母の大声に入所者は怯えた顔をしていた。
職員は知らん顔をしていた。
 
私は申し訳なくて済みませんと言った。
 
「お母さん、それじゃみんながご飯を食べられないよ」
「大声を出したら迷惑だよ」
 
母は私を怒鳴る。
「お前は私が悪いと言ってぺこぺこして!」
 
何を言っても無駄だった。
それでも何とかご飯だけは食べた。
 
怒鳴り続ける母の車椅子を押して部屋に入った。
 
「アイスが有るよ」
私はコンビニで買ったアイスを出した。
 
「いらん」
母はすぐ拒否した。
 
私はテレビをつけた。
この地デジテレビを買うのに私がどんなに奮闘したか母は知らない。
引越しの時はテレビが売っていない状況だったのだ。
 
 
母は脈絡無く話し始める。
目は母に、耳はテレビに向ける。
その内、機嫌が直ったようだ。
 
「アイスは?」
聞くと今度は食べると言う。
 
母にアイスを渡して薬を貰いに行く。
精神安定剤。
 
これを飲んでも安定はしないが。
 
職員には近所の人が居る。
とてもよく話しかけてくれる。
 
詰め所に座っていたので声を掛ける。
 
「母が迷惑をかけますね」
職員にいつもの笑顔は無かった。
 
「お母さんが私がお父さんと寝たって言うんです」
「早く、子供をおろせって見るたびに言われるんですよ」
『太っているからね」
「お母さんは私を嫌いみたい」
 
母は確かに彼女が嫌いだ。
彼女を見ると顔をしかめる。
 
それでもあんまりじゃないか。
まだ未婚なのに。
 
母に薬を飲ませると言った。
 
「お父さんが職員と寝ているなんて言わないでよ」
「お父さんの名誉にかかわるでしょ!」
 
母はまた血相を変えた。
 
「そぎゃん、職員の味方をするなら帰れ!」
大きな声だった。
 
 
認知症なら言う事をはいはいと聞けと言うが。
そうやってどう解決出来るのだろうか。
 
「ここは女郎部屋だ!」
「私の部屋でお父さんと寝てるんだ」
母は狂った目で睨んだ。
 
 
これが自分の母親かと情けない。
 
無教養、わがまま、これが母。
それを知っていて受け入れていても今の状況は辛い。
 
もう、明日はホームへ行くまいと思う。
それでも行ってしまう。
 
「お父さんの名前は何だった?」
ふと母に訊ねた。
 
「耕作だよ」
祖父の名前を口にした。
 
「それはおじいちゃんの名前だよ」
「お父さんの名前は?」
 
母は父の名を思い出せなかった。
 
「子供は何人?」
 
母は私の質問に指を折り始めた。
 
「えーと、次郎に文子に鈴、三重、雪江に」
みんな叔父叔母の名前だった。
 
「それだけ?」
 
母はにっこり笑った。
「正文がいるよ」
 
次兄を忘れないのはさすがだ。
 
「それだけ?」
 
母はうなずいた。
 
私の名を忘れていた。
 
父の名を忘れているのに嫉妬に燃える母は理解できない。
 
 
 
 
 
 
 

嫉妬は醜い

母は暗い部屋にいた。
窓の外を見ていた。
 
嫌な予感がした。
 
「どうしたの?」
声を掛けると振り向いた。
 
「どうも、こうも」
母は泣いていた。
 
「ここの女達がお父さんと寝たんだ」
何を言うかと思うとそんな妄想。
 
「私怒鳴ったんだ」
「そんな事をしたらあそこを切っちゃうぞって」
「そしたら慌てて出て行ったよ」
 
母は何て品が無いのだろう。
父の実家に馬鹿にされても仕方ないのかもしれない。
 
姉や兄が母を嫌ったのもそれが原因の一つでもあった。
 
「お父さんは102歳だよ」
「若い時も真面目なのに今更女遊びなんて」
私は情けない気持ちを押し殺して答えた。
 
「だって、布団のしわを伸ばしてお父さんと寝る準備をしていたんだよ」
 
ベッドメイキングを前のホームではしてくれなかった。
だから母はそんな風に思ったのだろうか。
 
「お父さんに貰ったって物を見せたもの!」
母はあくまでも父が職員と寝たと言い張る。
 
お父さんを思い続けて素敵ね。
そう言う人がいる。
 
そうであっても嫉妬に燃える母は醜い。
思い違いで暴言を吐かれる職員にも申し訳ない。
それも汚い言葉で。
 
 
夕食の時間に母を食堂に連れて行った。
 
「女に毒を盛られる」
母は嫌がったが。
 
10人の入所者はみんな大人しい。
 
けどみんな良い顔をしている。
 
どうしたの?と言う顔で私達を見る。
 
どうして母はこんな風に穏やかな気持ちになれないのだろう?
 
いつも不平不満ばかり。
そして他人への攻撃。
 
「死にたいけど死ぬのはまだ早い」と泣いている。
 
死にたいのはこっちだと言いたくなった。
 
 
 
 
 

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